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文学理論 6
- 1 :吾輩は名無しである:2014/09/20(土) 23:20:47.33
- 文学理論や文芸批評について意見を交換するスレです。
新刊や復刊の情報なども歓迎です。
前スレ
文学理論 5
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/book/1398531661/
- 2 :.:2014/09/20(土) 23:59:41.42
- 古代から突出していた売春レイプ立国の韓国
最近、朝日新聞が虚偽の強制連行を捏造をしていた事を認めました。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140807/plc14080711310011-n1.htm
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n171028
そして、今現在も韓国は売春婦を輸出しまくり、世界が迷惑している
(しかも日本人に成りすましている)。
韓国の売春産業はGDPの約5%も占める古くからの伝統産業で、
日本には5万人もの韓国人売春婦が来ている。
そして、韓国では女性の売春させてくれデモもありました。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n209948
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20130818/frn1308180725000-n1.htm
「日本が併合していた時代は良かった」と発言したお爺さんが撲殺された事件
http://www.j-cast.com/m/2013/09/13183859.html?uid=NULLGWDOCOMO&guid=on
- 3 :吾輩は名無しである:2014/09/21(日) 00:22:11.91
- あげてスレたてたのは失敗だったね。
次の機会があったら下げてすれたてるよ。
- 4 :吾輩は名無しである:2014/09/21(日) 16:16:24.41
- >1
なんにしても乙
- 5 :吾輩は名無しである:2014/09/21(日) 18:50:25.49
- 甲(乞う)乙(オツカレ)丙(ヘイ、ありがと)の連鎖と読み解けば「文学」だねぇ。
- 6 :吾輩は名無しである:2014/09/21(日) 19:41:49.23
- 一斉無料キャンペーンを開始したようだ
http://kdp.url.ph/
- 7 :吾輩は名無しである:2014/09/21(日) 23:59:33.02
- >>6なにこれブラクラ?
- 8 :吾輩は名無しである:2014/09/26(金) 23:16:39.19
- 「記号」が「シニフィエ」と「シニフィアン」から成り立っているとすれば、「猫」という文字あるいは単語は何時「シニフィアン」になるのだろうか?
「猫」という言葉が「読み取られた」とき「シニフィアン」になるのだろうか?
「読み取られた」とき「シニフィエ」となり、「猫」という言葉を「シニフィアン」として認識するのか?
考えるとだんだんわからなくなってくる
- 9 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 00:29:21.65
- ぜんぶ脳科学が解決してくれるよ
- 10 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 00:33:55.66
- >>9
なにかを見たり聞いたりして、なにかのイメージを思い浮かべる。
これは同じ人が同じものを見たとしても、思い浮かべるイメージは無限の可能性がありそうだ。
その上、そのイメージからさらに他のイメージを思い浮かべる。
こういうことまで、脳科学はその根拠を解明するんだろうか?
- 11 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 00:44:51.25
- 予算が許す限りいけるところまでいくだろうね
文学に残されているものを真剣に考えないと文学なんて簡単に吹き飛ばされてしまう時代だよ
- 12 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 00:56:36.36
- >>11
今でも夏目漱石は人気もあるし、書かれていることにも古さはないと思うけど。
なぜ文学が吹き飛ばされると?
- 13 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:09:03.99
- 人気はどんどんなくなってるし役割もどんどん縮小しているよ
出版業界を見ればわかるでしょ
いま文学雑誌はマンガの売上から赤字を補填して成り立っている状況だよ
何でこうなったかわかるよね
売れないからさ
売れないってどういうことかな?
それにね、漱石や太宰、宮沢賢治は君のいうように確かにいまでも人気があるよ
でも、いまの作家はどうだい?
いまの作家で将来漱石や太宰のような存在になれる人間はいるだろうか?
人が何かの説明を求めて文学を読むこともなくなったよね
何かの説明を読みたいなら社会学の本を手に取る
悩みごとがあるなら優しい心理学の本を手に取る
時代の空気や人々のささやかな日常は匿名掲示板やツイッターに書き込まれる
文学に残されているものはなんだろうね?
- 14 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:10:27.92
- ただ単に今は○○の時代だということを言いたいだけであろう
- 15 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:12:50.30
- >文学に残されているものはなんだろうね?
太宰や漱石が残されているではないか
- 16 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:15:38.67
- それはもう未来がないということではないかね
- 17 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:18:59.34
- 盲目的に文学を信仰するのも文学的でいいとは思うが
その態度の先に明るい未来が待ち受けているとは到底思えない
- 18 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:22:41.02
- >>13
小説ってそんなに売れてないの?
ネットを含めれば、作家はこの2、30年でものすごく増えてるようだし、出版される本も少なくなってるとも思えないけどな。
純文学でも人気作家はとても売れているし、推理小説だって相変わらずよく売れている。
もともと、なにかのために小説を読む人なんてほとんどいないんじゃないだろうか?
- 19 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:27:26.58
- >>18
出版点数は増えているけど売上は落ちているし、
小説は全くといっていいほど売れていない
純文学はほぼ全滅状態だよ
例外的に売れている百田直樹についてでも語ろうか
- 20 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:29:51.68
- >>18
なにかのために読まないとしたら娯楽ということになるが、
娯楽はそれこそ昔と比べたら遥かに競争相手が増えている
- 21 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:39:44.18
- 小説の売れ行きについては五大純文学誌スレでも覗いてくれ
純文学で売れているのは村上春樹くらい
西村賢太も初版が捌けない程度しか売れないし、
海外文学なんて元々の読者層が限られている
エロ小説も推理小説も海外文学と同じ
- 22 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 01:44:54.52
- こういう危機感って小説好きのなかでは半ば常識になっているものだと思っていたよ
- 23 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 02:20:42.78
- 危機感とか信仰とか漫画に比べてとか言ってる方が簡単
つまり思考が安直
>>13
社会学心理学・・・90年代ならまだしも
おれはこの2014年現在ますますそれらより文学への欲求が
高まってるとしか考えられないのだが
(追記しとくとそれは3.11つまり2011年以前からある流れ)
それを反対に捉えてる思考が
人々をして漫画アニメゲームを優位と思わしめる
- 24 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 02:23:50.36
- だいいち(純)文学が誰にでも読まれるなんて
どこから出てくる幻想だ
漱石鴎外太宰をそう捉えてるならそれは制度としての文学だろ
- 25 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 02:28:48.80
- 漱石鴎外太宰が教育行政文化行政としての制度なら
村上春樹はメディア社会としての制度
(『1Q84』の発売日の朝NHKおはよう日本で
出演のアナやらキャスターやら気象予報士やらがみな横1列に並び
本を手に持って紹介した光景は忘れもしない)
言うまでもないが制度として読まれたからといって
その作家に実力がないということではまったくない
- 26 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 02:34:21.90
- 中公文庫の批評理論入門がクソつまんなくてわろた
しかもこれがネットのレビューで高評価ってのにさらにわろた
- 27 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 05:01:38.18
- フランケンシュタインのやつですか
レビュー読んで面白そうと思ってしまいました
ピーター・バリーの文学理論講義はどうなんですかね?
- 28 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 05:13:36.61
- 中公新書な
あれは批評理論史の教科書って感じ
ひとりの批評家の個人としての思想に触れるようなものではまったくないし
だからまた創作を目指す上での方法論にもならない
あれで喜んでるのはあれで文学を知った気になれるディレッタントな本読み
- 29 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 05:33:43.88
- >>28
なるほど
役にたつ解説ありがと
- 30 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 07:45:47.63
- 漫画に過剰反応している時点で思考が安直なのはあなたの方でしょうね
- 31 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 09:49:20.82
- 「文学部唯野教授」の論争があったけど、
実際の猫をシニフィエとするよりも、猫という言葉をシニフィアンとするほうが問題だと思う。
「猫」はシニフィアンではない。いつのまにシニフィアンに昇格してしまったのか
- 32 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 10:40:08.26
- 批評理論入門はお手軽な感じでいいと思うけどな
新書なんだからそんなもんだろう
- 33 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 10:52:04.61
- 一見ぬるそうなその種の新書は「大学の講義録」と考えると案外マシなことに気付く
ワンフレーズ新書よりはずっとしっかりしている
- 34 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 11:34:27.09
- >>26
どういうとこがクソつまんなかったのか分かんないけど、
文学理論に興味を持ってる人は、文学理論が何なのか分からないから興味持ってるだけで
それがどういうものなのかが分かったら、大半はクソつまんねーって感想を持つ気がする
- 35 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 12:00:10.74
- >>19
なぜ村上春樹が出てこないの?
純文学では、世界的なベストセラー作家だよ?
それに、百田って純文学じゃないだろ?
>>20
なぜ?
なにかのために小説読む人なんて、聞いたことがない。
娯楽で読んでみたら自分の心が動いた、ということはあるにしても。
ちなみに、娯楽が増えているのは、簡便な娯楽を求める人が増えているということでもあると思うよ。
- 36 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 12:44:16.08
- >>35
21で村上春樹を出していますよ
実はここに書き連ねてきた文学の危機はそれこそ村上春樹が何度もエッセイやインタビューで指摘していること
文学や哲学、いわゆる人文学が担ってきた領域は自然科学や社会科学の祖になったけれど、
いまではその自然科学や社会科学に領地を奪われ続けている
近年の文学理論の停滞もおそらくその影響を受けてのことだろう
これくらいは文学や文学理論を語る前提知識として知っておきたいところだ
- 37 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 12:57:45.18
- >>36
同じ人なのか。
村上春樹は売れているという例で出したんだけどね。
村上がなにを言っているかは知らないけど、「自然科学や社会科学に領地を奪われ続けている」というのは見当違いとしかいいようがない。
読者のレベル低下で純文学が漫画に領地を奪われている、というならまだわかるけど。
>近年の文学理論の停滞
文学理論が隆盛だったなんて、作家に大きな影響を与えたのは、せいぜい社会主義リアリズムぐらいじゃないの?
他はあぶくのように浮いては消えていっただけに見えるし、そもそも文学理論なんて、そんなに歴史のあるものでもないだろう。
- 38 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 13:40:47.91
- 大学人は全員クソ、在野だけが正しい
はいはい
- 39 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 14:31:40.18
- 文学理論を語るときに、作家に影響を与えたかどうかなんて重要じゃないだろう
文学理論=小説の書き方っていうのは、よくある勘違いだけど
- 40 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 14:35:46.37
- 35と37は物知り風な長文ですっとこどっこいだからマイル
目的はないだの理論は社会主義うんたらのみだの
なんでこの板IDないの?
- 41 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 14:38:17.71
- >>39
イコールではないが書く方法論として寄与しない理論は弱いし
また方法(論)を持とうとしない書き手もまた弱い
- 42 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 14:48:17.39
- >>41
>イコールではないが書く方法論として寄与しない理論は弱いし
>また方法(論)を持とうとしない書き手もまた弱い
このような主張をしている文献を具体的に示していただきたいのだが
お前の脳内で出来上がった主張なら無視するんでいいんだけど
- 43 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:03:44.59
- >>42
具体的に、と指摘するのはいいけど、>>39も含めて、自分のレスにもなにも具体性がないよ。
- 44 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:05:28.16
- >>40
>>35とか>>37が長文かいな。
君の頭は、どんなに短い文でできてるんだよw
- 45 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:09:09.43
- すごい、論点が物凄く低レベルに
- 46 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:12:01.11
- >>45
「論点」のレベルの高低とはどういうことだか具体的に書かないと、>>42に怒られちゃうよ。
- 47 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:12:34.27
- >>43
>>39は俺だけど、>>42とは別人
- 48 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:14:03.00
- >>47
それは失礼。
でも具体性がないことは、まったく同じだね。
- 49 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:16:41.33
- >>48
>>39に具体例が必要か?それこそ具体的にどんな例を挙げて欲しいの?
- 50 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 15:29:39.38
- >>43
私は>>39ではないですし、本日初めてレスした者です
また、>>41はあなたの脳内主張であると判断しましたので、もう結構です
- 51 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 16:00:24.22
- このスレのやりとりみて文学読みたくなる気はまったく起きないわ
理論以前の話
- 52 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 17:40:14.39
- >>37
>>21も売れているという例で村上春樹が出ていると思うが大丈夫か
- 53 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 17:41:35.65
- >>38
大学人が皆クソだとは思わないけど佐々木中みたいな勘違いを見るとやっぱりクソなのかなと思っちゃう
- 54 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 17:42:40.61
- 佐々木中は「在野のフリをして」向いてないのに小説とか書いてるからクソなんだと思う
- 55 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 20:37:08.22
- >>49
>文学理論を語るときに、作家に影響を与えたかどうかなんて重要じゃない
なぜ重要じゃないの?
>文学理論=小説の書き方っていうのは、よくある勘違い
誰が「文学理論=小説の書き方」だと考えているの?
- 56 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 20:42:29.54
- >>50
>>43だけど、僕は>>41じゃないよ。
「お前の脳内で出来上がった主張」なんか堂々と書きこまないでよ。
バカじゃないの?
>>52
> >>21も売れているという例で村上春樹が出ている
だから?
- 57 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 20:47:40.58
- おまえらバカに触るなよ
- 58 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 20:51:59.15
- バカが勝手に噴火してスレが伸びる
過疎板ではお馴染みの現象
- 59 :吾輩は名無しである:2014/09/27(土) 21:17:07.95
- またいつも「僕ちゃん」かw
- 60 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 11:19:06.82
- >>57-59
敗北宣言は、それで終わりなの?
- 61 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 11:30:36.79
- 自分より詳しい人だらけの場所で、みんなに「キミ間違ってるよ」って言われて、
なんで自分のほうが正しいって思えるのかが謎
- 62 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 11:36:52.99
- >>61
それじゃ全然意味不明だよ。
どのレスのことだか具体的に書きなよ。
- 63 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 14:04:12.20
- >>23
2011年、東日本大震災であきらかになったのは文学というか、文系学問の無力さだったはずだよ
現実にコミットせずに理論をこねくりまわすのはナルシシズムなのではないかと指摘する批評家も現れた
現に、レイシズム反対運動や原発反対運動に多くの大学教授たちがコミットしていくようになった
そして、文学はこの一連の出来事を昇華することができていない
唯一話題になったのはいとうせいこうの想像ラジオくらいだ
- 64 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 14:24:46.44
- 「文学は飢えた子の前で何ができるのか」っていうサルトルの古い問いの焼きなおしやん
- 65 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 14:33:20.87
- もともと文学的想像力が現実に追い付けなくなってきているのではないかという疑いはあった
それを如実に示したのが3.11
漫画という言葉が嫌いなら、視覚文化の方により現実や社会の雰囲気を的確に捉えた作品が増えてきている
文学の敗北というよりは作品を評価や作家の育成システムといった
制度側の問題だと自分は思うけどね
- 66 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 15:28:15.11
- >>64
単なる焼き直しではなく、時代を経てその問いがよりクリティカルなものになってきたということだろう
- 67 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 17:13:29.00
- >>66
やっぱり社会主義リアリズムと同じだよ。
社会主義に仕えるか災害に仕えるかの違いがあるだけ。
なにかに奉仕する文学、以上のものじゃないだろ?
- 68 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 18:38:26.84
- 奉仕とかそういう概念以前の話でしょう。
何かのために存在しなければならないわけではもちろんない。
しかし、何のためにもならないならば存在する意味も見失われて当然ではある。
そして、ただ存在するなんてことはできない。
存在するためにはコストがかかるのだ。
もう牧歌的な時代は終わった。
最近の文学部不要論は問題外だがね。
- 69 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 19:45:08.91
- >>68
>何のためにもならないならば存在する意味も見失われて当然
それなら、やっぱり、なにかのために文学はあるということになるんじゃないかい?
- 70 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 20:59:25.48
- なにかのためにナイのならばただの痕跡なのか>文学
- 71 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 21:43:49.18
- では文学はなぜ存在するのかね
- 72 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 21:45:10.95
- >>69
社会が文学に意味を読み込んでくれなくなるということだよ
その先にあるのは消滅
- 73 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 21:56:05.62
- >>72
文学の意味というのは難しい概念だ。
文学が、たんに娯楽としての物語から始まっているというよりも、神話から始まっているといった方が適切だ。
その根源には、共同体としての社会がある。
一方、現代の社会に共同体としての神話の構造がなくなっているかというと、そういうわけでもない。
その神話的な構造がむしろ社会に強く残されている以上、文学の物語性が消滅することもない。
社会の神話的な構造への対峙が、文学の意味ということになるのだろう。
- 74 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 22:07:12.71
- >>73
その書き方だと社会の神話的な構造と対峙できなくなったら文学の存在意義は無くなってしまうわけだね
- 75 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 22:09:54.61
- 漫画、映画、音楽も広義の文学といえるかもしれないが、いま話しているのは小説や詩という形式をとる狭義の文学の話
狭義の文学はどうすれば生き残ることができるのか?
- 76 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 22:17:27.73
- 神話をコードの集まりであると考えれば、文学とはコードとの対峙かぁ
- 77 :吾輩は名無しである:2014/09/28(日) 22:22:10.59
- このまま文学補完計画の話になっていったりw
- 78 :吾輩は名無しである:2014/09/29(月) 00:03:12.17
- そういや石川忠司・神山修一の「文学再生計画」なんて本もあったな。
14年も前だったか。J文学はどこに消えたんだ?まだあるのか?
- 79 :吾輩は名無しである:2014/09/29(月) 00:19:41.87
- 文学の影響力が落ち続けているのは間違いない
昔みたいに週刊誌を騒がせる作家なんてもういないし
- 80 :吾輩は名無しである:2014/09/29(月) 09:49:09.51
- たまにいる記号論止まりの人ってなんなんだろう
今は記号は情報って言葉に取って代わられて普段使いされてるのに
- 81 :吾輩は名無しである:2014/09/29(月) 11:01:25.71
- >>74
そう思ってる。
- 82 :吾輩は名無しである:2014/09/29(月) 21:37:10.54
- >>80
量子情報論で文学を扱おうとするとガキがつっかかってくるからw
- 83 :吾輩は名無しである:2014/10/01(水) 11:17:50.70
- >>82
ガキにつっかかられる程度のレベルなんだろう。
- 84 :吾輩は名無しである:2014/10/01(水) 14:56:07.70
- >>82
ガキはガキを呼ぶの好例
- 85 :吾輩は名無しである:2014/10/02(木) 23:31:48.76
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- 86 :吾輩は名無しである:2014/10/06(月) 22:53:40.07
- 「行為としての読書」ヴォルフガング・イーザーなど読み返していると、ひょっとすると筒井康隆よりもおもしろいんじゃないかとさえ思う。
量子情報論でも量子系は(通常)ヒルベルト空間で扱われる。これを文学理論にまでひっぱってこようとすると、そこがネックだ。
文学理論が「物理量」を扱うようにはみえないからだ。
しかしながら、エネルギー=物質=情報であるならば問題はないw
現実的に情報がエネルギーに転換できる以上、文学もエネルギーを生むわけだ
- 87 : ◆9Ce54OonTI :2014/10/09(木) 13:11:28.17
- つまり
- 88 :吾輩は名無しである:2014/10/13(月) 20:43:55.04
- 数学も数学言語で語られている。語られているということに着目すれば「文学」なのかもしれない。
科学とは「関係」を探ることであり、文学とは「関係」を「作る・創る」ことだ。
科学を(関係の)「発見」とするのならば文学は(関係の)「発明」に相当するのかもしれない
- 89 :吾輩は名無しである:2014/10/13(月) 20:57:35.54
- 仮説・仮設によるアブダクション。
文学は「虚構」であり、それは科学におけるアブダクションに対して逆向きのアブダクションなのではないかと思う。
(主に)「解明」ではなく「創造(・破壊・維持)」のためのアブダクション。
- 90 :吾輩は名無しである:2014/10/14(火) 20:04:55.91
- 文学から得られた、得られると思う特徴的なモノ
て在るんだろうか?君達はある?
- 91 :吾輩は名無しである:2014/10/14(火) 21:30:19.49
- >>90
たしかに、ないな。
でも文学だけじゃなくて、実用品以外は、やっぱりなんの役にも立ちそうもない。
- 92 :吾輩は名無しである:2014/10/14(火) 21:39:48.82
- >>90
物質的に得るものはないけど、読んで感銘を受けたとか文学以外のもの(漫画、映画、音楽、美術など)では得られない感覚で楽しめるとかはあるだろう
精神的なものを得るものがないと否定するなら、文学以外の色んなものを否定することになるぞ
- 93 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 09:23:42.66
- ふつうに、あるだろ。アホか。
自分以外の他者を知るということだ。
他人の立場になって、その思考を深く知るというのは、文学以外にない。
文学でなくとも、客観的にまたは表面的に他人の考えや感情はわかるだろうが、
思考そのものを一致させることはテキストを読みあげる過程でしかできない。
また、思考する人間は言葉を使うが、ふだん接している書籍から拾ってきている。
だから本を読む人間は語彙が豊富になり、つまり言葉の概念を多分に理解しており、
本を読まない人間より抽象的な事象をすばやく捉える能力に長けている。
これこそ特徴的なものといっていいかもしれぬ。合掌。人
- 94 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 09:42:22.34
- >>92>>93
文学を読んで得たものがある分だけ、失ったものもあるような気がする。
子供のように現実に心を動かされることがなくなった。
- 95 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 14:25:10.97
- それかんけいなくない
- 96 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 14:59:35.71
- >>93
微妙に違う気がするな。
概念を把握できること自体がいいんじゃなくて、いろんな概念を知ってると
そこに収まらないものがある時にすぐ気付けるからいいんだよ
- 97 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 17:50:48.79
- >>95
本を読んで感動したあとの自分をよく思い出してみなよ。
それまで尊敬していた人がつまらない人に思えたり、正しいと思っていた社会が間違いだらけだから革命を起こさなくちゃいけないとクーデターを賛美するようになったり。
なにかを得たかわりに、なにかを失ってるんじゃないだろうか?
- 98 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 17:59:02.13
- 何も失っていない。
失ったものは、妄想のたぐいなのだから。
本によって啓蒙された。
自分勝手なイメージの中で生きていた無知蒙昧がようやく日の光を浴びた。
ようこそ、こちら側の世界へ。
- 99 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 18:18:05.44
- このスレで理論の話をしてるのをみたことがない
- 100 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 18:51:18.14
- >>98
97みたいなのはもとの妄想から別の妄想にはまる、
いわゆる本に読まれるタイプ。こういう人はあまり読まないほうがいい
- 101 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 22:28:39.69
- つみかさなっただけで失ったわけじゃないと思う
- 102 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 23:40:55.98
- カントによれば、啓蒙とは何かに頼ろうとする心を自立させること、ということになる。
人や社会に頼っていた幼児が、読書によって書物に頼る青年となる。
これが、読書によって何かを得て何かを失う、ということの意味だろうな。
読書をしなければ現実の中で自立したかも知れない青年が、読書によって書物に頼る青年となってしまう。
- 103 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 23:54:17.14
- 読書に頼る?
それはたとえばどんなふうに?
具体的事例が浮かばないだろう。つまりそれは現実には存在しない。
読書は読書であって頼ることはできない。
テレビに頼る、と言い方が存在しないように。
- 104 :吾輩は名無しである:2014/10/15(水) 23:56:59.62
- 読書に頼ったから現実で自立しないんじゃなくて
その自立しなかった奴が読書に逃避していただけだと思う
アニオタが殺人鬼になるんじゃなくて殺人鬼がアニメが好きだっただけ ってなもん
- 105 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 00:06:07.41
- >>103
たぶんショウペンハウエルの『読書について』みたいなことなんじゃないか
読書に頼るってのは
- 106 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 00:07:01.14
- ちなみにお守りをテレビに頼るという言い方もある
- 107 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 00:26:17.74
- 読書に頼る、じゃなくて、書物に頼る。
読書に、というとなんでも本を読むこと自体に頼るという感じだけど、書物に、というのは、どちらかといえば特定の著者に頼る感じかな。
似て非なることかも。
- 108 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 00:34:19.50
- >>103
単純なことだと思うけどね。
それまで親や教師の言うことに頼ってきた少年が、読書によって感銘を受けた著者の書いていることに頼るようになる。
自分で考えないという意味ではどちらも同じこと。
- 109 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 09:55:57.85
- グーグル万能!なんでもできる!・・・みたいなやつ?
- 110 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 10:26:22.12
- >>109
そうだね、同じだと思う。
200年以上前の大哲学者の指摘は、いまでも生きていると思うな。
- 111 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 12:32:05.90
- >>108
それは違う。文学作品を読んでいない証拠。
感銘を受けるということを、知識を得ることと勘違いしている。
そうではなく、考え方が変わったり、価値観が多様化したり、
またこういう生き方をしててもいいんだ、いやだめだこれからは生き方を変えよう、
など、意識が変わるのが読書のいいところ。
だから同じ本を読んでいても、人によって違いが出る。
要するに、文学作品は、教科書やマニュアル本、自己啓発本のたぐいとは違う。
もっといえば、考えるチャンスを与えるのが文学作品か。
だから、自分で考えない、という発想自体がそもそも不自然だった。
それはまだちゃんと文学作品を読んでいないからである。
読んでいても、あらすじだけを追いかける小学生読みをしてしまい、
ちゃんと読めていないのかもしれない。
- 112 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 14:17:24.05
- >>111
「価値観が多様化したり、こういう生き方をしてもいいんだ
いやだめだこれからは生き方を変えよう、など意識が変わる」
、、、って、これぞまさに「教科書やマニュアル本、自己啓発本のたぐい」
の効能だよね。あらすじ追ってるだけのほうがまし
- 113 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 16:22:40.05
- いや、違う。
教科書は、年号を覚えたり、化学式を覚えたり、楽譜の記号の意味を覚えたり、
方程式の解き方を覚えたり、考えずに、素直に覚えて、
問いがあれば覚えた手順通りに覚えたものを当てはめること。
マニュアル本は、どうしたらいいか説明してあるから、自分で考えずに、
その説明通りすればいいこと。
自己啓発本は、「人生は金じゃない、楽しむことだ」のような
キャッチフレーズが先にあって、心配事や困難なことがあったときに際して、
そのフレーズを思い出し、考えずに、つねに前向きに進んでいくこと。
どれも「考えずに」がキーワード。
文学作品は、正解が書いていないから、自分で考えなければいけない。
だから全く別物。
- 114 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 16:27:52.82
- ツッコミどころはいろいろあるが言わんとしてることはわかる
要は答えが一意に決まらないということだろ
- 115 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 17:20:24.62
- >>113
みたいなのこそ「そういうのが文学作品」ってどっかで刷り込まれたのを
そのまま書いてる気がするわ
- 116 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 17:36:03.73
- いや、真実は一つ。
そんだけの話。
- 117 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 21:22:03.31
- >>116
真実は、その人ごとにもその人の状況ごとにもあるんじゃないかな?
真実はたくさんあるともいえるし、真実などないともいえるだろ?
- 118 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 21:50:31.52
- >>117
いや、真実は一つ。ただし、環境による。
つまり、様々な条件によって変化する。この場合はこう、あの場合にはこう。
将棋や囲碁をイメージすればいい。かならず定石ができる。
しかし、その定石が覆されることもある。
それは秘められていた条件が露見することによって。
文学とは要するにその秘密を解き明かすことであり、同時に、
定石を一つ一つ作り上げていくことである。
そしてまた新たな定石を追い求めることこそが真実を追い求めることでもある。
複雑になればなるほど、人の深みに入れば入るほど、真実は闇に閉ざされ、見つけにくい。
そこで闇の中を手探りで進むように、人は読書をする。
真実の光を少しでも垣間見たものは、それを書に書き残す。
そうやって人類は未来永劫、文学を愛し続けるであろう。
- 119 :吾輩は名無しである:2014/10/16(木) 22:25:37.45
- 「いや」からしか始まらない文は感じが悪いというのも真実
- 120 :吾輩は名無しである:2014/10/17(金) 20:22:44.90
- >>118
そっちが将棋や囲碁を持ってくるなら、こっちは家の外に出て海岸の話でもしてみよう。
海岸の陸と海の境界というのはどこだと思う?
半分だけ濡れた一粒の砂でも探すかな?
でもその砂は動いちゃうし、海の波だって一度として同じではない。
境界の真実は、無限にあるとしかいえないんじゃないかな?
もちろん、境界には真実はないといっても同じだね。
いくら深みに入っても、いくら手探りしても、もちろん読書をしても、陸と海の境界はわからない。
それはすべてが動いているからだ。
読書をすることは、現実の動きをとめることでもある。
もしかしたら、読書のたびに人間の真実から離れていくのかも知れないよ。
- 121 :吾輩は名無しである:2014/10/17(金) 21:53:05.30
- >>120
いや、違う。
真実というものがまるでわかっていない。「定義」と勘違いしているふしがある。
学校教育の悪いところがでているのだろう。
定義を覚えればそれを答えつまり真実と思い込む癖がついている。
だから、定義できないから真実はない、と、ややトンチンカンな結論を導き出している。
真実とは疑うこと。ひたすら疑うことで、
もう疑いようがないところまで来た時に、ようやくたどり着く。それが真実となる。
陸と海の境界線に真実を見出すのならとことん疑うべきだ。
ここが陸、いや、ここまでが陸、ここからが海。いやいや違う違う……
そうやって追究していくことこそが真実を追究することだ。
途中で諦めたら、そこで終わりです。真実にはたどり着けない。
文学とはまさにそういった旅。個人ではなく、連綿と受け継がれてきた人類の叡智、道。
そしてテキストはその足跡にすぎない。
そして読書をするということはその足跡をたどることにすぎない。
読書をし足跡をたどった先には道はまだない。現代を生きる我々がその先の道をつくる。
未来の人々はその道を読み、そしてまた未来に向かって、真実にたどり着く道を歩む。
読書のたびに、いや、テキストの道が、刻々と切り開かれているこの今この時にも、
人類は少しずつ、しかし、着実に、真実に近づいていっている。
そして、文学にたいする信仰、この真実を求める信仰心こそが、我々の進むべき道を照らす光であるだろう。
- 122 :吾輩は名無しである:2014/10/17(金) 22:19:46.60
- なにこのキチガイ
- 123 :吾輩は名無しである:2014/10/18(土) 10:44:36.16
- >>121
そうか、学校教育が悪いのか。
>定義できないから真実はない、と、ややトンチンカンな結論を導き出している。
ふーん。
定義のかたまりの卓上ゲームに真実があると書いたのは、誰だっけ?
>真実とは疑うこと。ひたすら疑うことで、
>もう疑いようがないところまで来た時に、ようやくたどり着く。それが真実となる。
これは、「真実」の「定義」だよねw
>人類は少しずつ、しかし、着実に、真実に近づいていっている。
自分で定義した言葉を結論にするのは、循環論法だよ。
疑うことが真実への道だと思うなら、真実の存在自体も疑わないと真実に近づけないんじゃないか?
- 124 :吾輩は名無しである:2014/10/18(土) 12:55:43.85
- >>122
単なる否定厨じゃないの?
- 125 :吾輩は名無しである:2014/11/02(日) 14:48:49.68
- 文学理論というより言語とか認知とか記号とかに近くなるけど、(数学言語の)圏論を使って考えるのもおもしろいと思う。
テクストを圏論使って扱ってみようなんて奇特な論文はないんでしょうかね。
- 126 :吾輩は名無しである:2014/11/02(日) 15:02:31.98
- 圏論入門教えてよ
- 127 :吾輩は名無しである:2014/11/02(日) 17:26:08.46
- >>125
とりあえず、自分で書いてみなよ。
- 128 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 01:36:33.54
- 対象としての「言葉」は恒等射を持っている。対象とはモノとかコトのようなものではなくアイデンティティという自分自身への射なのだと考えながら、「言葉」のつながりを図に書いていって射(矢印)をどんどん増やしていったらおもしろくなってきた。
他の言葉との射(矢印・関係)を増やしていったら、「言葉」のアイデンティティが太っていくようにみえたのだ。
- 129 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 02:13:17.37
- >>128
弥生時代へタイムスリップしろw
- 130 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 10:56:43.26
- >>128
なぜ、ただの射じゃなくて恒等射だと思うの?
圏論などの数学はまったく分からないけど、直感的に変だと思うんだ。
- 131 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 16:12:52.60
- >>130
思う、のではなく、恒等射を持っていないと、対象として捉えることができないという理由。
自己同一性を持たないものを対象として扱おうとすることは難しい。
それでも囲いこめばなんとかなる。囲い込んだ姿(とりあえず中身には触れない)が恒等射を持つということでもあるわけ
- 132 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 16:32:38.08
- 「本質」に触れることを禁忌として、関係のみを扱う、それが現代科学。
Conceptual Mathematics, 2nd Editionが欲しかったんだけど、ちょっとしか圏論にふれていない「記号論理学講義」清水義夫を買ってきた。
昔書いた卒論が知識表現関係だったもんで、圏論で考えなおそうかと。
- 133 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 16:41:14.71
- しかしながら文学理論を扱うなら清水義夫よりも清水義範のほうが役に立つ、かもしれない
- 134 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 18:38:16.50
- >>131
恒等射をいうのは自己同一性のことなの?
>恒等射を持っていないと、対象として捉えることができない
>囲い込んだ姿(とりあえず中身には触れない)が恒等射を持つ
上下の文には矛盾があるんじゃないの?
- 135 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 18:39:39.91
- >>134
恒等射をいうのは −> 恒等射というのは
- 136 :吾輩は名無しである:2014/11/03(月) 21:44:13.89
- そうだね。2つめは、恒等射を持たせるということ。そうでもしないと「取り扱えない」から無理やりw
「猫」は「猫」でないかもしれないけれど、少なくとも「猫」が「猫」であるという射がひとつぐらいないと困る。
そうでないと「猫」を「猫」として取り扱う足がかりすらなくなってしまう。
観測した時点で「猫」じゃないものになっている可能性はある。
そう考えると「対象」とは架空のものかもしれない。しまった。哲学かよ。
- 137 :吾輩は名無しである:2014/11/04(火) 11:01:58.05
- >>136
そうすると、恒等射というのは普通にいう意味での自己同一性のことではないような?
自己同一性というのは、サルトルやドゥルーズが現存在としては不可能なありかただと指摘しているよね?
日本では埴谷雄高も。
数学はまったく分からないから、自己同一性という言葉を数学でどう使うかは知らないけど。
- 138 :吾輩は名無しである:2014/11/05(水) 20:02:23.57
- なーんか面白い本ないのかなぁ
- 139 :吾輩は名無しである:2014/11/06(木) 00:01:29.51
- >>138
吉本隆明『言語にとって美とはなにか』。
安いし、用例も豊富。
- 140 :吾輩は名無しである:2014/11/06(木) 06:45:29.46
- >>139
いつものおっさんか?読んだ読んだ。三浦つとむ「日本語はどういう言語か」も読んだ。
でも教えてくれてありがとう。
- 141 :吾輩は名無しである:2014/11/06(木) 10:38:12.52
- >>140
感想はある?
- 142 :吾輩は名無しである:2014/11/06(木) 10:44:02.42
- >>140
三浦つとむなら、『認識と言語の理論』がおすすめだよ。
ついでに時枝誠記も読んでおけば、表現としての言語理論の大枠がわかると思う。
- 143 :吾輩は名無しである:2014/12/06(土) 20:54:43.53
- http://www.youtube.com/watch?v=ZfYKGrEf6tM
- 144 :吾輩は名無しである:2014/12/07(日) 01:41:24.51
- 文学理論て平たく言うとどういうことやってるの?
この文章の解釈はこうだ!
いや違う、それはこうに違いない!
とかそんなん?
- 145 :吾輩は名無しである:2014/12/12(金) 20:11:01.91
- >>144
平たく言うと、ただの記号がなぜ人に映像を見させたり心を動かしたりするのか、てことかな?
- 146 :吾輩は名無しである:2014/12/27(土) 21:38:37.60
- >>145
なぜなんですか?
- 147 :吾輩は名無しである:2014/12/27(土) 23:50:10.32
- >>146
人間は、刺激に対して意識が動く。
その動いた意識が、さらに自身の意識を刺激することで、意識は現実から離れる。
現実から離れた意識は失った現実を再構成しようとする。
それが想像による映像。
文字は記号として、ある共同体の共通の決まりごととしての同じ映像を要求する。
決められた映像に対するそれぞれの個人の感覚の差が、それぞれの文章表現を生み出す。
この差の埋め方の違いが、たとえば作家の個性であり、文学の価値の根拠となる。
- 148 :吾輩は名無しである:2014/12/28(日) 06:10:20.67
- >>144
文学を妥当に評価する方法じゃね
- 149 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 06:44:46.27
- 廣野由美子『批評理論入門』の「T 小説技法篇」を
詳しく述べた本があれば教えていただけますか?
- 150 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 06:57:53.78
- 新書の読解本とかあんの?
それとも小説の技法を個々にもっと詳しく知りたいの?
それとももっと別の何かを意味してんの?
- 151 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 10:31:15.85
- ありがとうございます。
>小説の技法を個々にもっと詳しく知りたいの?
これです。
『批評理論入門』で取り上げられる技法は、
「冒頭」「ストーリーとプロット」「語り手」
「焦点化」「提示と叙述」「時間」「性格描写」「アイロニー」
「声」「イメジャリー」「反復」「異化」
「間テクスト性」「メタフィクション」「結末」
以上です。
ここに含まれないものでも結構です。
新書でなくていいです。
むしろ分厚くても詳しかったり幅広い方がありがたいです。
よろしくお願いします。
- 152 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 11:05:23.56
- 古いけど「読む事典」っぽいものから入れば?
こういうのはでかい公立図書館に眠ってると思う
カーリルローカルあたりで調べてみては
現代批評理論 22の基本概念
http://www.amazon.co.jp/dp/4582733913/
続:現代批評理論 +6の基本概念
http://www.amazon.co.jp/dp/4582733948/
- 153 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 13:50:20.47
- 自分のいってる大学の図書館で探せばいいんじゃないか?
司書も常駐してるだろうから、聞けば参考文献ぐらいはわかるだろう。
もちろん、学校の友人に聞くのが一番いいと思うが。
釣りとか宣伝じゃないなら、自分で探せよ。
- 154 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 14:53:20.49
- >>151
デイヴィッド ロッジ『小説の技巧』
レオン・サーメリアン『小説の技法』
訳は見てないんで、どんな訳か分かりません。
用語については以下が便利かもです
『コロンビア大学批評用語辞典』
『最新文芸批評用語辞典』
それと漢文学系については興膳弘の諸訳が便利
インド系は手頃なのがないですね。
あとプロップやアリストテレスも読んでみるといいかもです
- 155 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 15:58:37.70
- 司書って文学理論嫌いな奴も多いからかたよるんじゃないの
- 156 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 16:07:39.87
- あの新書たしか廣野の卒論じゃん
巻末章末に参考文献一覧が付いてたハズだ
- 157 :吾輩は名無しである:2014/12/31(水) 16:55:54.47
- >>155
なんだそれw
司書に嫌な思い出でもあるのか?
- 158 :至高の狐高文学者 筆まめ先生:2014/12/31(水) 23:42:44.48
- 昔文学部唯野教授とかあったけどあんなのでもいいんじゃ。
検索の元手。現代思想なんかのほうがいいかもね。
やっぱ教授に師事すべきではないかな。
時間 間テクスト性 結末 だけでいいんじゃ。冒頭は長くなる。
読んでるほうがひまでしょ。
- 159 :151:2015/01/01(木) 21:51:09.65
- 皆さま、ありがとうございました
読みやすそうなものから順に読んでいきます
- 160 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 12:22:08.77
- S/Zみたいな、小説の企みや仕掛けを解き明かしていくような本って
他にないですかね?
- 161 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 14:24:44.58
- 無ければ自分で書けばいい
PDFで上げてもいいよ
- 162 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 14:44:03.39
- おいおい、それはねーべ
書けるヤツが、あんな質問するわけねー
- 163 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 15:34:07.59
- バルザックレベルの奴がここにいるわけねー
- 164 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 15:52:29.84
- ロラン・バルトは学術的にはスカスカだけど、
批評家としてはすごいからな
真似するのむずい
晩年のダラダラエッセイはみんな真似するけどS/Zはなかなかできないね
- 165 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 16:04:18.75
- バルザックとは違うのだよ!ザクとは!
- 166 :吾輩は名無しである:2015/02/06(金) 16:08:14.54
- 何でその界隈に同性愛者が多いのだらう?
- 167 :吾輩は名無しである:2015/02/16(月) 22:06:55.59
- こういうのどーなんだろ
文学部のある大学では必ずあるような理論だけど
批評の分類でしょう こういうのってつまらなくしているな
- 168 :吾輩は名無しである:2015/02/16(月) 22:11:09.46
- 受講者は文学作品の読み方を学ぶって感じだよね。必要だと思って
よく読んだこともあったけど、最近ではバカらしいし時間の無駄。
- 169 :吾輩は名無しである:2015/02/16(月) 22:17:31.46
- 前から、また、今でも相変わらず大学で持ち出されている文学理論ってもう駄目だなぁ
と、思う。教えることがないから講義しているっていうバカ教授だらけだもんなぁ
- 170 :吾輩は名無しである:2015/02/16(月) 22:20:10.01
- 文学理論なんて駄目だろw
あんなのクソだなw
- 171 :吾輩は名無しである:2015/02/16(月) 22:28:29.12
- 野崎歓のアンドレ・バザンがたのしみだわ
- 172 :吾輩は名無しである:2015/02/16(月) 22:37:54.24
- 基本、文学研究はエンタメじゃないから、そういう面白味はないですね
- 173 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 00:12:51.39
- 野崎歓とかつまんねえもんな
- 174 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 11:45:52.86
- ほっとくと「作者の意図」とか「登場人物に共感できるか」のどっちかに流されるから、
文学理論がそうでない読解を示す必要があると思うわ
- 175 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 12:39:16.90
- 作者の意図、登場人物への共感、という色眼鏡的な弊害は学校教育の賜物だろう。それは文学理論を礎にした教育ではないのか?
- 176 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 12:45:06.12
- そもそも文学作品の名作には、体制批判が多分に含まれている場合が多い。だから左翼的な作品がノーベル賞を独占したりするわけだ。
それを体制側ともいえるアカデミズムで扱うわけだから、当然文学理論には嘘や誤魔化しが入るわけだな。
- 177 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 12:47:50.36
- だから、安倍ちゃんがマスコミに飯驕り。まくってるようなもんなんだよ。
飯たらふく喰って肥えた腹で描かれたのが文学理論ということだ
- 178 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:15:46.28
- 過去の名作には体制迎合的なものも多くあるでしょ
ただノーベル賞クラスになると、「自国語を超えて読まれる価値が有るか」が問われるから、
ご当地の偏見丸出しの右翼的な先品は、別の国のやつが読むとドン引きなので、自ずと除外されるだけ
特に左翼というわけでもないでしょ
- 179 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:16:50.81
- 三島由紀夫なんかは右翼的だけど、だからアウトだったわけではないだろう
- 180 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:18:03.27
- アメリカの右翼カントリー・ソングが、音盤バカ売れしてても国際的影響力がないのと一緒だな
- 181 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:19:23.49
- 有色人種みんなしね!みたいな鬱屈した貧困白人の心情をぶつけられても困るわ、みたいな感じになる
三島由紀夫は右翼的だけど翻訳を通じて一定の評価は受けてるから、
ご当地的価値観丸出しの稚拙なポピュリズム右翼とは別物だね
- 182 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:24:43.88
- 三島由紀夫は右翼かなあ・・自身の思想の実現の為に天皇を持ち出した、つまりたまたま利害関係が一致しただけであって、別に体制迎合的ではなかろう。むしろ左翼的と言えるんではないかと俺は思うけどな
- 183 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:41:31.24
- その左翼の定義がおかしいと思うわ
- 184 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 13:50:18.39
- 元々右翼というのは基督協会迎合ということだからな。神の教えは絶対でそれにかまけてカソリックは聖書を良いように歪んだ解釈、拡大解釈してきたわけだ。
左翼は、それに反撥する自由主義者というわけ
- 185 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 14:28:58.03
- その定義だとイギリス国教会やプロテスタントの体制派まで左翼になるだろ
- 186 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 14:30:50.95
- 政治入れて読んでるヤツは、エンタメとしても学問としてももったいない気がするけどね
- 187 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 14:50:29.34
- 書かれる文芸読まれる文芸はどのような種類であれ
その時々の政治形態に左右される
政治こそが文芸の源泉だ
人間の社会活動の頂点たる政治から全てのテクストは産出される
- 188 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 14:59:12.99
- 神話も演劇も、王権と密接に結びついてきたのは紛れもない事実なので、
完全スルーは無理では
- 189 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 15:46:38.53
- 現代の日本で左翼といえば、労働者や社会的弱者の利益を最優先する立場のことで、右翼といえば、日本の価値は天皇にあるとする立場のこと。
両者は同じ軸での対立項ではない。
だから、ときとして弱者救済など、左翼と右翼が同じような主張をすることがある。
同じ軸での左翼の反対概念は、保守。
保守とは、資本家の利益を最優先する立場のこと。
保守を自認する人は資本家の利益を、日本の国益という言葉に言い換える。
ちなみに、保守理念の中には現状固定、あるいは過去のある時期の政体の評価が含まれるので、現代の感覚から見ると差別主義者でもある。
曾野綾子という人の最近のコラムがその象徴といえる。
- 190 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 20:23:03.16
- >>188
そういう政治的背景は別にして、テキスト自体に政治を持ち込んでグダグダいってんのって
多くが頭の悪いパンクスとかメタルが、政治を歌うと賢く見えると思って歌ってるような気がする
いや、切実なラッパーとか、そういうのって政治というより生活苦だったりするんで、そういうのはアリだと思うんだけど
- 191 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 20:34:35.23
- >>190
政治というのは国家の理念をどうするかということ。
その理念によって税金の使い道が決まる。
理念である以上は、その理念に対する個人の位置というものも当然ある。
文学が個人の理念を含めた精神の表現であるとすれば、その中に政治性が含まれることは普通にある。
- 192 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 21:21:38.75
- >>190
潔癖な中立性の幻想じゃないですかね
ウヨサヨみたいなの嫌がってるんだろうけど
- 193 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 21:22:27.45
- おそらく、文学その他芸術にかんして、中立状態を確保しようとしたら、
極右と極左のチョイスはなくなる
- 194 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 21:22:56.53
- でもそれって、脱政治じゃなく、政治の結果得られた中立性ですので。
- 195 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 22:34:25.66
- >>192
つか、あまりにステロタイプて面白味の片鱗もない
政治語るなら、文学より歴史でしょ
シナ史書とか、西洋史書とか、日本史書とか
西洋の史書から政治はほとんど知らないけど
シナと日本はかなり面白いよ
- 196 :吾輩は名無しである:2015/02/17(火) 23:59:41.51
- シナ表記にこだわるあたり、政治性明白だなw
- 197 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 00:17:11.89
- ていうかネトウヨじゃねえか笑
- 198 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 08:47:53.02
- 文学では「支那」。漱石の時代から慎太郎に至る現代までの常識。
- 199 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 09:01:18.26
- 石原慎太郎w
- 200 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 09:23:43.09
- おまえが慎太郎を超えろ。
残念ながら慎太郎を超えるのがいない。
- 201 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 10:06:00.29
- つか、そういう些細とこで政治にもってくとことか、どうしようもなくつまんない
- 202 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 10:19:59.62
- >>201
政治というほど大層なもんじゃないw
日本人の一部が持ってる島国根性。
根拠なく日本は偉いと思いたいから、近隣を蔑むことで自分を納得させる。
日本がかつてその国や地域を蹂躙していたときの呼称に縋り付いてるだけ。
- 203 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 12:23:29.23
- 洗脳されてるのか?
それ、まるっきり朝鮮人のイメージだろ。
根拠もなく韓国は偉い。日本をバッシングすることで国民の納得させている。
日本人でも一部に偉そうなのはいるが、ちゃんと韓国の文化を受け入れ、韓流ブームもあった。
日本人は総じて謙虚でおとなしいんだよ。気が小さいともいえるが。
反日運動や告げ口外交など日本を蔑むようなことをしなれば、それなりに交流は続いていただろう。
馬鹿なことをしてめちゃくちゃにして。
だいたいおまえの歴史認識がおかしい。蹂躙したというのも半分ファンタジーだろ。
西欧の、植民地政策の波に、アジアも巻き込まれた。基本はこれだ。覚えておけ。
おまえにいう島国根性だから、日本人のメンタリティーは、基本、鎖国なんだよ。
歴史を語るのなら正しい歴史認識をもて。
プロパガンダのもとにつくられた歴史で語るな。ちゃんちゃらおかしいわ。
- 204 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 14:35:52.13
- >>203
ふむふむ。
降伏した日本にアメリカ軍が進駐してきたのも、蹂躙されたんじゃなくて、日本人が頼んだから、と φ( ̄ー ̄)メモメモ
もちろん、西欧の植民地政策も、蹂躙なんかじゃなくて、未開の土人国に西欧の高い文化を伝えてあげた、と φ( ̄ー ̄)これもメモしとかなくちゃ
ほかにも、なにか正しい歴史認識ってある?
- 205 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 14:39:59.34
- 集中して念を送れば原発が止まるのは(ピュア界では)常識
ついでに原爆は高度なamericanジョーク
- 206 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 16:18:40.27
- >>203
お前が小馬鹿にする「韓国の中でも酷い類の歴史認識の持ち主」とそっくりだなw
- 207 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 16:22:46.48
- >>204
毛唐が植民地政策でアジア各国を侵略したんだよ。それが蹂躙だ。国土は荒らされ、住民は虐殺され、富は搾取される。
日本は朝鮮と併合した。が、これは蹂躙ではない。
それが証拠に日本と併合した期間に、朝鮮人の人口は増え、平均寿命も伸びた。
日本の国費を使って半島のインフラが整備されて近代化し、朝鮮の庶民の識字率も高まった。
これが厳然たる事実。嘘がつけない歴史的証拠だ。
これを侵略と称し、植民地にした、蹂躙した、というのが、捏造であり、いまの朝鮮人にとってのファンタジーだ。
そして、欧米人による極悪非道なアジアでの侵略を隠蔽するために、日本が侵略戦争をした、というのが戦後の洗脳教育だ。
しかし、時が経てばすべて明らかになる。なぜなら、厳然たる事実として、動かぬ証拠が残っているからだ。
体験者や証言者なる者が出てきて言いたい放題いってもこういったものは覆せない。
そしてファンタジーに基づく歴史観には証拠はない。証言や妄言のたぐいによって構成されている。
30万人の死体や20万人の売春婦など、そのモノ自体がどこにもない。
もちろん戦時中だから日本人のなかにも非人道的なことをした奴はいただろう。
しかしそういった一部の犯罪者をもって日本は蹂躙したというのはお門違いだ。本質を見誤る。
日本が降伏した時に、米兵による暴行やレイプ事件はむごたらしいものだった。朝鮮ヤクザや支那ヤクザによる犯罪もそれは酷いものだった。
しかし、そういったもので、いまのアメリカ人や朝鮮人、支那人を罵倒するはドアホのすること。
どうだ? 正しい歴史認識の意味がわかったか?
証言は証拠ではない。証拠とは確固たる事実のみ。その事実のみに基づいて、歴史を学べ。
おまえは脳がおかしい。洗脳されたままだからだ。わかったな?
- 208 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 18:09:44.03
- わかったな?じゃないわ、スレ違いじゃ、アホ
- 209 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 18:53:57.54
- >>207
ふむふむ。
西欧の植民地では人口が増えなかった、と φ( ̄ー ̄)これもメモしとこう
植民地時代の人口増加率。
フィリピンは2%/年、ラオスは1.8%/年、朝鮮は1.2%/年。
ほんとだ、朝鮮も増えてる。
他の植民地でも人口が増えてるのは、きっと嘘なんだろうな。
まだほかにも、証拠がある正しい歴史認識ってある?
- 210 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 19:50:53.95
- >>209
人口増加は、国単位ではなく、民族で調べろ。
朝鮮人の数。フィリピン人の数。わかったな?
アメリカも人口増加した。しかしインディアンは絶滅した。
この意味わかるな?
さあやれ。
- 211 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:08:46.13
- >>210
ふむふむ。
自分では調べないで適当なことを書いておくのが、証拠がある正しい歴史認識、と φ( ̄ー ̄)メモがいっぱい
ほかにも、正しい歴史認識ってある?
- 212 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:09:24.00
- ああ、あと、ライダハンについても調べておけ。
朝鮮人の売春婦が混血児を産んだという歴史的事実はない。
しかしベトナムでは混血児生まれまくっていた。なぜだ?
そういったことを探ることが正しい歴史認識であり、説得力のある文学理論の組み立てにも利用できる。
スレタイにマッチしたな。
- 213 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:11:43.35
- ライダハンという単語に思わず吹いた笑
- 214 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:12:08.64
- >>211
やはりおまえの脳はややおかしいな。
自分で調べることが、洗脳されない唯一の手段だってことだ。
ヒントは授けた。すべて自分の手でとことん調べろ。他人に頼るな。
- 215 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:16:41.26
- >>214
どう観ても皮肉だろ
- 216 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:25:11.70
- >>212
ふむふむ。
あちらこちらのネット情報を寄せ集めれば、説得力のある文学理論が確立できる、と φ( ̄ー ̄);メモがおいつくかな
まだ、正しい歴史認識ってある?
- 217 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:27:32.73
- >>215
それをいったらこの一連の話はすべてネタなんだが?
チョンコロの話なんかどーでもええんだよバ〜カw
レスを伸ばしてこのスレに貢献してやったんだから、褒めろ!
文学とはいかに無駄話を面白くするかだ。その実践。
理論を実践して見せた高度なワザだな。
てか、だいたいチョンコロが日本人と対等なわけねえだろ。格が違うんだよ、格が。
断交しろ、断交を。
- 218 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:29:12.73
- >>216
失せろ、カス。相手にしてやったことを光栄に思え。あと、はよ帰れ。
おまえはいらねー子なんだよ。
- 219 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 20:47:51.61
- >>217>>218
ふむふむ。
アーリア人が世界の支配者、と φ( ̄ー ̄);がんばってメモ
そうか、ナチスの思想が正しい歴史認識だと主張してたのか! (((;゜Д゜))) ガクガクブルブル
- 220 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 21:08:01.81
- こいつ何歳なんだろ
それだけが気になる
- 221 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 22:21:31.17
- おいおい、罵倒されたのに変な気を使うな。予定が狂っただろ。
さっきのが序破急の破。ネタ晴らしと共にいきなりのヘイトで「こいつキチガイか」と思わせるところだ。
で、そっちが怒って、こっちがすまなかったな、じつはこれこれでこうだ、で、その落差によって真実みが増したうえで、締めとして完成する予定だったんだよ。
ま、しかし、流れはつかめたろ。この流れが序破急を基にした一つの文学理論だ。
文学とは中身ではない。メソッドだ。その巧みな表現方法によって人を惹きつける。
これは独自の考えだが、>>220が関心をもったのは、それなりの効果があるってことの証明でもある。
どうだ? すげえだろ? 文学とは中身でない。メソッドだ。これこそ旧来の価値観を根底から覆す新たな価値観の創出だ。これが21世紀の新文学理論だ。ひれ伏せ。
- 222 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:15:58.41
- >>221
>文学とは中身ではない。メソッドだ。その巧みな表現方法によって人を惹きつける。
主に文だけど、中身も無関係ではないと思うは
あと技巧に走り過ぎるのは、幼稚というか無粋だな
メタルとかリストとか、どうだ早いだろうみたいな体育会系の香りがする
- 223 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:26:02.31
- >>222
そう思うだろ。それが今までの常識だった。
だが、振り返ってみろ。数々の文芸作品を読んできたが、ほとんど覚えていない。
そりゃいくつか記憶に残っているフレーズや名言の類いなどがあるが、粗筋すら忘れているものだってある。どういうことだ?
読んだ記憶はある。感動したような記憶もある。しかし内容はほとんど覚えてない。これが真実だ。
断言しよう。中身は、無関係だ。だから中身はなくてもいい。
https://www.youtube.com/watch?v=ToJD5r2SmwI
- 224 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:29:53.92
- >>221
>文学とは中身でない。メソッドだ
ふ、ふ、ふ、古い ・・・
古すぎる ・・・
メモする気にもならない (;゚Д゚;)
- 225 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:33:28.42
- >>223
それは読むもの次第じゃないか?
つまんないのは忘れてるけど、興味深いのは覚えてるは
- 226 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:47:43.57
- 顔文字の痛さは理論を超える
- 227 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:48:33.80
- >>225
読む量しだいだろ。数が増えてくればわかる。
わからなければ、他のものに置き換えてイメージしてみろ。
テレビや映画など、生まれてこのかたずっと見てきているはずだ。大笑いしたり感動したり、そのときは興味深く見入ったものでも、すでに忘れているだろ。
そりゃ幾つかは覚えている。しかし、それは、たまたま、だ。
なぜなら記憶に残っているものが優れた文学作品ではないからだ。刺激的なものは忘れない。それだけのこと。
そう、刺激的なもの、インパクトのあるもの、トラウマになったもの。これらは忘れない。中身の優位性というより、脳に与える刺激の強さだ。
- 228 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:51:06.88
- >>226
もう、イタスレになってるから、お似合いだろ?
- 229 :吾輩は名無しである:2015/02/18(水) 23:54:05.26
- >>227
いわゆる文学は最近読まないけど、多国語で結構読んでるつもりだけど
映画も音楽もよく覚えてる、映像記憶や音楽の記憶の方がいいから
ただ40年ぐらい前見たものを、久しぶりに見た何作かは筋はだいたい合ってたけど、映像記憶と違ってて自分で映像を作ってたらしいのは何作かあるけど
- 230 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 00:05:34.57
- >>227
こういうバカがいるから文学気取りで「人を殺してみたかった」とか
言いだす奴がいるんだろうな
- 231 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 00:11:45.59
- >>229
で、その覚えているものは文学的価値が高く、覚えていないものは文学的価値が低い、と言えるか?
言えないだろ。だから、だ。
記憶ならリアルな人間とのつきあいのほうをよく覚えている。事細かにな。しかし、そこに文学的価値はない。いい思い出にすぎない。
では文学的価値とはいったいどこに見出されるべきものか?
ここで「中身は関係ない、中身に因らない」という大胆な発想の転換を提示したわけだ。
すごいだろ。常識をくつがえすだろ。
そういうことだ。
- 232 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 00:20:09.27
- たとえば、>>230のような煽りは、レスの内容に意味はない。
ああいったレスは、相手の反応を見るために、つい入れたくなるものだ。匿名だと特に。
つまりこれも同じ。中身は関係ない。価値もない。
本人も本能というか感情によって書かされているだけにすぎない。
しかし、メソッドとして確立している。煽りという一つのスタイルとしての、技術だ。
目的としては、注目をされたいために一心にやる。
まあしかしこれを意識的にやるか、悔しまぎれの感情でやるかではまったく技術としては別物ではあるが。
- 233 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 06:09:24.28
- それは三島由紀夫が言った「文学とは本質的に方法論を模索、探究する芸術である」だろ。全然新しくないぞ?
例えば、その言葉が言われたであろう60〜70年代かな、JAZZも似たような思想を持ってたんだな。おそらくJAZZだけじゃなくて芸術全般がそうだ。
とにかく前時代の模倣から脱却して新しい方法論を、と全てのジャンルでやってたんだな。その結果が前衛芸術とか実験とか言われるやつだ。ようは鑑賞者を置いてけぼりにし過ぎて相手にされなくなっちゃった
JAZZでいえばフリージャズね。あとは現代音楽、現代美術etcetc……ぜんぶあの時代だよ。
まあ温故知新で過去から学ぶのは良いことだが、もうちょっと頭使って考えたら良いんじゃないか?
- 234 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 07:26:20.99
- >>231
別に常識を覆さないし、単にドキュン的に断言してハッタリかましただけ
- 235 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 09:41:18.13
- 『フランス現代思想史』のプロローグで、「フランス現代思想はばかげた文章とあからさまに意味をなさない表現に満ちている」との切り口はなかなかにカッコいいですね
- 236 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 10:22:30.67
- >>232
掲示板は自説をぶつところじゃなくて意見をやりとりするところ
「お前頭悪そうだよ」がという意見が煽りか事実の指摘かはその人の判断による
- 237 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 11:38:07.12
- >>233
まったく理解できてないな。では教えてやろう。
やや難しいことをいうから、頭をフルに使って、ついてこいよ。自分の足りなさを他人のせいにするな。
中身は関係ない、中身に因らない、というのは否定的真理だ。
その自衛隊上がりのド素人、三島某は書き手側の身勝手な主義主張をしている。もうその時点で古い。古くさい20世紀のクズどもと同じだ。こちらと一緒にするな。
おまえの例に沿って解説を施せば、鑑賞者を惹きつけるのが、中身に因らない方法であり、そのなかにおいて文学的価値というものは、鑑賞者の手によって発見される偶発的なものであり、その蓋然性は鑑賞者の知性、レベルによって大きく異なる。
このレスも、高飛車、攻撃的ニュアンスを醸し出すことによって読み手を惹きつける。いわば反発心を利用し最後まで読ませている。
その上で書かれている中身については、ここではおまえが、その価値を見出す。おまえの知的レベルが低ければ得るものは何もない。
ではこちらが意図して価値のあるものを書いているのかというとそうではない。むろん価値はあるがそれを目的としていない。だから中身は関係ない。何でもいい。タイミングさえ合えば。
言い換えれば、この世の中のすべてのものに価値は存在する。価値を見出すことはできる。どんな人間の人生にも意義があり意味がある。その価値を見出すことはできる。
ようはそれが、こちらの提示した否定的真理の行きつく先であり、いわゆる文学の到達点だ。
全否定においてすべてを肯定する。誰もが意識しつつも、誰もが発想し得なかった真理。
また結論を直截にいえば、中身に依拠しない著作物は、神の産物だ。神のギフトだ。
理解できたか?
- 238 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 12:55:06.76
- >>237
それ広告代理店で使い古されてるよ、てな風にかまってあげればいいんだろ?
がんばれー \(⌒o⌒)/
- 239 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 15:52:13.60
- ツッコミどころ満載の文章を上から目線で晒すのって煽りなの?
- 240 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 16:16:41.57
- 煽りじゃなくて釣り
- 241 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 16:58:28.56
- それは到達点じゃなくて、元々文学とは書かれた一番最初からそういうものだろ。
目の前にあるペンを持ち上げて「これはペンです。」と言ってるに過ぎないのに
なんでそんなにドヤ顔なんだよ
もうちょっとマシな事に気づいてからドヤ顔しろよ
- 242 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 18:05:25.08
- いや、違うな。見ろ。>>240を。これがすべてを物語っている。
どうやら庶民には理解が難しいようだから、平たくいおう。
2ちゃんねるは文学たり得るか?
ようするに、これだ。おまえは、なぜ2ちゃんねるのレスを読んでいる? いや、読まされている? 毎日毎日な。まともな読書もせずに。文学的価値などないはずなのに?
つまり、文学的価値はあるんだよ。
それが常識を打ち破る新たな認識であり、おまえたちを惹きつけてやまない21世紀文学の芳香だ。どうだ? すごいだろ。目が覚めただろ?
2ちゃんねるのレスなど誰も真剣には書いていない。いいかげんなものだ。中身など糞。そうだろ?
煽り、釣りのたぐい。しかしこれは裏を返せば、人を惹きつける魅力である。
では、そもそも文学とは何か?
定義しようか。記憶に残るものが文学ではない。ではなんだ?
読者の脳を刺激し、思考を促すものだろ。その思考の連鎖反応だろ。どうだ? ここまでついてこれてるか?
そして、見ろ、こいつを>>239。この者の心理は「ツッコミどころ満載」と煽ることで「俺にも一言いわせろ」と挑んできている。こちらが煽り返したら、そこで書きはじめようとしている。
小心者で自信がないから、おまえが煽ってきたんだから、適当なことを書いてもいいんだ、という許しを請いながら、な。
いいか? 2ちゃんねるのテクストに価値を見出すのは、おまえだ。そしておまえは、自身の脳が刺激を受け、その心地よさに酔いしれているからいまや中毒者となっている。
新たな発想、思想、考え方を求め、日夜うろついている。そして今、おまえは偉大なるテクストに出会った。書き込みを見た。
この瞬間に、おまえは世界最高峰の文学に触れたんだよ。わかったか? これがネット社会が生み出した最新の21世紀の文学だ。どうだ? まいったか。泣け、わめけ、神に感謝しろ!
- 243 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 18:07:55.60
- いや、マジですげえな俺。自分で読み返して感動したわ。
- 244 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 18:30:10.86
- まさに宗教は麻薬 だな
相手を罵倒してコケにしてケチョンケチョンにするのは楽しいから
掲示板方式で匿名のSNSは楽しい
その罵り合いを神を中心にしてやるのが宗教で
ありとあらゆる難癖を付けて相手を罵倒してもいいことになっている
平然とdisってもいい活動様式が宗教活動だから
神への敬虔さとかはどうでもいい
宗教の本質は異教徒を排斥する快感にある
相手をやり込める楽しさにある
その攻撃過程が麻薬だ
そして言うとおりに中毒になる
それが言語だけで単体で確立していると
その背後に控えている宗教の構造/disりの構造を見落とす
相手に「勝利」することそのものが目的となるから
その題材は紙だろうが文学だろうが政治だろうがなんでもいい
そこには罵倒とdisの作法のみが存在する
反論不可能な決定だを出して相手をやり込める楽しさ……というのが
宗教は麻薬、の本当の意味だ
人を引き付ける魅力の実態はこの言論の宗教的構造にある
相手をやり込めてこちらが勝利するという筋書きにある
最後に、神に感謝してるんだからそちらの文芸の神に祈ってるんだろう
だからこれはますます宗教戦争をしたいという欲求から引き起こされたものだと分かる
その気持ちよさの源泉は他者を排除すること・やり込めること そこに起因する
どちらかの側の神が勝つ……という結論は宗教の議論そのものだ
宗教の麻薬性は相手を攻撃できるところにある
攻撃欲求が刺激され、それが麻薬となる
- 245 :吾輩は名無しである:2015/02/19(木) 23:06:54.75
- めっちゃどうでもいい話してるな
- 246 :吾輩は名無しである:2015/02/20(金) 09:44:02.06
- 最近の文学研究の流行りって何なの?
論文がいっぱい書かれてるテーマとか
このスレは文学理論って名前だけど、もう文学理論ではないよな
- 247 :吾輩は名無しである:2015/02/20(金) 10:53:00.61
- テクスト論の成果が草稿研究に応用されたりした後、
20世紀の色々な理論を組み合わせて使ってるのではないかという実感
- 248 :吾輩は名無しである:2015/02/20(金) 10:55:13.66
- テンプレ的な歴史修正主義者が来ると荒れるんだよね
- 249 :吾輩は名無しである:2015/02/20(金) 18:56:13.02
- まあ 文学理論をやっている大学教員は文学を知らない。
そして、これからは文学理論が文学研究に不要となる。
いまだに文学理論ww
- 250 :吾輩は名無しである:2015/02/20(金) 19:33:49.02
- 文学を知るというのは、どういうことを言うんだろう?
- 251 :吾輩は名無しである:2015/02/20(金) 21:35:18.47
- >>246
なにを求めているの?
文学作品の理解?
言語表現の本質のようなもの?
文学研究といっても漠然としてるから。
- 252 :吾輩は名無しである:2015/02/21(土) 18:01:17.48
- 大学の文学部を潰すべきだなw文学研究は無くてもいいだろw
別の角度、切り口から文学をやればいいんだよw
わからんだろうなww
- 253 :吾輩は名無しである:2015/02/21(土) 18:55:43.53
- >>252
どんな角度のどんな切り口から文学やればいいの?
- 254 :吾輩は名無しである:2015/02/21(土) 19:32:57.45
- 妄想語りじゃね
2ちゃんとかロッキンオンみたいな
- 255 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 09:33:08.48
- 保守や右翼に日本文学研究潰す勇気あるわけないじゃん
右派の大学って低偏差値だから文学部全滅は自らの首を絞める
- 256 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 09:34:39.39
- 財界流新自由主義と保守〜右派の「国民道徳教育」の間で、
文学研究を潰すなんてことしたら、先進国落ちまったなしだろ
馬鹿じゃねえの
インテリを皆殺しにしたポル・ポト政権かっての
- 257 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 10:13:19.00
- >>256
共産主義だと古い文化は、非科学的だからじゃね
文化大革命も同様
焚書坑儒も廃仏毀釈も近いものがある
- 258 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 11:08:26.73
- 実用学問だけでかまわんという新自由主義って、
極端な共産主義と同類なんだよね
- 259 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 12:05:08.30
- >>257->>258
政治というのは理念の実現だから、敵対する理念を排除、否定することが必要。
歴史上の事件も、安倍政権の情報規制法制や報道規制の強化も同じこと。
と、一応マジレスしてみる。
- 260 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 13:37:27.73
- 政治は妥協の芸術であってほしいは
- 261 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 13:58:21.14
- 多数派の理念を実現しながら、少数派の理念もその割合で生かしていく。
それが民主主義だ。
政党ごとにひとつの理念を強制する党議拘束というのは、もっとも民主主義からは遠い姿だな。
民主主義の大先輩アメリカでは、議員を政党が拘束することはないそうだ。
日本人は民主主義が怖いから、多数決がすべてに優先される全体主義的国家になりやすい。
民主主義というのは、妥協ではなく、少数派の理念の組み込み方ということなんだ。
- 262 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:08:17.41
- だいたい日本の新自由主義者って、市場の淘汰に任せろ!じゃなくて、
「市場を優先する俺達の思想を通せ!」だからな
文学部は「淘汰される」とするならわかるが、
政策的に潰させるのは、ただのイデオロギーだろ
- 263 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:10:37.21
- アメリカよりインドやドイツを見習って欲しいが
属国じゃむりだよな
政治の話は、いいかげんスレ違い
- 264 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:16:58.80
- >>263
どうせ過疎ってるんだからかまわないと思うけど、インドとかドイツって、どういうこと?
- 265 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:23:29.34
- 定期的に「文学理論潰せ」とか「イラネ」みたいな暴論が居座るから、
逐一潰すべきでしょ
政治プロパーの話じゃないですよ
- 266 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:25:36.71
- だいたいそういう暴論吐く奴は、
あいまいに「共産主義とか左翼の全体主義が嫌い」なつもりでいるんだが、
そいつの発想がまさに最悪の全体主義になってるからウザいんだよね
アメリカのリバタリアン右翼ならば、徹底的な政府不信に基づく自助努力だけど、
日本で自助努力とか自己責任とかいってるやつは、
単に政府の犬になって気に喰わないやつを見捨てろと言ってるだけのクズ
- 267 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:26:13.24
- アメリカは自分たちの価値観を押し付けて価値に従わないものは排除してく政治でしょ
インドは相手の価値を認めて妥協点を探してく政治
ドイツは EU での活躍や先日のウクライナ問題を見ればわかるでしょ
立派だ
- 268 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:28:54.91
- インドは知らないがドイツは完全比例代表(5%条項はあるけど)だからでしょ?
- 269 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:36:46.95
- 犬が尻尾を振るんじゃなくて尻尾が犬を振っている、ってことを抑制する政治的技術を担保するだけの政治技術がないとね。
その意味では55年体制と自民党派閥政治は良く出来てた政治だったな。だから世界史上唯一の社会主義国家ができていた。
まあ、文学に戻ると、文学理論ってのは尻尾が犬を振ろうとしてるんだな。
もっとも、尻尾に振られているバカな犬ばっかりだけどね、当代は(嗤
- 270 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 14:57:52.40
- まじ、文学理論っていらんなぁ
- 271 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 15:36:50.51
- 現代文学理論は別にして、評価するにあたって基準はいる
少なくとも西洋だけでなく、インドでもシナでも日本でもあったから
- 272 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 16:07:11.90
- >>267
インドは階級差別と、低階級の女の人権は認めない国、という印象しかないな。
ドイツは現ウクライナ政権のクーデターを支援した国のひとつだし、原発廃止も一度は否定して福島を見て廃止に戻しただけだし、高く評価する理由がわからないな。
日本よりはマシ、とは言えるだろうが。
ちなみにドイツの文学はゲーテあたりで止まってるような気もする。
- 273 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 16:11:58.41
- >>271
中国をシナと書く人って気持ち悪いね。
中国の歴史や文化に対する劣等感の裏返しにしか見えない。
自分や自国の文化に自信があれば、ことさら一般的な表記を変えることはないだろう。
なんだか、こっちまで恥ずかしくなってくる。
- 274 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 16:41:35.73
- 闘争の末にメジャーな物語が選定され決定するのであって
文芸内部にその基準は存在しえない
だからありとあらゆるストーリーは商社が作る
- 275 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:08:05.34
- シナは、清が滅んで大陸が混乱した時、孫文がつくった言葉だ。孫文は台湾でも大陸でも国父として尊敬されている。なぜ日本人が使うと差別になるのか、さっぱりわからない。
- 276 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:15:24.40
- シナ人はチベットやウイグルを侵略し中国と称している。
チベットやウイグルの独立を認める世界中の人々はだからシナのことをChinaと表記している。
シナ人の暴挙を許すな。中国という通名を使っての犯罪行為を許すな。
- 277 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:17:55.17
- またシナ人は「Made in China」から「Made in PRC」という表記に変えてきた。
気をつけろ。
- 278 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:23:57.21
- 中国を中国地方国の略称だって思ってる非左翼リベラルは「中国」ってゆう。
中国を中華国の略称だって思ってるネトウヨは「支那」ってゆう。
だから支那っていうより中国ってゆう人を攻撃しなくちゃいけないんだよブサヨはさw
- 279 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:36:11.19
- レッテル貼りでごまかすな。
支那人、朝鮮人が犯罪を繰り返し、日本人が警戒すると、差別と言いだして、
中国人、韓国人と名前を変える。が、またもや犯罪を繰り返してイメージが悪くなると、
PRCやコリアなどと表記を変える。
おまえは異常だ。根っからのペテン師。死ね。
- 280 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:40:08.89
- 要はさ、偉大な古代中世文化を持ってる外国は、1853年以前なら中国しかなかったけど、
それ以後はいっぱいある国のうちのひとつなだけ。
その国の一つが「中国」って自分を言ってるなら日本語呼称も「中国」でいいじゃん。
料理のジャンル名ならいざ知らず「中華・国」と表記しろとは言ってないんでしょ?
- 281 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:47:40.97
- 台湾は中国か? チベットは中国か?
答えろ。
- 282 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:48:34.30
- 英国・米国・仏国なんかの表記とおなじだよ「中」国もさ。その字に中華の意味はないんだよ。
- 283 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 17:50:07.86
- 日本の尖閣諸島を中国というシナ人の暴挙を許すな。
- 284 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 19:37:27.82
- ほんと政治の話ってしょうがないな
芸能ネタのがマシだ
争いにならないだけ
- 285 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 19:55:33.59
- >>281
台湾もチベットも中国の一部だよ。
学校で習わなかったのかい?
>>283
ポツダム宣言を受諾した以上、尖閣諸島は日本の領土とはいえない。
帰属の決まらない領土紛争地。
- 286 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 20:36:14.97
- お前ら大澤聡の批評メディア論よめ
- 287 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 20:50:21.20
- 1885年以降の帝国主義的手法によって強奪した領土の即時返還、ということだけど
その決定はGHQの専権事項なんだね。
また、ポツダム宣言におけるシナとは蒋介石政権のことであり、
北京政権はニクソン訪中による国交回復よってこの条約を継承した。
その際に尖閣諸島海域の帰属には政府首脳間での密約があった、としている。
ここら辺は米国公文書館による外交文書公開がなされないと何とも言えない。
50年経たないと公開されないから。
ということは2022年にはすべてが判明する。
まあ、田中角栄と周恩来との間でどのような密約が交わされたかにもよるのだけれど、
これは日中ともに検証することが非常に困難だ。
- 288 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 21:02:31.53
- >>287
>ポツダム宣言におけるシナ
シナじゃなくて中華民国=中国、な。
歴史上の名称まで改変しないと気が済まないのかw
おまけに訪シナ、じゃなくて訪中とかw
- 289 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 21:19:39.77
- >台湾もチベットも中国の一部
それは台湾原住民・チベット住民が決めることで、それ以外の人、ましてや現政権の決めることではない。
歴史的に、というなら、中国北辺国境は万里の長城。
現中国の国土は清帝国の最少版図を受け継いでいるもの。
事実は事実。贔屓の引き倒しはやめようね。
- 290 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 21:26:48.03
- >>289
そんなことを言えば世界中の国境線が根拠を失う。
最大紛争地ともいえるイスラエル・パレスチナをはじめ、北アイルランドもバスク地方もトルコのクルド族居住地域もウクライナ東部も、日本でいえば沖縄もかなw
少し頭を冷やせ。
- 291 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 21:26:52.22
- 清帝国はいわゆる征服王朝だからね、自国領土+中国本土+属領、がその国土。
念のため。
- 292 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 21:32:44.64
- >>290
もし仮に沖縄の人たちが独立したいとして(平和的に)独立するなら何の文句もない。
否決されたけどスコットランド独立と同じだ。
他のところは実際に暴力で土地の取り合いを今やっているのだから、言論的理屈は無意味。
理屈がどうでも、勝つっきゃない、の内戦だ。
- 293 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 21:58:36.11
- アンドレ・バザンの『映画とは何か』(岩波文庫)を読み始めた。
凄い凄い。
興奮、だ。
くだらん、巷に溢れる批評文を読んでいる場合じゃねえ。
野崎歓らの翻訳陣にただただ感謝。ありがとう!
- 294 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 23:46:17.32
- >>293
ステマでも紹介してくれるのはいいな。
文学でも文学理論でもないけど。
- 295 :吾輩は名無しである:2015/02/22(日) 23:58:30.30
- むしろ読みたくなくなる
- 296 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:01:39.68
- アンドレバザンなんて聞いたことない。
読んでみるよ。野崎歓が推すんだからね。
- 297 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:02:42.71
- W
- 298 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:03:17.64
- 否、文学関係には違いないよ。
- 299 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:03:23.69
- >>295
ほかに読みたい本がたくさんあるから、このくらいのステまではちょっと無理、だよねw
- 300 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:03:52.23
- >>298
映画論が文学?
- 301 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:10:15.09
- まあ、読んでみろよ。
- 302 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:13:18.00
- >>301
いやだよ。
映画には全然興味がないw
- 303 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:13:25.16
- アンドレ・バザン。野崎歓。新鮮だよねえ。ほんとはどちらも大御所だけど。
- 304 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:17:52.45
- >>303
まあ、ここで本が1冊売れれば、岩波の経営もその分助かるんだろうな。
もうちょっと読みたくなるようなコピーを考えなよw
- 305 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:18:16.77
- 映画に興味を抱かなかったってことは、どだい、文学なんてなんら無縁であったってこと
わかったかい
文学的な人間であれば、必ずや、映画に興味を抱くものさ
おまえ、(文学関係の道は)あきらめるんだな
- 306 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:19:32.12
- >>305
漱石は映画を見たことがないと思うがw
- 307 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:21:57.49
- もちろん、現時点を標準に語っているのだよ
おまえは化石か
- 308 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:23:00.10
- そもそもおまえは映画ができてからどのくらい経っているのかもわからないのだろう
無知蒙昧の輩だろうね
- 309 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:26:46.92
- アンドレ・バザンも過去の人なんですが
- 310 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:27:32.61
- >>307
大江は映画好きなのかな?
- 311 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:28:10.53
- しかも、映画監督ですらない
- 312 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:28:31.73
- 大江健三郎は無類の映画好きです。
- 313 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:30:45.51
- 今更アンドレ・バザン言われてもねえ
- 314 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:33:16.57
- ここはバカの巣窟だから逃げるよw
- 315 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:38:12.98
- たしかに野崎歓がバカってのはわかった
- 316 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:47:12.21
- それにしても、
かすかにもバザンの重要性を認識していない阿呆どもが、
こういった名前のスレにタムロしてるもんなんだねえ、ワロタ
世界一、情けない奴らだ、ワロタよ
- 317 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:49:06.68
- 野崎歓がいけなかったんじゃね
- 318 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:50:43.81
- >>316
あーあ、これで未来の読者を失っちゃったねw
ほっとけば、いつか読むやつも出てきたかもしれないのに。
- 319 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:51:24.41
- 野崎歓は凄い人間だとしても、バザンの凄さとは全く関係のない話なのだよ。
ほんと、おバカさんだね。
- 320 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:52:50.65
- じゃあ、翻訳しなくてよかったんじゃね
- 321 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:53:49.40
- 本日の結論。
『映画とは何か』岩波文庫(上下巻になる)、凄まじく素晴らしい本なのである。
- 322 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 00:56:54.53
- 映画とは何か
(上)
アンドレ・バザン
野崎 歓,大原 宣久,谷本 道昭 訳
だろ、スゲーぜ
- 323 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 01:26:51.46
- おまえ下手だな
- 324 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 03:17:50.49
- 文学理論というよりもフィルム・スタディーズの方じゃないのか
映画板にあるかどうかしらないけど
- 325 :吾輩は名無しである:2015/02/23(月) 06:36:38.44
- >>305
それ文学というか、ヲタとか空想好きってだけじゃないか
ドラマ『デート』の巧くんみたいな
オイラも好きだが、自慢できるもんじゃない
- 326 :吾輩は名無しである:2015/02/26(木) 13:32:09.07
- 映画なんて文字通り100年古いわ
100年前の映画に相当するのが、今のソーシャルメディア
まぁ、こんなこと言っても馬鹿にされるだけだろうけど
100年前に映画の芸術性を主張する人が馬鹿にされてたみたいに
- 327 :吾輩は名無しである:2015/02/26(木) 14:18:29.19
- >>326
>100年前に映画の芸術性を主張する人が馬鹿にされてた
いまでも同じだろ?
- 328 :吾輩は名無しである:2015/02/26(木) 14:51:28.03
- 日本では、芸術性=糞つまらないもの、だからね。
- 329 :吾輩は名無しである:2015/02/26(木) 16:02:02.19
- >>326
なるほど、そうかも
特にコマーシャルにならないうちは、そうかも
素養がないとつまらないのは何でも同じじゃね
因みに書、数年前まで楽しめなかったけど今、凄く面白い
- 330 :吾輩は名無しである:2015/02/26(木) 17:45:15.00
- プーシキンの抒情詩は詩文書抜帳の韻文から生まれ、ブロークの詩はロマの唄から
マヤコフスキーの詩は滑稽詩から生まれている
新しい芸術形式とは下等なジャンルを正式なジャンルにしたものにすぎない BY.シクロフスキー
- 331 :吾輩は名無しである:2015/02/26(木) 23:57:39.24
- >>326
いい映画に感動したこともない人が、なにも知らずに大いばりでいってることが笑える
- 332 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 00:14:37.15
- >>331
感動は作品の価値の保証にはならないんじゃない?
- 333 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 00:29:38.29
- 女性職員に「イヒヒッ」とイタズラ電話−早稲田大学講師逮捕
交際断られイタズラ電話920回
早稲田大学総長室秘書課に約920回にわたって無言電話をかけたとして、
警視庁戸塚署は22日までに、偽計業務妨害容疑で埼玉県飯能市の同大
文学部非常勤講師、安藤優一郎 容疑者(37)を逮捕した。
調べに対し、同容疑者は「秘書課の女性職員に好意を持ち、声が聞きたくて電話した」と話している。
- 334 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 06:56:13.95
- >>332
そこに客観的な批評基準を提示しようとする理論派と主観的な感動派の壁があるじゃね
- 335 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 09:53:44.08
- >>334
「主観的な感動派」も、感動とは少し違う感覚、たとえば考えさせられたとか、笑ってしまったとかいう感じを持つこともあると思う。
それぞれ、自分の中での評価のランクはあるのかな?
- 336 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 14:07:08.71
- >>306
漱石の時代には、もう映画あったよ。「元来私は活動写真と云うものをあまり好きません」って言ってるけど。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/788_44902.html
- 337 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 14:11:40.89
- あんまり意味のない仮定だけど、過去の有名な映画監督たちが現代に生まれてたら
たぶん映画は撮らずに現代の最先端の表現を選んでるだろうね
- 338 :吾輩は名無しである:2015/02/27(金) 14:35:23.95
- >>336
そうか、ありがとう。
漱石は映画否定派だったんだな。
- 339 :吾輩は名無しである:2015/03/01(日) 10:16:39.72
- 文学理論は駄目だな 作品を読まずに批評を読んで誤魔化すようなものだし
作品を多く読んで文学について考えるのとは違う 無い答えを楽して探すようなものが理論だ
これは文学ではない
- 340 :吾輩は名無しである:2015/03/01(日) 10:44:46.16
- 文芸の理論には2種類あり
それは読み手側のものと書き手側のものがある
読解か、あるいはまずは物語をどうやって組み立てて面白いものにするか
読む時のノウハウと、書く時のノウハウだ
すると今の文学理論は読み手側の方の理論の方が圧倒的に多い
この不均衡が文学理論をいびつなものにしている
そして読み手側の方は読解以上のことをしていないから
なおのこといびつさを加速させている
- 341 :吾輩は名無しである:2015/03/01(日) 14:07:31.42
- >>340
理論とノウハウは別、という考え方もあるみたいだね。
- 342 :吾輩は名無しである:2015/03/01(日) 18:05:01.70
- 340みたいなやつが保坂和志の小説論に飛びついて、
それはそれで状況をいびつにしている
- 343 :吾輩は名無しである:2015/03/02(月) 11:40:45.52
- >>340
>文芸の理論には2種類ありそれは読み手側のものと書き手側のものがある
結論から言えば、その区別なら「読み手側の理論」だけを研究してればオッケーなんだよ
なぜかというと、「読み手側の理論」と「書き手側の理論」は対立してるものじゃなくて、
「読み手側の理論」は「書き手側の理論」を含むものだから
つまり、「書き手側の理論」は「読み手側の理論」の一部なんだ
それがどう書かれているかっていう知識は読むためにも役立つからね
そういうわけで、「読み手側の理論」が充実すれば、
勝手にその中から「書き手側の理論」として使われるものが出てくるはずだし、
実際そうなってるんじゃないかな
- 344 :吾輩は名無しである:2015/03/09(月) 06:16:26.82
- 一方で地道な生成研究だって進んでると思うのだが。
- 345 :吾輩は名無しである:2015/03/09(月) 10:08:24.19
- >>344
どんなのがあるの?
- 346 :吾輩は名無しである:2015/03/09(月) 12:38:20.60
- チャットbotやtwitterボットはかなりのレベルまで来てる
これが進化すると文章を産み出すソフトウェアが出来るハズだ
- 347 :吾輩は名無しである:2015/03/09(月) 13:59:20.51
- は?何の話?
- 348 :吾輩は名無しである:2015/03/10(火) 15:57:13.90
- 純文学における良作、ダメ作の定義って何?
- 349 :吾輩は名無しである:2015/03/10(火) 19:14:42.58
- >>348
その基準を設定するのが文学理論。
- 350 :吾輩は名無しである:2015/03/10(火) 21:44:50.30
- 幻想振りまいた仏文の知的群像
比較文化史家、東京大学名誉教授・平川祐弘
東大の南原繁、丸山真男、マルクス経済学者の大内兵衛、都留重人などは1950年代初め、岩波の雑誌や朝日新聞紙上で
全面講和論を展開し、直接、間接に社会主義勢力を支持した。論壇を支配した勢力は60年には安保反対を唱えた。東大仏文の
渡辺一夫も、「今こそ国会へ」と学生のデモを支持した。デモの一部は暴走し、仏文科の助手Sは警官の警棒で頭を割られた。
国会前で女子学生が死亡するや、昭和の時代、興奮は絶頂に達した。
≪泰斗 渡辺至(いたる)の政治的幼児性≫
私も戦争直後は社会主義の優位を信じていたが、留学して西洋の新聞を5年間読むうちに、左翼幻想はさめてしまった。英米
が同盟するように、日米も同盟するがいい。そう思うようになっていた私は帰国直後、プラカードを担いで安保反対のデモに行
く仏文の連中と会っても話は合わなかった。昭和の女子学生の行動・・・
- 351 :吾輩は名無しである:2015/03/11(水) 01:59:00.28
- 編集者に気にいられ、出版して世間に受け入れられ、部数をのばすのが良作。
編集者に気にいられず、ゴミ箱行きなのがダメ作。
そして長い年月を経て生き残ったのが名作。
所詮は売文と出版のビジネス。
文学に基準なんてない。
文学理論ってのは、作品をあとから解説したもの。単なる主観。
- 352 :吾輩は名無しである:2015/03/11(水) 13:15:35.00
- 左翼が嫌いっていう人は、お金が好きなんだろうね。
あと、他人に従いたがる没個性の人。
昔の日本人はわりとお金が好きじゃなかったと思うけど、お金を目の前にちらつかせられると、そっちになびくのかな?
ちらつくお金は他人のもので自分のものになるわけじゃないのにね。
- 353 :吾輩は名無しである:2015/03/11(水) 15:38:48.22
- 犬猫や豚じゃあるまいし。第一必要な物を好悪で定義するなんざ、馬鹿のすること。
他人に従いたがる、ってのは個性では?(笑
- 354 :吾輩は名無しである:2015/03/11(水) 17:24:26.71
- >>353
やっぱり、あたってた?
左翼が嫌いって人は、論理的な思考も苦手なんだよな。
- 355 :吾輩は名無しである:2015/03/11(水) 17:47:37.02
- 論理的な思考が苦手なサヨク発見(笑
- 356 :吾輩は名無しである:2015/03/11(水) 20:12:51.98
- >>355
どこにいるの?
- 357 :吾輩は名無しである:2015/03/13(金) 21:46:56.75
- 中川郁子と門うんたら。
不倫の問題より遥かに重要なのが
互いの地元を行き来するランデブーの中で
公金流用があったのかだ。
たぶんあったろう。
政務官質をラブホ代わりに使っていたともいう。
そこらへんを徹底的に洗い出せ。
- 358 :吾輩は名無しである:2015/03/13(金) 23:11:50.54
- >>345
個別では仏文でしか知らないけれど、割りと有名なのがプルースト。日本人も何人かプロジェクトに参加していたはず。
そんな最近ではないけれど、ヴィクトル・ユゴーは1960年代あたりから草稿研究が盛んになった。
生前から評価されていた大作家は、死去すると一度反動で顧みられなくなるけれども、年月を経て再評価される際に草稿が注目される傾向はそれなりにあると思う。
何が言いたいかというと、文学理論や、地域領域横断的な研究は一見派手で人目を引きやすいし、様々な人の関心の的にもなりやすいけれども、地味な個々の作家研究を土台にしてることも忘れちゃいけないんじゃないかってこと。
スレ違いになってしまってすまんね。
- 359 :吾輩は名無しである:2015/03/13(金) 23:21:59.80
- たぶん「それはあくまで土台だってことを忘れちゃいけないんじゃないかってこと」
と逆側は思ってるんだろう
- 360 :吾輩は名無しである:2015/03/13(金) 23:25:32.87
- 生成研究って「人と作品」を精緻にしていくだけでそこそこ成果が上がるよね
あと、仏文の反理論的な人たちが溜飲を下げてる面があってなんだかなあと思うね
- 361 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 16:38:53.64
- 理論や方法を創らないことが良いのだよ。
まぁ 研究いう名目が欲しい奴もいるだろうけど、低脳がやってることだな。
- 362 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 16:55:45.59
- それってようは全集校訂だから「必要な作業」というだけのことだと思う
- 363 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 16:55:52.12
- 一通り理論などを見ておくこともあっていいだろう その後に >>361 のような境地に立つことがあるかもしれないけれど
- 364 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 17:00:10.69
- というか、生成研究は別にどんな理論とでも馴染むと思う
研究者が勝手にアンチ文学理論という意識でやってようとも関係ない
- 365 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 17:00:34.35
- 文学と政治や哲学や心理学を一緒にしないということか。別々ってことね。
- 366 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 17:11:27.03
- もうとっくに理論という時代は終わっている。逆に、文学は何でもありという自由な発想にもそれ以上の展開はないということであろう。
- 367 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 18:39:22.33
- 理論は終わった!とわざわざ言ってみたい「反理論派」の情熱が残る限り、
どうでも良くなってないじゃん、ばかなの
- 368 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 18:41:02.36
- 本当に理論の時代が終わった時は、別に使おうが使うまいがどっちでもいいという状態になった時。
じっさいの現状はそれに近いと思うが、
わざわざ「役に立たないものは潰したい」みたいに言われる限り、
それは邪魔者として「中立ではない存在」として立ち現れている
- 369 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 19:34:04.03
- 368の「・・・立ち現れている」←(´,_ゝ`)ぷ
- 370 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 20:59:50.63
- リチャード・パワーズが影響を受けた
ヒュー・ケナーの「ユリシーズ」論の邦訳誰かはよ
- 371 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:16:05.46
- ヒュー・ケナーの例の評論をだいたい全て目を通したが、英語が爺臭いよね。やはり駄目だと思うなぁ
もう少し良いかと思ったけど、中身が薄い。薄くてもピントがずれていなければ良かったが、
ヒュー・ケナーは全部捨てることにした。
- 372 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:35:26.52
- それでも2chは捨てないって
2chはどれだけすごいんだ
- 373 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:44:10.05
- パララックスとメテムサイコーシスの構成原理って薄いの?
バフチンのポリフォニーと同じぐらいの影響力ありそうだけども
- 374 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:44:29.47
- 2ちゃんねるは生きている書物だからな。
すでに書き終えた「死んだ」書物とは比べられないくらいすごい。
ってことだろうな。
- 375 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:44:32.50
- 2ちゃんなんてクソだろw馬鹿じゃねw
こういうのってはじめから捨ててるだろw
- 376 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:48:22.81
- ヒュー・ケナーについて言ってるやつはバカだな そしてヒュー・ケナーを引用している奴も糞
ビブリオにヒュー・ケナーが入っている批評は買わないこと
- 377 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 22:51:40.84
- 俺はヒュー・ケナーを読みたいから翻訳はよ
ヒュー・ケナーのメディア論的な視座ではなく
認知論的な視座についてもうちょっと詳しく知りたいんだわ
誰かまとまった論考はよ
- 378 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:04:15.99
- あっても読まないけど、翻訳あるんじゃないの 馬鹿ヒュー・ケナー
言語学の世界で「認知論的な」ってよく聞くよねwあれも糞だよねw
昨年だったか、東大の何とかの聞いたけどクソだったな
- 379 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:07:36.49
- ないよないユリシーズ論は大著で邦訳がまだなされてない
というか認知論的なって言語学の世界でしか聞かないというのは
ちょっと疎くね?ロールライアンとかハーマンとかがやってんじゃん
- 380 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:08:04.25
- 総合文化研究の言語情報だったな 東大のクソ
ありゃ駄目だ
- 381 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:12:56.87
- 評論や批評を翻訳するなんて馬鹿としか言いようがない 可哀想としか言えないね
まぁ このスレがそういうスレだから仕方ないが
- 382 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:16:08.12
- 意味がわからん難癖でわろた
翻訳で読めるに越したことないだろ
- 383 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:18:58.69
- ケナーを元ネタにしてる奴が翻訳されると困るからと
敢えて貶してる可能性もでてきたな
翻訳まで態々批判するのはおかしすぎる
- 384 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:25:12.48
- 小説なら翻訳していい物と翻訳しないほうがいい物があると思う。
批評なんか読む人間が決まっているんだからますます翻訳する必要がないと考えるべきだろう。
しかも批評や評論なんて参考にするものだし、ものすごくアホらしいなぁ
- 385 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:29:36.49
- ますます怪しいなやっぱこいつヒュー・ケナーを評価してるけど
元ネタがばれるからと翻訳されたくないだけだろうな
- 386 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:32:15.06
- 元ネタwww
そういうバカはいると思うよ 早稲田の小保方も同類だな
- 387 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:33:01.03
- ふつうはちょっと話題をふられたぐらいで
捨てるとまでディスりはしないよね
しかも英文で読むレベルで
ジョイス研究本だしユリシーズも読んでる
ことが前提だし趣味で読む本じゃないだろうし
- 388 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:35:51.80
- 批判の仕方が過剰だよな
- 389 :吾輩は名無しである:2015/03/14(土) 23:41:06.09
- 内容自体にふれずにただ薄いとしかレッテル貼りしかしてないところも怪しい
- 390 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 00:30:54.45
- >>358
生成研究って、作家論のことなの?
- 391 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 02:42:58.23
- >>390
生成研究=作家論とまではいかないけれども、草稿を読んだり異本の比較をするにあたり、作家の生涯を通しての思想や文体の変遷を辿ったりはするから、生成研究を作家研究の一領域とすることは可能なはず。
事実、テクスト生成に重きを置かれる伝記的批評はよく見る。
- 392 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 11:28:11.45
- >>391
ただ収集分類するなら、どこの大学でも様々な作家についてやってる。
一番確実な実績作りなのは確かだね。
でも、それは、文学の理論には全く影響を与えないだろ?
理論が分類に影響を与えることはあるけど。
- 393 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 13:11:53.62
- プルーストで草稿研究やってた仏文の人たちには、
アンチ理論意識が強烈だったのは事実だと思うよ
今では過ぎた話だ
- 394 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 13:14:09.14
- 吉田城にせよ吉川一義にせよ松澤和宏にせよ、
結局「論じる」時には理論的な話題を避けるわけにはいかない
- 395 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 14:42:14.84
- >>376
おれもそう思うよ。
ケナーは読む必要を感じないね。結局あの頃の批評でフローベールの影響がどうのと言っているものは駄目だということ。
ケナー以外で納得のいく批評を読めばいい。ケナーしか知らないバカはほっとけよ。
- 396 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 15:18:28.79
- あの頃(ジョイスの)のフランス文学の影響が強いのは分かるけど、
逆にフランス文学排除で考えたいね。
- 397 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 15:21:47.97
- 完全排除は無理だろ
モダニズムはそういうもの
- 398 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 15:23:21.40
- ヒュー・ケナーって80年代までだよ
まぁ 日本だったら90年代頃まで読んでその後はいらない批評家で
廃れた
- 399 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 15:25:24.87
- ある意味フランス文学排除の方向でってことだなw
- 400 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 15:28:53.49
- 何が言いたいのかわからん
個人的趣味か
- 401 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 17:01:25.21
- 既存の文学理論はもうたくさんだぁってことでもあるしょ
- 402 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 17:38:54.91
- そしたら新理論作らないと
- 403 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 17:40:04.09
- 「フレンチセオリー」というイメージの呪縛はもうないんじゃないの
未だにフランス敵視とか、二十年古い議論のように思うけど
ヒューケナーどころじゃない
- 404 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 17:41:14.29
- ケナーだって「過去影響を持った一人」程度だろ
このスレって全般的に、忌避することでアンチ対象を過大評価するやつが多すぎると思う
- 405 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 18:43:40.11
- クッツェーもヒュー・ケナー研究してたんだっけか
- 406 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 18:50:34.98
- http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1104332579/521
521 :吾輩は名無しである:2006/04/19(水) 13:51:48
そのつながりで思い出したことを。パワーズに会ったとき、『三人の農夫』のネタ
本の一つは Hugh Kenner のUlysses論ではなかったのか、という質問をしてみた。
実はこれ、『三人の農夫』を読んだときに真っ先に思ったことで、それをある文芸雑
誌の座談会でしゃべったことがある。まあしかし、ただの直感でしゃべったことなので
、その直感が正しいのかどうかは前から気になっていたのだ。
すると、パワーズは実にあっさりと、そうだよと教えてくれた。Kennerの家にも
行ったことがあって、凄かったという話までしてくれた。
言うまでもなく、Kennerも文系と理系の両刀使い。すべてが妙につながってくる
。不思議だ。
若島の推理があたっていたようだ
- 407 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 19:34:33.05
- そういやこの板って、英米文学だと若島、仏文だと野崎の信者が多いけど、
独文でそういう存在っていないの?
- 408 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 22:42:11.43
- 仏文=野崎歓、英米文=若島正・柴田元幸、伊文=和田忠彦、露文=沼野充義
独文=・・・確かに・・・いないね・・・・
- 409 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 23:03:52.02
- 池内が…。
まあ、人望がないんですけどね。
- 410 :吾輩は名無しである:2015/03/15(日) 23:53:03.32
- 池内は息子がクズすぎ
- 411 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 09:05:08.96
- 文学理論スレでは その人たちは翻訳者では
- 412 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 14:12:28.89
- 「理論なんかなくなれ!」という勢いの人にとっては、
翻訳者の解説こそが「じゃまにならない理論的考察」ということになるだろう。
若島はそのへんうまく立ち回っている。
もっと理論志向前面に出して独自の読解理論作ればいいのに、と俺は思うけど、
日本の外国文学&理論受容の現状では、ああいうスタンスが一番美味しい。
野崎歓も似ている。
アンドレ・バザンという理論家兼批評家の研究をしているが、
理論を表には絶対出さない。
- 413 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 16:01:05.04
- 「理論家の研究」は理論じゃないでしょ
- 414 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 16:23:50.65
- 言葉遊びのように聞こえるけれども
何を研究しようと、理論が出てきてしまえば、理論研究してるのと同じ
- 415 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 16:59:10.34
- 批評を完全に拒否したい気持ちって、
エンタメでしか成り立たないでしょ
しかも「商売ネタにいちゃもんつけるな」という売り手のロジック
文学は批評を内的に受け付けることで芸術の地位を得ている
- 416 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 18:55:41.10
- しかし翻訳だけじゃためだね。日本の学者は英語や仏語で批評を書く者が少ない。
それに翻訳者に頼んで英語や仏語に翻訳してもらうのも低脳の証でしょう。
商売として小説や批評を日本語に翻訳して本出してもねぇ
- 417 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 18:57:04.69
- 理論で格好つけてもねぇ
上の学者には興味ないし、まぁ 肩書きで仕事してきたんじゃね
- 418 :吾輩は名無しである:2015/03/16(月) 22:13:08.79
- 野崎歓とか和田忠彦って、とにかく文章に魅力があるというかね、愉しませてくれる。
非常にたっぷりとした学識が底を流れていて、その上で余裕で書いているような。
読書の快楽というの、それが何よりもないとね。
池内紀もそういった点ではなかなかいいのだが、ちょっと古臭いという感じが。
もうちょっと、先鋭的なところが彼には欲しい。
- 419 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 02:04:59.86
- >>418
http://www.geocities.jp/info_sjes/kaihou/kaihou18.pdf
そもそも下川の野崎批判はこのPDFから。まずこれを読め!
- 420 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 03:00:37.10
- 418みたいな奴が依拠する「読書の快楽」がある限り、
学者の批判を躱せてしまうんだよね
- 421 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 07:01:52.58
- そいつらも使い慣れた日本語と違い英語や仏語などの他言語によって同じことを感じさせるのは無理だろうよ
- 422 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 08:26:34.34
- 世界中を見回しても、源氏物語の前に物語はない。わが国の先人ははあれほどの知的財産を有しているのが事実。
外では文とは国史であり、権威の象徴であり、
せいぜいが英雄譚であった時代のはるか昔に、あれを樂しんでいたわけだ。
支那語の小説を日本では使っているけれど、小説は小説であり大説ではない。
ましてここのところ百年くらいで出てきた西欧流の文学理論なんぞで、たとえ後付けでも説明がまともにできる
わけがなかろう。何しろ、必須の事例がないんだから。
常識的にわかることを、なぜ優秀なんであろう学者連中がこぞって西欧優位主義に立つのか?
これも明らかで、大東亜戦争敗戦後、GHQの旧かな廃止⇒新かな強制、西尾氏が解説している焚書、
そして、大学に数千人に喃喃とする反日サヨク教授を招聘したこと、が関連する大きな要因だ。
意図は日本弱体化製作。イデオロギで事実を捻じ曲げ、税金で禄を食みながら、禄の提供者に反逆して恥じない
連中が跋扈し、権威の衣を着て、馬鹿教師を量産しているのだから始末が悪い。
優秀で愚鈍な学者よ、自らの蒙を開け!
- 423 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 10:55:49.73
- お前も漢文脈ですら蔑視するクソレイシストにしか見えないが
- 424 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 11:16:02.58
- 日本は確かに素晴らしい。
しかし言文一致で書かれるようになったのは明治以降だ。
源氏物語はその点で小説ではない。
- 425 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 11:41:15.84
- 反日サヨクの根城と化した税金大学に巣食う曲学阿世の輩の、
そのシンパどもに何を言われてもこたえんな。学より去れ!
その西洋かぶれに気づけよ、おぬし!江戸期の戯作も読んだことがなさそうだな。時は連続しているのだ!
しかし、自国の文芸の評価もできないで、何が文学理論なのだ!片腹痛いは。
- 426 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 11:43:44.98
- 大学すら行ったことなさそうだな、お前
- 427 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 11:57:30.93
- 現代文に書き換えられたものを読んで読んだ気になっているんだろう。
いや、読んだこともないのに知ったかぶっている感じか。
- 428 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:10:32.01
- 異化してる?
- 429 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:12:06.62
- >>422
ギリシア悲劇はどうする?
といっても、ギリシア悲劇自体を知らないんだろうなw
- 430 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:14:14.22
- >>422
禄の提供者は国民だぜ?
君はどうか知らないが、俺は間違いなく、禄の提供者の一人w
- 431 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:16:15.93
- >>424
日本が特に素晴らしいわけじゃない。
どこの国にも素晴らしい文化がある。
- 432 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:29:35.97
- >>431
日本はとくに素晴らしいんだよ。
島国だったため他民族に犯されることなく、民族の純度が高い。
たとえは悪いかもしれないが、朝鮮人はモンゴル人にレイプ虐待された過去があるため、
あのような性欲、強欲に満ちた売春国家でふてぶてしい民族になっている。
大陸の国々は血が混ざり合い、単一民族としての純度が低い。
良くも悪くも日本人の純度はどこの国より濃く、その意味で、素晴らしい。
- 433 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:46:20.91
- >>432
日本人は、日本が島国であり同時に大陸の辺境だから、南北西方からさまざま民族の混血だ。
より古くから日本にいたのは、アイヌかもしれないし、伝説の長髄彦族かもしれないし、エスキモーや南米の先住民とされてる民族の祖先かもしれない。
あるいは、とっくに絶滅しているのかもしれない。
民族の純度なんていう知性のかけらもないヒトラーみたいな妄想に囚われないほうがいいよ。
- 434 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 12:59:02.45
- 日本人が優秀だと仮定すると>>432は日本人でない可能性が高いなw
- 435 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 13:04:48.31
- 理論の必要性はこういうアホな発想の相対化ができるから
- 436 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 15:23:51.94
- >>429
ほう、ギリシャ悲劇とやらは小説なのか。面白い文学理論だな。
>>430
ならば愛国心を持て。そうすればおのずと何をすべきかはわかろうと言うもの。
>>431
俺様は文化論を述べているわけではないことがわからんのか?
個々の文化の評価なんぞはしていない。
GHQの策謀に載せられ、自国の文学に目のいかない、愚かなお前らの蒙を開こうとしているのだ。
>>435
ではその理論で、お前のご先祖様たちの書いた物語を論じてみよ。できないことには目をふさぎ、
自ら文化に線を引いて解釈なんぞを必要としない世界に身をおいているのに、相対化とは笑止。
やはり、そのような無能者が税金大学で禄を食む資格はないな。
まあ、文学部の廃止もやむをえないと言うことか。こういう連中が跋扈しているのではな。
いっぺんリセットして、再度できるかどうかはわからんが、新たにできるもの、に期待するとしよう。
- 437 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 15:48:26.42
- >>433
そんな屁理屈を持ち出したら世界はアフリカ人になってしまう。
日本人の祖国がアフリカとなる。それはありえない理屈。
だから常識的に日本の歴史が始まった時から。
その国の歴史が始まった時が起点となり、それゆえに日本人の祖国はこの日本国となる。
アイヌや琉球人の存在は日本人の単一性の純度を下げる。
だから100%の純度ではないけれどもその割合は極めて少ない。
そういった意味で、世界でもっとも純度の高い単一民族が、日本人。
それはまれなことで、特別なこと。ラッキーなこと。とても素晴らしいこと。
日本は素晴らしいというのはそういった意味で、
日本人が優秀である、という意味ではない。
しかし根っこに差別意識のある人間こそすぐにヒトラーを連想する。
これまで、誰々はヒトラーだ、など口にしてきた人間たちの容姿を思い起こすといい。
どいつも醜い顔をしていた。
そういった先入観や、妄想に囚われないほうがいい。感情論で、まともな思考ではない。
まともな思考のできない人間は顔が醜い。>>434は醜いことこの上なしのまるで朝鮮人。
- 438 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 15:54:56.94
- >>436
>ギリシャ悲劇とやらは小説なのか。
物語の話じゃなかったのか?
>ならば愛国心を持て。
禄の提供者である俺に反逆してるのは君、ということかな?
俺は愛国心なんてものは持ち合わせていないんだからw
なにしろ、国というのは政府のことだから、安倍を愛するなんて気持ちの悪いことは、俺は金輪際御免だw
>自国の文学に目のいかない
源氏物語というタイトルだけしか知らない君に言われてもなぁ・・
- 439 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 16:05:42.31
- 日本人の、礼節や他人を思いやる心、またきれい好きなど、
こういったことは日本国における純度の高い民族性が生み出した思考である。
大陸で他民族の侵略に怯え、また他国を占領してやろう、陵辱してやろう、などとし、
常に争いごとが絶えなかった民族の思考では、到達できない領域だ。
だからこそ、日本の文学は、世界とは異なる。
日本人の節約文化は独自であり、
また「もったいない」という言葉は日本特有であり、世界にはないとニュースにもなった。
これこそが、日本という国の素晴らしさ。
そこで育った民族に神が与えた特別の思考。美しい見目姿。
日本人の美しさは、ここに極まった。
淫売春婦の朝鮮人は日本から出てけ〜
大気汚染、ゴミや糞尿で我が日本国土を汚す支那人も出てけ〜
- 440 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 16:20:55.03
- >>437
>アイヌや琉球人の存在は日本人の単一性の純度を下げる。
そうすると、君のいう純粋な日本人というのは、朝鮮半島を経由して、朝鮮人と混血しながら日本に渡ってきた蒙古人ということになるな。
なにが純粋なのか良くわからないが、それなら蒙古・朝鮮系日本人が君の考える純粋な日本人だ。
君が朝鮮人を嫌うのは、いわば近親憎悪なんだろう。
- 441 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 16:33:42.77
- >>439
>礼節や他人を思いやる心
これは儒教が基だな。
つまり中国からの借り物だ。
>きれい好き
高温多湿の気候だから、清潔にしていないと日本人は生きていけないんだ。
>節約文化
貧しい国はどこでも節約せざるを得ないし、リサイクルしないと生きていけない。
>美しい見目姿。
これはなにかの間違いだろう。
男女を問わず、白人に遥かに及ばない。
君が愛してやまない日本の小説家の代表である漱石も常々それを自虐ネタにしていた。
ほんとに君は日本の小説を読んだことがあるの?
- 442 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 17:16:58.22
- >>440
日本の歴史をお勉強しなさい。話にならない。
>>441
中国? 中華人民共和国の「人民」も「共和国」も和製漢語。日本人が発明した言葉。
では中国ができたのはいつ?
これが支那や朝鮮を日本と同じような感覚で見ると見誤るという決定的な証拠。
日本が世界でもまれな国だということがまるでわかっていない。
- 443 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 17:28:05.00
- >>441
>男女を問わず、白人に遥かに及ばない。
吹いたw
あの骸骨みたいな顔が美しい? 何かの間違いだろ。洗脳か?
そばかす、ぶつぶつ、鼻とあごが大きく目がくぼみ、背高のっぽの鬼やぶくぶくの巨漢豚。まさに豚そっくり。
黒人を差別し、ユダヤ人を殺しまくり、アジアを侵略しては蹂躙しまくり、
あげくに原爆で民間人を大量虐殺。
白人という言い方も虚飾にまみれているが、それを有り難がっているこのキチガイは何だ?
- 444 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 18:56:51.09
- つまり、結局、文学理論やわざわざ文学の扱い方みたいなものを学ぶ必要ない、
ということ。文学部って なくなって良いと思うよ。別のやり方があると思うなぁ
- 445 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 19:37:44.92
- 具体的には?
>別のやり方
- 446 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 19:42:54.63
- 学ぶ必要はないのは、当たり前の話だろ。
文学に興味をもっている人間が独自の新しい文学理論について語るだけなんだから。
目的は、文学と戯れること、その戯れ方、その提案。
- 447 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 20:10:55.20
- >>・・・・文学理論について語る・・
そういうスレか
無関係だったw
- 448 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 20:35:32.06
- >>443
せっかく、君が読んだこともない日本文学から例を出してあげたのにw
なんでもいいから、少しは本を読めよ。
- 449 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 20:38:23.98
- >>444
そういうことを言いたければ、学校制度そのものを否定する方がいいと思うよ。
- 450 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 20:56:50.99
- >>448
横だが、
おまえが読めよ。毛唐、支那は漱石先生の言葉だ。無学が調子に乗るな。
- 451 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:00:38.56
- >>450
俺の書いたレスに、なんか関係があるのか?
無学以前の文盲か?
- 452 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:04:44.53
- >>451
は?
チョンコロか?
失せろ。
- 453 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:07:17.85
- チョンコロのレスは乞食くせーんだよ。
生意気に日本語つかうな。日本語が汚れるだろ。おまえは糞を食って寝とけ。それがおまえにはお似合いだ。
- 454 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:08:36.79
- >>452
あたま、大丈夫か?
このスレは、文学の理論を扱うスレだぞ?
- 455 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:09:38.10
- >>454
いいから失せろ。
- 456 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:11:48.08
- >>453>>455
そのレスは文学における日本語の表現について、とかいう理論にでも繋がるのか?
まあ、がんばって展開してみてくれ。
- 457 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:17:29.44
- >>456
よくわかったな。
まずは煽りだ。感情を揺さぶる。憎悪が肥大化すればその爆発力は凄まじい。
そしてそこから漏れた一筋の閃光がテキストとなる。それを抽出し物語をつくれ。
物語こそ人類最大の発明だ。
ところで、てめえのその「がんばれ」はてめえ自身に向けろ。
てかそれ、俺様がおまえに教えてやったやつだろ。馬鹿の一つ覚えみたいにどこでも使いやがって。
アホか、このハゲ。
- 458 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:22:39.78
- 過激な言葉で煽られないと人間の感情は揺すぶられないと
思ってる人は、頼むから他のジャンルで戯れていてください
- 459 :吾輩は名無しである:2015/03/17(火) 21:49:39.11
- 先の>>244でも指摘したとおりに、宗教的活動そのものを行わんとしている
特に、自らの民族の優秀性といわゆる一種の「聖典」を掲げて活動する様態は
そっくりそのままユダヤ教に当てはまる
民族の優秀性を主張しつつ、その中核ともなるべき文章の集合体(本)を携える……
これがユダヤ教の活動様式だ
日本人の純血性という「素晴らしさ」を主張しつつ、聖典としての「源氏物語」を掲げる、
構造主義的観点から眺めれば、ユダヤ教と全くの同一物だ
やっていることの骨組みや骨格が同じなら、その両者は同一の事柄に他ならない
ナショナリズムと宗教が合体した国家宗教そのものだ
ただ、そこから神とか儀式とかの用語が抜け落ちているだけ
用語が抜け落ちていて、やっていることの実態は掴みにくいが、
重ねて言うように宗教行動そのものだ
その主張に「日本人に文芸をもたらしたる文芸神たる主神すなわち〈神〉」
の理念(と用語)を一つ付け加えるだけで、
その言説は一期に宗教行動だと判明する
神がつかわした人物による書たる御言葉の聖典「源氏物語」、
その神の働きによって文芸的・言語的に崇高な存在になった我々の民族、
全ては神の御心全てであり、神の齎した言葉こそが絶対だ……
とかの宗教であることが簡単に判明する
表立っては語られていないが、
その主張で丁寧なまでに幾重にも隠されているのが〈神〉という単語だ
隠されているだけでその気配は濃厚に漂ってきている、
だから言説・言動がこんなにもユダヤ教のそれに似る
これが、民族の掲げる聖典――という理念の本当のところ
- 460 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 00:53:15.36
- 野崎は、外国語教師としては、優秀な人なんだろうが、
「理論」については、たいしたことをいえないだろう。
はっきりいって、哲学の知識がないので、あるころからの「理論」は、
手にあまるはずだ。
ウエルベックの「素粒子」に関して、訳者としての宣伝もあるかもしれないが、
「生命哲学」的なテーマがある、
とかいってしまうくらいだからな。あれにそんなものがあるなら、たとえば「コインロッカーベイビーズ」にだって、
「生命哲学」はあるだろう。東大仏文出の某小説家にその受け売りをされて、
なんといえばいいやら、という気分になったことがある。
ただし、「素粒子」は、べつにきらいではない。
- 461 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 01:03:15.86
- ]≫人民」も「共和国」も和製漢語。日本人が発明した言葉
「人民」が和製漢語というのは俗説で、中国古典にとっくにあった。『詩経』有狐(国風、衛風)
會男女之無夫家者。所以育人民也。
『周礼』大司徒
大司徒之職。掌建邦之土地之圖。與其人民之數。以佐王安擾邦國。以天下土地之圖。
『周礼』閭師
閭師掌國中及四郊之人民。六畜之數。以任其力。以待其政令。
『孟子』盡心下
孟子曰。諸侯之寶三。土地。人民。政事。寶珠玉者。殃必及身。
そのほか、多数あり。
- 462 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 02:24:29.88
- 共和国はさすがにないんだね。
文学理論が壁にぶち当たっている現状をはたから見ると、なんらかの質的な改革が必要なんじゃないかと思う。
今まで是としてきたことを見直すのは、非常に疲れる仕事だけれど、それをやらないとかなりまずそう。
文学も具体的な政治の影響を受けるわけだから、安倍が嫌いでも、うまくやっていかないとまずいのでは?
役に立つ、実利、を考えると、たとえば文法に比べて文学理論てのは必要性が薄い感じ。
明治以降の日本の文学はみんなある程度読めるので、そこに理論があろうがなかろうが、あまり関係ない。
普通の読書人としては、むしろ時代をさかのぼって行く日本文学理論がほしい。
それで記紀歌謡にまでさかのぼれるのが、日本独自の文学理論と言うなら、すべての日本人は受け入れるだろう。
これはイヤな見解だと思うけれど、そういう意味で実社会と共存する道を考えるべきじゃないかと思う。
例えば現代化名遣いは多く指摘されている通り、敗戦国日本に押し付けられた文化的な弾圧、と言う見方は事実だから、
日本のこの70年の日本文学の理論を構成する上で、普遍的な意味を持ちそうに思う。
つまり、日本の文学理論には本当はそういうことを取り込まなければ、現実を反映することにならない。
時代を分けるってのは、歴史を考える便法の側面があることを忘れてはいけないと思う。
昨日までが時代Aで今日から時代B、と言ったところで、日本の文化は連続しているわけだ。
どこかで言文一致の話が出ていたけれど、浮世床、浮世風呂なんかはかなり言文一致に近い表現がある。
連続性を考えれば、まあありうる現象だろう。
解釈ができない、それは問題だ、ってのはその通りだけど、問題は解決できなければできない、でいいんだよ。
その事実を共有することが大切。いつか天才が解明することを期待すればいいだけの話。
理論と実践、と言う金言は文学にもやはり当てはまるのではないかと思う。
- 463 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 05:43:41.67
- 共和国は翻訳語だからな。
調べてはいないが、中国古典に共和はあるんじゃないの、たぶん。
- 464 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 10:25:41.79
- 史記·周本記 稱:“召公、周公二相行政,號曰共和
すでに史記にあるな。周の時代に、「共和の治」というのがあったようだ。
- 465 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 10:34:43.17
- すべての起源は朝鮮ニダ。
人民も共和も朝鮮の歴史にあったニダ。
- 466 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 10:37:47.71
- >>461
それ、人と民という漢字がたまたま並んでるだけじゃねーかw
人民という言葉じゃねーよバーカ
- 467 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 10:51:54.58
- 孟子曰。諸侯之寶三。土地。人民。政事。
それなら、土地は土と地、政事は政と事という漢字が並んでいるだけじゃないの?
わけのわからん人もいるものだ。
- 468 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 10:55:49.65
- 支那語には平仮名がないんだよ
わけのわからないのはおまえの勘違いが原因
- 469 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 10:57:17.43
- 当の支那人が人民という言葉はなかった
日本人ありがとうと言っているのにわけのわからない奴がこじつけてアホか
- 470 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 11:04:03.77
- 平仮名というよりも、仮名というべきだろうが、
それがこの場合の真名とどういうかかわりがあるの?
- 471 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 13:07:57.50
- >>466
おいおい、中国語の基本も知らずに中国語について書いてるのかよw
- 472 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 13:09:01.87
- >>469
言葉は、あるよw
- 473 :吾輩は名無しである:2015/03/18(水) 16:28:47.09
- >>461
>『孟子』盡心下
>孟子曰。諸侯之寶三。土地。人民。政事。寶珠玉者。殃必及身。
これはあった説として、誤解しようがなさそうに思うんだけどね。
- 474 :吾輩は名無しである:2015/03/20(金) 21:55:44.23
- res publicaやpeopleの訳語を共和国や人民としたのは誰だろうか。
明治初期に門人を動員して仏語文献の翻訳を集中的に進めていたから江藤新平の周辺かな。
江藤は幕末期に枝吉神陽門下として勤皇志士としてのキャリアを開始した人だけど、
実際は漢籍の、とくに法家思想に通じた人だった。
いくら国粋思想でも漢籍の素養までは否定できないと思うんだけどね。
- 475 :吾輩は名無しである:2015/03/20(金) 21:59:33.16
- あ、peopleじゃなくて Peuple か。
- 476 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 03:32:21.80
- 近代国粋主義、元をただせば、国学思想は、
よくいうように、漢学の素養のひじょうにある人たちによって、
ある種のロマン主義的な「体系知」的思考(官学であった朱子学的となるのか)への反動として成り立ったのじゃないのか。
そういう「反動」の例は、西洋にもあるだろう。例えば、ニーチェは牧師の息子だし、
ハイデガーは、もともと神学をやっていた。
知性自体が、もとより正統的教育によるものだから、たとえ反対のことに意義をみとめても、
下地にそれがあらわれるのじゃないの。
- 477 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 03:43:13.86
- 榎本武陽は「蝦夷共和国大統領」を名乗ったんじゃないか?
結構世間ではとうりいっぺんには使われていた語じゃないのか?
仮に和製造語だとしたなら、ジョン万次郎あたりじゃないの?
- 478 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 06:23:55.48
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD#cite_note-1
共和国のウイキ
このヘン読むと微妙だね。共和って言葉は史記にも載っている。それに国をつけた共和国は日本製の漢語ってわけか。
まあ、朝鮮も日本も、昔のインテリは英語じゃなくて漢文がその証、って感じだからねえ。
- 479 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 17:45:38.70
- >>476
体系知なきただの反動の実例がこのスレにいますよね
今でも保守って「リベラルへの反感」という要素が大きすぎるから、
「一応欧米の標準思想を学んだ人」と「怨念だけで保守やってる人」の二種類になるね
一昔前はマルクス主義がダシに使われた体系知といえよう
- 480 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 20:43:04.52
- >そういう「反動」の例は、西洋にもあるだろう。例えば、ニーチェは牧師の息子だし、
>ハイデガーは、もともと神学をやっていた。
ニーチェはギリシア思想やイタリア人思想の素養豊かな人で
この素養をもとにドイツ教養主義やキリスト教を排撃した。
だから、ニーチェを範に取るのなら保守や伝統の確保にはなりません。
ニーチェは教養を系譜学的分類することで伝統の解体をしたわけだから。
ハイデガーはその逆でギリシア思想を使う事で新たな神学を構築した。
ここで漢籍を反証材として国粋的伝統に揺さぶりをかけている人はどちらかというとニーチェに近いわけ。
>>462
>普通の読書人としては、むしろ時代をさかのぼって行く日本文学理論がほしい。
>記紀歌謡」に起源をもつ物でなければならない。
このような日本伝統確認の学としての「文学」を模索するのなら
それは欧米思想用語を漢語使用によって表記する「共和」国なんてものではない。
語義的に共和国とは理念としては「公共」、制度としては混合政体を意味するものだから
制度的に解するのなら孫文あたりの三民主義のほうが妥当なわけ。
こういう造語的理解にたつのならニーチェが憎悪・排撃した教養主義的折衷主義に過ぎない。
すくなくとも>>462が想定するような国粋的なものではないね。
しかし日本的「国粋」なるものは日本文化から大陸・半島的な要素を排除・隠ぺいすることによって成立する。
それは江戸鎖国体制(徳川支配)を弁証するものでしかない。
というのも国学勃興というのは1715年の海互新例以降の鎖国体制を受けてのものであり、
政治体制の補強材に過ぎない。
- 481 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 21:05:59.11
- 特殊>普遍、情>知、自然>人為
国学系も、ニーチェらも、こういう重きのおき方は、およそ共通してはいる。
そこが、日本ポストモダニズムがプレモダニズムへの先祖がえりだ、といわれた所以だろう。、
いまのネトウヨみたいなのがどうなのかは知らないけれど。
- 482 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 21:47:20.01
- たとえば、日本式民主主義、と言う言葉がある。
学校教育では、民主主義は西欧から教えていただいた、と言う認識だろう。
民のかまど、と言う話が仁徳天皇の逸話として伝えられている。
民のかまどから烟りがあがってから、ご自分の食を考える、と言う話だ。日本人はそれを信じてきた。
信じてきた、と言うことが重要だ。
だから天皇は臣民と対立するものではなかった。御所ほど無防備な王の城は世界中で日本だけ。
こういうことを考えるのに、ニーチェなどは不要だし。
先祖がえり?(笑 先祖を學んでいないのが問題だろう。わけもわからん毛唐の言説がいいと思うのはちょっとね。
自分の認識が日本を語るのに妥当なのか。まずそれ自身をを認識しないと。
これはその気になれば簡単なことだ。いいものは受け入れるのは誰でも反対なんぞはしないだろう。
ただ、西欧かぶれの学者の言説を鵜呑みにせず、日本人の立場を常に考えればいい。
漢文の素養もある程度必要だけれど、ソースは十分にある。
自分の始原がGHQによる日本弱体化政策の教育であると規定したいか、皇紀2675年の日本の文化としたいか、
ってことなわけだ。
GHQによる新かな導入や書籍の焚書で、我々は過去と分断されている。そういう歴史的背景も考慮しなければ
ならず、それらは敗戦と言う特殊性によるものだ。
Think different? by 2ch.net/bbspink.com
- 483 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 21:47:45.80
- ニーチェについては、フランクフルト学派的な解釈もあれば、、
もう一方で、ナチス流の解釈もあった。
「道徳の系譜」にしても、「伝統解体」的のみならず、
反セミティズムととれるところがある。
Think different? by 2ch.net/bbspink.com
- 484 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:09:44.65
- 湯(王)夙興夜寐、以致聰明、輕賦薄斂、以民寛氓、布徳施惠、以振困窮、吊死問疾、以養孤孀。百姓親附、政令流行。(淮南子)
(仁徳)天皇夙興夜寐、輕賦薄斂、以寛民萌、布徳施惠、以振困窮。弔死問疾、以養孤孀。是以、政令流行。(日本書紀)
ほぼ、いわゆるコピぺだな。
- 485 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:23:13.51
- 文学理論の行き詰まりは最近、なんとなく感じられるところ。
哲学を持ち出したところでそれは同じだ。
政治体制が右よりになってきたのだから、政治体制に迎合して、文学理論も右よりに舵を切ったらどうだろう。
恥じることはない。GHQの政策で、大学には左よりの教授ばかりがすえられ、それに迎合して文学も左よりに
なった実績があるのだから。
当然、サイズの合わない洋服のような、欧米流のイデオロギからは足を洗い、日本独自の研究、時代を
さかのぼる研究であれば、国威発揚の一助として、停滞する文学理論も生き残れるのでは?
新しい日本独自の文学理論ができてほしいもの。
正直、もう翻訳はおなか一杯でいいや、と感じないか?
あの文士は英訳を前提に書いている、なんてのがかっこいい、と思うなんてのを他国の文士が聞いたら
どう思うか、考えたことはあるんだろうか?んなのは自殺だ。
現在の文学理論はそんな風潮を助長していないか?
- 486 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:28:46.35
- 単に日本が文学理論輸入してないというか批評家も内にこもってるだけじゃね
海外じゃジャーナルも研究も盛んじゃん
- 487 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:31:55.45
- >>484
そう、当時は支那がお手本。
ご本家支那は易姓革命の国。歴史は王朝のためだけに作られる。
今でさえ、チベットやウイグルは民族浄化の危機にさらされている。美辞麗句の実態はない。
一方の日本はそれを見習い、驚くべきことに美辞麗句を実践してきたわけだ。
さらに国民全体がそれを信じた。事実がそれを証明している。
なんと日本は良い国であることよ、ってのが結論になるな(笑
- 488 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:34:06.82
- 日本の批評界隈だめだめだよな
英米の文学理論の用語集見ると
蓄積の差に愕然となる
- 489 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:42:16.98
- 日本最高とかいって日本にこもってりゃそうなるわ
- 490 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:52:09.64
- >>488
日本の古典を説明できない欧米の文学理論ならそんなものは日本人にとって燃えないゴミ。
- 491 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 22:54:48.48
- 源氏物語とか欧米は英米の理論でぶった斬りまくりだぜ
日本はそういうのすらない
- 492 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:08:06.93
- 源氏物語:現代英語論文集成 全3巻+別冊日本語解説
http://www.aplink.co.jp/synapse/4-86166-099-3.html
読めばいいんじゃね
- 493 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:08:59.54
- いくら翻訳をぶった切ってもなあ…。
- 494 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:11:59.86
- 物語言説なんて別に翻訳かどうかなんて関係ない
- 495 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:17:19.17
- 君は欧米流文学理論のくびきから逃れることができていない、って自覚すらないのかね。
- 496 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:18:44.01
- 科学に欧米流科学理論とかあるかね?ないだろう
- 497 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:22:01.28
- 日本の文学理論って未だに80年代から90年代で止まってる感あるな
- 498 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:26:31.83
- >>487
日本書紀の祖述者は帰化中国人で天武天皇崩御以降に関与した不比等記述の部分が亀裂を生んでいる。
つまり不比等(史人)というおそらくは半島系書記官の関与部分に何らかの政治意図が含まれているわけ。
日本書紀編纂に着手した天武朝というのは伊勢豪族の力を借りて
文献上近江朝と処理される天智朝を打倒したわけだけど、
関東地区に点在する“伊勢”地名の場所や伊勢由縁の地には大友皇子が祀られている。
しかもその場所には薬師如来系の寺院がある。
薬師如来というのはスサノオや後の牛頭“天皇”と習合されています。
スサノオや牛頭は新羅の江原道(つまり新羅)が本貫地なのね。
ちなみに、三河、駿河、伊豆という南関東から中部地区は上宮聖徳法王家の乳部(私領)であり、
これは京都造営時に多大な技術的貢献をした秦氏族が実質的に運営していた。
で話を壬申の乱にまで戻すと、この時期には信濃国から北関東に大量の“蠅”が逃げて行ったという記述があります。
その経路にあたる甲斐や秩父は新羅民が居留する地域なのね。
とくに秩父は708年の和同開珎鋳造時に在地新羅系冶金技術者による貢献があった。
そうすると8世紀初頭には北関東に新羅系移民が蟠踞していたことになる。
新羅系の力を借りて政権を樹立した天武の時代に
その天武に滅ぼされた大友皇子を祀る(しかも信望する)寺社が
新羅系(そして上宮法皇家や秦家ゆかり)の土地に見られるのは何故か?
しかも天智・大友というのは親百済系とされているわけだから二重におかしい。
- 499 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:26:42.64
- 甘いな。
数学では日本は独自にライプニッツレベルの数学を発達させた。
その立場から見れば、欧米流の数学理論、と規定できるわけだ。
ちなみに、数学は科学の部分集合と考えることができる。
- 500 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:27:36.48
- バリーのもアップデートされてるとはいえ1版は1995年のだしねえ
最新の文学理論がほとんど輸入されてないという感じは拭えない
- 501 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:28:56.48
- >>499
そんな百年以上もまえの話で現在では廃れてしまってるものを
持ち出されても
- 502 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:36:00.75
- >>498
昔の日本では敵を祀るのはよくあることでしょう。
- 503 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:39:35.63
- >>501
甘いな。
日本の歴史は2675年。
それにあるか、と言うからある、と言う事例を提示すれば、論証は終わりで、君は論破されてしまったわけ。
- 504 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:50:45.56
- >>503
和算が科学理論だとは言えないだろうな
そんなこといったらインド数学も科学の理論になってしまう
科学の要諦は数学的帰納法にあるわけでもなし
- 505 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:53:24.96
- 数学は数学的帰納法=演繹
科学は帰納法
- 506 :吾輩は名無しである:2015/03/21(土) 23:56:12.65
- 関孝和の発微算法あたりのことを言ってるんだろうけどw
幕府に天文方が置かれたのは1685年。
天文方はニュートン力学だからね、ニュートンの流率法(ライプニッツでは微積分)は知っていたんだよw
関孝和の発微算法はその微積分を算術化!したってだけなんだよw
- 507 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:00:09.08
- >>504
学問的な常識を否定しちゃあかんよ。
数学は科学の王女…
とガウスは言っている。
- 508 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:05:57.26
- >>506
>天文方はニュートン力学だからね、ニュートンの流率法(ライプニッツでは微積分)は知っていたんだよw
この証拠を提示されよ
- 509 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:07:03.39
- >>482
>民のかまどから烟りがあがってから、ご自分の食を考える
違うんじゃないか?
年貢の免除の話じゃなかったっけ?
>自分の認識が日本を語るのに妥当なのか。まずそれ自身をを認識しないと。
君のいう「日本」には、すでに特定の理念が含まれているから、一般的な話にはならないだろ?
>皇紀2675年の日本の文化
皇紀を使うのは自由だが、根拠のない起源だということは知っておかないといけない。
日本の歴史がそこまで遡れるわけではない。
>GHQによる新かな導入
これはまったくの事実誤認。
新かなの採用というのは、明治以来の外国語公用語化論と漢字廃止論という昭和の国粋主義で下火になっていたものが復活した、日本特有の妥協の産物。
森有礼などは外国語を公用語にどころか日本語廃止論だったし、漢字廃止論は前島密や福澤諭吉などもが強く主張していた。
- 510 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:07:18.59
- ガウスって何時の時代だよ
科学の要件ってポパーだと反証可能性じゃなかったっけか
数学には反証可能性がないので厳密には科学とはいえんだろう
- 511 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:10:54.73
- >>485
日本の文学理論を紹介すると、無条件に否定するのが君たちじゃなかったっけ?
三浦つとむとか吉本隆明とかの体系的な日本人の文学理論は、大嫌いなんだろ?
- 512 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:12:36.53
- 中井久夫も数学が科学として認められてたのは19世紀までで
20世紀には科学でないと確定したと言ってた気がする
- 513 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:15:10.97
- 大嫌いじゃなくて定義も曖昧で解釈によって異なるしまともに使えないから
顧慮する価値がないってだけじゃね>吉本
- 514 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:15:53.42
- 科学の定義を明確にしようとすれば、哲学の領域に入っちゃうんじゃないか?
- 515 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:16:19.04
- 吉本理論は吉本信者ぐらいしか勉強してなさそう
その吉本信者もそのうち死ぬだろうし
- 516 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:18:19.16
- >>513
定義は明確だよ。
自己表出にしろ、指示表出にしろ。
それ以外には、定義の必要な概念は使ってなかったような記憶があるな。
- 517 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:18:29.73
- 天体の運動と位置をケプラーとニュートンで予測して暦は作るんだよ、その頃になると。
中国でも、その後を受けた日本でも。だから結構精確に日食も予想しえた。
(とはいえ当たらなくて大問題になったこともある)
- 518 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:19:27.82
- >>516
解説書出してる連中によって定義が違うし
信者の間でも共通の認識ないよ
- 519 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:20:16.58
- >>515
そうやって読んだこともない日本の文学理論を否定して、外国の理論をありがたがってるんだろ?
- 520 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:23:57.32
- >>519
吉本の本なら数十冊あるけど言語美は使えない
反核異論とか転向論はまだ使えるけれども
社会構成主義に対して言語美は無力に近い
- 521 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:26:11.02
- この天文方の西洋天文学知識への渇望と先生への恩義お礼を
ずるがしこく?自分の名誉欲に使ったのがシーボルトとその事件
- 522 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:33:37.23
- 吉本モデルだとスターリンに対する反発からか
言語のコミュニケーション性を排除しているので
そのために、間テクスト性やポリフォニー性や認知言語学的観点が全く論じられんので
かなりの限界を持つ、あと自己表出モデルよりも
ネルソン・グッドマンの世界の複数モデルのが使える
- 523 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:34:32.27
- >>518
人の考えを見るより自分で読んでごらんよw
そもそも「言語にとって美とはなにか」の解説書なんてあったっけ?
>>520
読みもしねえで使えるも使えないもねえもんだ。
だいたい「社会構成主義」なんてものに文学理論を使いたいっつうのは、いってえ、どういう了見なんだい?
とまあ、つい江戸っ子ぶりたくなるようなレスだねw
批判するのもいいが、読んでからじゃないと、江戸っ子の真似よりうすっぺらく見えちゃうよ。
- 524 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:37:39.97
- >>523
読んでるから言ってんだろうが
吉本の言語観だと、フレーゲの文脈原理とか全く顧慮できないんだわ
だから使えないの
- 525 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:38:25.30
- >>522
読んでないのが丸わかりのレスだね。
まあ、外国の理論をありがたがることも大事だとは思うが、批判するときは、できれば読んでからにしたほうがいいと思うよ。
- 526 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:43:02.57
- >>525
批判できないからって読んでないとレッテルを貼るしかできないのか。
俺はもちろん読んだし読んだからそのコミュニケーションモデル
文脈性の不在から使えないといってるんだ
社会構成主義は関係性を前提にしてるしな
現代言語学を勉強してきな
- 527 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:48:19.79
- >>509
民のかまど、で検索すれば出てくるだろう?
だから。普遍性など求めてはいないのがわからないのか?それこそがくびきだ。
歴史と神話がつながっているのがわが国「固有の」歴史観だ。西欧流の歴史観をもとにするから、そういう根なし草
のような言説が出てくる。そりゃ西欧にはないはずだ。わが国固有の歴史なんだから。
日本の史学会は腐っているらしいぞ。
かなについては、昭和の敗戦後の話だよ。
>>510
ガウスは天才なんですけどねえ。あなたが比肩できる才能をお持ちならうらやましい限り。
で、カール・ポパーか?数学に反証可能性がない?それは妄想だと思うぞ(笑
>>511
吉本はユニークと思うがつまらなかったな、確かに。
三浦つとむは文学理論なのか?むしろ日本語そのものの話だろう?
>>512
中井某がどういう人物だか知らないが、お前さんはどう考えて数学は科学ではないと言うんだ?
数学は科学だ、ってのは常識。
- 528 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:48:39.35
- 吉本の自己表出理論はいきなり単語から始まっちゃうんだわ
で現代言語学はフレーゲの文脈原理から始まってる
吉本理論は現代言語学以前のヘーゲルに基づいちゃってるからで
理論的にも限界を持つし現代の理論からすれば古くて使えない
- 529 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:51:54.23
- >>527
ガウスがいくら天才だからといっても
200年以上も前の話だよそんなこといいだしたら
ギリシャ時代にまで戻って科学は哲学であるなんてことも可能だ
現在では数学は科学ではないというのが常識
- 530 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:55:51.47
- ヒルベルトの形式主義以降数学は自然科学である必要はないということになってしまったな
- 531 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:57:54.60
- >>529
だから、どうしてそういう妄想にたどりついてしまったんだ?(笑
文板だからしょうがないのかもしれないけど、そうまで愚論を主張する理由がわからんね。理由を言ってご覧。
- 532 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 00:58:48.66
- >>531
妄想じゃなくてそれが常識なんだよ
ヒルベルトあたりから勉強しなおせよ
- 533 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:04:05.71
- >>530
科学がまずいと思って自然科学を持ってきたんだね(笑
もしその言説が正しいとしても、つまり必要でないとしても、十分は否定していない、と言う論理になるね。
- 534 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:06:39.68
- >>532
だから、説明してみろよ(笑
- 535 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:14:00.28
- >>534
ヒルベルトは公理でなくとも仮定でいいということにしてしまったから
- 536 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:15:24.19
- っと、公理でなくともじゃなくて真理じゃなくともな
- 537 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:27:15.49
- 科学が自然科学でも経験科学でもないなら何なんだという話だな
形式科学だとする説もあるが形式科学であるとするならば
ヒルベルトの真理を求めなくとも無矛盾であればいいという立場は通らない
そしてそのヒルベルトプログラムはゲーデルによって否定された
まあ、数学は科学というよりも言語ゲームだろうな
- 538 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:31:52.67
- >>535
最近の数学では、いくつかの無定義述語から構築していくのも数学ってことになっているけれど、
公理でなくとも仮定でいい?選択公理の話をしているのか?
いずれにせよ、科学でない、とどうつながるんだ?
ヒルベルトなんぞを持ち出さなくても、
物理学のテーマを数学なしに展開できるかどうか、考えて見れば明らかだろう。
- 539 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:33:16.52
- 物理学の道具であることは数学は科学であることを証明しないだろ
- 540 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:35:55.59
- というか物理学のテーマが云々なしとか道具的なことを言い出したら
日本の和算ってほとんどパズルであって科学とはそれこそ関係ないだろう
あれは商売にも科学にも生かされることのなかったゲームなのだから
- 541 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 01:50:18.35
- >>539
じゃ、まず物理学は科学か?
>>540
和算がパズルと定義するのか?じゃ数学はパズルだ(笑
なんか頓珍漢で面白いな。
- 542 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:03:55.49
- 物理学は明らかに自然の存在論的真理と結びついてる学問であるのだから
科学だろう。
数学はやはり科学ではなく言語ゲームと考えるのが妥当だろう
数学は物理の道具であるから科学というのはちょと苦しい
和算が江戸で町人の間で娯楽として広まってほぼ科学と関係のない
パズルとして受容されたようにやはり言語ゲームの一種だろうな
- 543 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:08:49.93
- >>542
物理学は科学だ、と言うのは合意だな。
では、加減乗除の計算は数学(算数)の一部と考えていいか?
- 544 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:10:11.17
- 加減乗除は数学の一部であるのは間違いないな
- 545 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:16:29.11
- では、アインシュタインの方程式、E=mc^2は物理学の定理と考えてよいか?
- 546 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:19:02.05
- いいだろうな
- 547 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:19:45.58
- エネルギーと質量と光速度という自然を抽象化してるわけだ
- 548 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:27:32.36
- その方程式は、E=m×c×c と表せる。
×は言うまでもなく乗算、つまり数学だろう。この方程式を乗算の概念なしに表現できるだろうか?
- 549 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:29:32.57
- それは道具として物理学が数学を使っているだけで
数学が科学であるということを意味しない
- 550 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:32:32.61
- ハートリー・フィールドなどは数学のフィクショナリズムとして
存在論的真理とは関係ないことを示した
やはりヴィトゲンシュタインの言うような言語ゲームであり
社会的に構成されるものであると考えるのが妥当だろう
- 551 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:36:57.87
- では、道具と言うことばをこのコンテキストにしたがって定義してみてくれ。
- 552 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 02:41:51.47
- 手段と言い換えてもいいな
物理学の手段として数学が使われているだけであって
それは科学性の要件とは何ら関係がない
たとえばケーキを1つ作るのに砂糖が3個必要で
ケーキをCと定義しよう、砂糖をSと定義する
として式を作ったところで
数学は料理であるということにはならないのと一緒だ
- 553 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:04:07.70
- 丁寧に説明してもきちんと答えられないんじゃ意味ないな。
まあ、ケーキでもいい。
ケーキを作った結果、砂糖はどこへいったのだ?ケーキの中だろう?
加減乗除は物理学にとって、内部にある演算であり、しかも唯一無二の存在だ。代替はきかない。
だから、少なくとも、物理学は数学を部分的に含む。
説明した例では、包含関係を考えると、科学⊇物理学⊇数学となる。
他の科学の分野でも大体同じだ。
なぜそうなるかは自明で、数学の方法は、科学の一般的な方法とほぼ同じだからだ。
道具と言う言葉にまどわされて本質を見誤るなら、その言葉は適切でない、もしくは定義を改変する必要がある、
と考えるべきだろう。
数学と言う「道具」は、他の科学と上記の意味で密接に関係し、それ独自でも学として成り立つ、と言うことだ。
数学は科学、は常識。
- 554 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:08:59.59
- 手段として使われてるだけで包含はしていない
物理学の手段でしかない、物理学の中に数学は含まない
- 555 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:09:27.08
- 数学は科学じゃなくて数学だろう
- 556 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:14:34.79
- >>554
だから、定義してから言葉を使えよ。
はっきり言って物理学と数学は不可分の関係なんだよ。
高校生でも、これじゃ赤点だね。
>>555
さすがにもう一度はやだな。
上から読んでこいよ(笑
- 557 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:27:14.69
- >>556
ある目的を実行するために必要なものだよ
手段
物理学を表現するために数学が必要なだけであって
それは科学性を含意するものではないといってるだけだろう
- 558 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:30:47.41
- 物理現象を理解する際に抽象化して数学という手段が必要なだけで
物理現象を理解するのに数式を必要としない場合なんて多々あるわけで
http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/gyro.html
- 559 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:34:18.25
- >>557
ケーキの砂糖はケーキに含まれるのと一緒。
だから道具とか手段ってことは何か別物の印象を与えるから使わないほうがいいね。
第一、数学を非科学に入れるのか?(笑 それにしても、文学理論スレの連中は面白い意見を吐くね。
間違いは素直に認めなきゃ。
- 560 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:44:05.37
- >>559
ケーキの砂糖はケーキに含まれるけど
計算式はケーキに含まれない
こんなこともわからないのか
つうか別に面白い意見も何も俺は
数学の哲学における社会構成主義を言ってるだけだぞ
間違いでもなんでもない
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6#.E7.A4.BE.E4.BC.9A.E6.A7.8B.E7.AF.89.E4.B8.BB.E7.BE.A9.E3.83.BB.E7.A4.BE.E4.BC.9A.E7.9A.84.E5.AE.9F.E5.9C.A8.E4.B8.BB.E7.BE.A9
- 561 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:47:59.85
- >>558
サイト主が言っているように、これを定量的に説明するには数学が必要だし、
この定性的な説明にも力学の概念が含まれている。それを定式化しなければこの程度、ってことだろう。
こっちの主張は数学が科学だ、ってことで、別に物理現象を一見言葉だけで説明できる、と言ってだから何?
と言うことにしかならない。
ちなみに、数学は物理だ、って先生もいるらしいぞ。
- 562 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:51:24.79
- >>560
>…自然科学の他の部門と同じく、数学もまたひとつの…
まあ、議論になっているのはそういうことだね。そのサイト主の認識は、少なくともそこには大賛成だ。
- 563 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 03:51:56.10
- >>561
>>560
ニュートン力学だって数と関数を使わず公理系を表現できるし
> 数学におけるフィクショナリズム(英: Fictionalism)は、1980年にハートリー・フィールドが
> 『数を用いない科学』Science Without Numbersを出版し、その中でクワインの不可欠性論法を退け、
> 実際に覆したときに有名となった。クワインは、数学は私たちのもっとも優れた科学的な諸理論のために不可欠であり、
> したがって独立に存在する事物について言及する真理の主要部として受け入れなくてはならないとしたが、
> フィールドは不可欠ではなく、したがって実在的な何者にも言及することのない虚偽であると指摘した。
> 彼はこれを、まったく数と関数を用いることのないニュートン力学の完全な公理系を提供することによって行った
- 564 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 04:02:54.87
- >>563
じゃ、E=Mc^2を数式と数を使わずに表現してみてくれる?(笑
- 565 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 04:06:41.36
- >>564
反論になってないな
- 566 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 07:42:20.07
- 〈社会構築主義(社会的構築主義、社会構成主義、social constructionism or social constructivism)とは、現実 (reality)、
つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、人々の頭の中で(感情や意識の中で)作り上げられたものであり、
それを離れては存在しないとする、社会学の立場である。これはヘーゲルの理論を基礎にしている。
その後にデュルケームによって発展された。〉(wiki)
上は常識的な説明だと思うのだ。もともと、構成主義的な議論というのは、
いわゆるイデオロギー批判を、ちょっと新しげにした、ということだろう。
マルクス主義的な、優越要因説の類いは非常に弱くなっているので、
実際的な主張が、リベラルの左寄りとほとんど変わらないのが現状じゃないか。
ところで、ややずれるけれど、三島憲一が前に、英語圏の構成主義思想家がニーチェを持ち上げるのは、
右翼思想になる心配がないからだろうが、しかし、ドイツでは事情が違う、といったことを述べていた。
- 567 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 07:52:25.05
- それと、話しが数学の話ではなく、表記法の問題になっているのじゃないか。
たんに学としてなら、ものすごく手間が懸ってもいいならば、別に「自然言語」でやってもいいのじゃないか。
- 568 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 09:22:47.31
- >>565
反論?
E=mc^2は数と関数を使わずに説明できるんだろ?(笑
まあ、そんなにニュートン力学がいいなら、万有引力の法則でもいいぞ。
掛け算だけだったのに。
論点のずれた話に持ち込んでるのはそっちだしね。
>562 を認めるなら話は終わりで、数学は科学って結論になる。
数学は科学だ、って文学理論のテンプレに入れといてほしいね。
ガウスを侮辱した頑迷固陋な文学理論スレ住人の戒めのために(笑
- 569 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 09:40:18.33
- 構成主義の話が出たけれど、
そもそも「実在とはかくかくしかじか」あるいは、
「経験科学とはかくかくしかじか」というような定義およびそれへの意思が、
社会的に構成されたものだ、という観点を持つことが、構成主義的なんじゃないのか。
ハイデガー的には、存在的ではなく存在論的、アルチュセール的にはプロブレマティックが
批評の対象だということになるだろう。
くわえれば、いまでは反本質主義のほうが常識化しているとしたら、それはもはやイデオロギーだ。
- 570 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 10:16:12.52
- >>568
数学的実在論に近ければ数学は科学に近い
社会的構成物であるとなると科学とはいえない
で、数学的実在論の立場の論拠は
別にE=mc^2を数と関数を説明しなくとも
ニュートン力学だけでも論駁してしまえば
崩れてしまうという話なんだが
- 571 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 10:27:53.27
- >>566
社会構成主義でもヘーゲルを基礎としてるという本はあまり見ないな
ウィキでも要出典となってることから怪しい
デュルケームも微妙に怪しい。ハッキングの
何が社会的に構成されるのか?によると知識社会学のマンハイムを
源流としてバーガー、ルックマンらが展開したと考えるのが妥当では?
- 572 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 10:56:02.18
- 〈ピーター・L・バーガーとトーマス・ルックマンによる1966年の著書『現実の社会的構成』によりアメリカで有名になった。
シュッツ、バーガー、ルックマンらの現象学的社会学、ハロルド・ガーフィンケルらのエスノメソドロジー、
グラムシのヘゲモニー論やフーコーの権力理論などに想を受けた最近の社会学流派のことを一括してこう〈構成主義と)呼ぶ。〉
wikiの↑の引用のつづきはこうだ。バーガー、ルックマンもでている。
それと、マンハイムはマルクス主義者ではないか。
マルクス主義もイデオロギーの一つである、といったことで、共産党系からは「修正主義」扱いだったののかもしれないが(ただし、この点はよく知らない)。
- 573 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 11:48:23.66
- 〈バーガーは「相対主義」的な見解の系譜が古くから存在すると述べ、近年ではニーチェ
やマルクスやフロイトによる西洋的自我やイデアに対する相対化の影響力が大きかったこと、現
代においてはポストモダン理論(その論者としてフーコーやデリダ、ローティの名が挙げられて
いる)が「相対主義的」伝統のラディカルな再主張を行ったと論じている(Berger and
Zijderveld 2010:52-55)。
そうしたポストモダン理論に共通する要素としてバーガーは、@〈知識〉〈客観性〉〈真理〉の
ピーター・L・バーガーにおける「宗教的ミドルポジション」の可能性と意義
妥当性の判断への断念、A啓蒙主義的伝統の拒絶、を挙げた上で、古今の「相対主義者」共通の
理論的問題を述べるのである。それは「相対主義者」がいつも自身を〈真実〉の唯一の監督者で
ある「認識的エリート」の位置に棚上げし、自身の思想に関しては相対化や脱構築を避けている
という問題である(Berger and Zijderveld 2010:57)。その意味で「相対主義」を信奉するもの
は虚偽意識を抱えているといえるのである。バーガーは、彼らのいう〈真理〉の確認の困難さは
誇張に過ぎず、世界には〈事実〉が存在し、その探求における〈客観性〉も可能であることを、
身体的リアリティや、デュルケムによる社会論や、シュッツの日常世界における「自明の経験」
といった概念を紹介しながら主張している(Berger and Zijderveld 2010:63)。〉
バーガーによれば、こうなんだそうだ。
- 574 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 11:51:08.24
- [ピーター・L・バーガーにおける「宗教的ミドルポジション」の可能性と意義]
頭ではなく、真ん中に挟まってしまったが、これは論文の題名である。
- 575 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 13:31:37.23
- ジュディス・バトラー「ジェンダー・トラブル―フェミニズムとアイデンティティの攪乱」
これは構成主義関係の本としては、一番くらい売れたものだろうが、
バトラーはヘーゲル研究者である。
- 576 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 14:29:54.41
- 相対主義ってラベリングがそのまま「日和見主義」と同等の悪口だからなあ
そういうまとめ方そのものに悪意があるよ
- 577 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 14:38:04.22
- >>570
不満だろうけど、数学が科学の一分野ってのは特に大層な話じゃない、ってのは得心できたわけね。
哲学的な議論にまで発展するとは思わなかったけれど、特に物理学と数学の関係は二つのものの関係、
と言うよりは共通部分を持つ二つの集合、というベン図を書けばいいんじゃないかと思う。
数学の要素であって、物理学の要素でないもの、ってのを具体的に考えるとあんまり思いつかない。
数学と物理学、ってパラダイムを固定した議論だと、二つの関係は?と言う問いが出てくるけれど、学問領域
を固定して考えて不都合が出てくるなら、新たな線を引くと考えればいいと思う。
物理の先生が必要な数学を教える、ってことはよくあることで、ハイデガ的に言えば自分の物理学像の中に、
必要な数学を内在させると考えるってことになるんじゃないかと思う。
数学と物理が分かちがたい、と言う認識と、物理は科学、と言う認識から科学⊇数学、ってことを言ったわけ
だけれど、学問分野の境界は非常にあいまいだ、と言うことは再認識させられた。
あと、君らの出した、数学は道具に過ぎない、と言うテーゼは、むしろ論理学は諸科学の道具、と言うべきなのかも、
とも思ったな。記号論理学では、論理の正しさはまさにその「形式」にあるわけで、
命題自体の内容の正否には関わらない、と言う立場だからね。
- 578 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 14:47:55.49
- デカルト、パスカル、ラッセル、ウィトゲンシュタインらは数学者でもあった。
彼らが科学と哲学の境界線を見定めることができたのは、
つまり数学が科学であったからじゃないの?
- 579 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 14:55:42.69
- ここのせいで、そういう固定的なレッテル貼りに懐疑的になった今日この頃(笑
- 580 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 15:18:57.14
- バーガーが構成主義の代表格という話があったので、
当人はこう言っているらしい、と引用をしたまでだ。
バーガーの本は読んだことがなく持ってもいないので、上記論文の要約の貼り付けで済ました。
- 581 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 16:07:10.04
- >>578
ウィトゲンシュタインは違うよ。
あまり数学には詳しくない。
他の3人は、その時代のトップレベルの数学者だけど。
- 582 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 19:01:58.24
- >>577
いや、だから数学は経験科学でも社会科学でもないので
形式科学だという立場しか今残ってないとして
その形式主義が社会構成主義によって論駁されてしまえば
物理学に必要な要素だから科学だとかいうトンデモ論なんて
関係ないって話なんだが
ケーキの例えでいったろ料理に数学が必須な要素だからといって
数学は料理にはならないと
- 583 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 19:07:34.41
- あと和算もそうだが、科学とは独立して楽しまれてきたわけで
そういった観点を鑑みれば、数学の科学性というのは違うだろうと
やはりヴィトゲンシュタインの言うような言語ゲームの一つと考えるのが
妥当
- 584 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 19:16:10.16
- >>573
相対主義はデュルケームなのはわかるが
デュルケーム自体は社会構成主義的立場とはちょっと異なる。
デュルケームはミクロの
関係性に焦点を当ててないから
>>575
バトラーの構成主義要素って
ゴッフマンからじゃないか
- 585 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 19:28:23.31
- >>582
っと訂正、自然科学でも社会科学でも
- 586 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 20:21:27.18
- >>585
なんだ、まったくわかってないじゃんか。
そんなに頭の硬いことじゃ、文学なんてさらにだめだよ。まあ、結論はでた、とおもっているから、もういいや。
- 587 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 20:35:58.95
- >>586
分かってないのはお前だ
- 588 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 20:40:44.66
- なら、バトラーがゴッフマンについて言及している部分を、一部引用してもらえないか。
- 589 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 20:44:57.37
- 〈一般に「相対主義」と呼ばれているものは、価値相対主義と認識相対主義と
呼ばれる本質的に異なる二つの言説を含む。
両者は、社会構築主義(社会構成主義)を媒介として、ある関係を結んでいる。〉
こういうのが一般的な説明だろう。もうすこしいえば、構成主義と相対主義の区別は、はっきりしない。
それと引用でなく、文献等の紹介でも良いから、お願しますね。
- 590 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 20:50:10.64
- ボーボワールの有名な、「女に生まれるのではなく、女になるのだ」
からして、フェミ構成主義だろう。ようするに、
そのしゅの思考は、バーガーが言うように、昔からあるものだ。
焼き直しの焼き直しの焼き直し、くらいの流行思想だったと思えばいいだろう。
- 591 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 20:54:55.86
- 構築主義=構成主義なの?
- 592 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:02:11.07
- social constructionism 、social constructivism
この訳だろう。
何とか主義の多分に漏れず、相対主義も含めて、
線引きはほとんどムリだろうな。
- 593 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:09:31.39
- 社会とは概念装置を介して認知されるもの概念的なものであり、
この概念装置とはさまざまな諸概念の束によって構成される複合的なものであり、
等質なものではない。
構築主義とはだいたいこの様なもので、
ポストモダン界隈では言説(ディスクール)の束と翻訳されているようですが。
つまり、諸言説は相同的なものではなく、これら上手くをコーディネートして
社会なるものを“共同幻想”できればいいわけ。
- 594 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:11:36.02
- http://ll.ly/2pRqUz
バトラーとゴッフマンの関係はここらへん
- 595 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:13:09.86
- 特にナチズムとの関連で議論される構成主義は
現代社会学の構築主義とは違うと思うんですけどね。
- 596 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:25:24.36
- 束として捉えるのが構成主義だとしたら
だとすると束から出発したわけではない
共同幻想論とはアプローチが異なるのでは
- 597 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:26:07.65
- ナチズムは近代科学テクノロジー、優勢遺伝学、自然崇拝的神話、近代法理論、実存哲学、大衆消費社会、近代法理論
といった本来は異質な言説を強引に統合したような部分があるのだけど、
これはいわゆる構築主義でも構成主義でもないでしょう。
社会学上の構築主義というのは、一見妥当性をもつ揺るぎない社会像も
異質な諸言説の構成物に過ぎないと指摘しているだけであって。
これはニーチェの系譜学と大して変わらない。
- 598 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:29:14.87
- 吉本理論なんて紛らわしくなるだけだから
いらんわ共同幻想なんて言葉は使わんでくれw
- 599 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:31:25.41
- 相対主義にもレベルがあるから
人間相対主義や文化相対主義や個人相対主義といったレベルがあって
また相対主義だと構成という要素が抜けてしまう
- 600 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:38:09.52
- ニーチェの文化相対主義的アプローチだと
あくまでも文化レベル、概念レベルにとどまっちゃうので
社会構成主義だと感情といったところまで踏み込む
たとえば悲しみという感情は社会的に構成されているとか
まで踏み込む
- 601 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:40:48.01
- >>596
>共同幻想論とはアプローチが異なるのでは
共同幻想は便宜的につかっただけで吉本の共同幻想を意味するものではありません
>束として捉えるのが構成主義だとしたら
だから、「構築主義」は「諸言説の束」によって構成された「概念装置」が
社会幻想を構成員に供する、と定義しているでしょう?
- 602 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:45:18.94
- 概念装置だけでなく、感情や人格といったところまで踏み込むのが
構成主義なのか
- 603 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:46:35.75
- >>600
>社会構成主義だと感情といったところまで踏み込む
>たとえば悲しみという感情は社会的に構成されているとかまで踏み込む
ニーチェは心理学の領域にまで踏み込んでいるので、
感情的な自己操作術まで述べていますよ。
丸山圭三郎はニーチェのそういった部分を
ソシュールやラカンを援用して評価しているんですね。
- 604 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 21:56:38.65
- >>603
丸山は実体論を否定して関係論を主張してるので
ありそうだが
ニーチェの心理学的側面について評価しつつ
構成主義的見解を述べてるのって
丸山の著作のどこらへんに書いてあんの?引用してみて
- 605 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:18:34.72
- >>594
述べてねーじゃん
- 606 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:25:02.42
- 相対主義の他の訳語は、関係主義だからな。
主体は社会的諸関係によって規定される、という意味で、社会構成なんだな。
紹介の文献の、関係個所はどのあたりなの。
その部分を貼りつけてください。コピーなので、手間ではないだろう。
- 607 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:32:23.63
- relationalism 関係主義 relativism 相対主義
- 608 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:33:07.86
- >>605
おもいっきりゴフマンの概念から発展させてるのが書いてあんじゃねえか
- 609 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:47:12.86
- ヘーゲルの精神現象学は関係論レベルに留まり
社会構成主義までは用意できなそう
ホネットが相互承認論に発展させたあたりまでじゃね
- 610 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:52:46.89
- バトラーがゴフマンを援用しているのは、じっさい有名なんだ。
ただし、元をたたせば、ヘーゲル、さらに、カントのいわゆる「コペルニクス的転回」
になる、というのは、これは一種の常識なんだな。
例えば、カッシーラーなどの新カント派は、象徴系の構造が人間存在を規定する、という観点をとった。
こういうのは、構造主義の先駆ともされるが、新カント派がカントの影響を受けていない、
ということは、ふつうにいえばないわけよ。
- 611 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:56:58.90
- 〈相対主義(そうたいしゅぎ、英:relativism、独:Relativismus、仏:relativisme)は、
経験ないし文化の構成要素やそれに対する物の見方が、その他の複数の要素や見方と相対的関係(is relative to)
すなわち相互依存関係(is dependent on)にあるという考え方である。〉
それは慣用で日本語訳を分けている、という話しであって、日本語ではどちらかといえば、相対、よりは、関係の意味に近いわけよ。
- 612 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 22:57:42.86
- 構造主義と構成主義は違うんじゃないの?
- 613 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:00:45.64
- 社会構成主義はフッサールの影響下にあるシュッツの影響が強いから
現象学的な相互主観性の概念が出てこないとダメだね
だから構造主義とは違う
- 614 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:06:31.89
- 〈関係主義(かんけいしゅぎ)、ないしは関係論(-ろん) (英: relationalism)とは、存在を関係性の中の結節点(ノード)として捉える発想・主張のこと。
存在が独立的・自立的に存在していると捉える実体論(substantialism)、素朴実在論(素朴実体論)と対照を成す。
なお、似た用語としては、知識社会学の祖であるカール・マンハイム等に始まる、思想・認識の社会的被拘束性・相関性を前提とした、
個々の社会的・歴史的文脈に着目する相関主義(relationism)があるが、関係主義(relationalism)は関係性そのものを強調するという点で、
ニュアンスや観点がいくらか異なる。〉
構成主義のはしりだというマンハイムにしても、「相関主義」となっている。
- 615 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:11:06.18
- >>613,614
なるほど、相対主義も関係性そのものを強調したりはしないから
相対主義がすなわち関係主義にはならないってことね
現象学的な相互の関係性が重要なんだね
- 616 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:12:20.42
- 象徴系の構造に拠る存在規定、というのは、
言語あるいはなんらかの記号を介するわけだから、
とうぜんコミュニケーションの問題になる。
「近代他者論」というのは、ほぼ元祖はヘーゲルだ。
- 617 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:15:55.74
- 丸山のいう言語相対主義レベルまでだと
社会構成主義にはならなそう
- 618 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:20:08.85
- 現象学は、超越論的現象学、だろう。
チョーエツロン、といえば、元祖はカント大先生だ。
ようは、モーツアルト、ベートベンと関係ない現代音楽はない、
のと似たような話しなわけよ。
- 619 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:21:33.75
- ヘーゲルは実体論から関係論への土台を用意したって程度かと
関係性そのものまではヘーゲル以降だろうね
ホネットやバトラーによって発展させられてるように
- 620 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:22:38.17
- なるほどね。萌芽はカントやヘーゲルにあるってことなんだ
- 621 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:28:01.25
- カントの超越が認識論であるのに対してフッサールの超越は
方法論であるので微妙に異なるね
社会構成主義となるとやっぱりフッサールを待たねばならない
- 622 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:32:13.32
- 文化相対主義(ある文化の優劣は、その文化の外部の尺度によって計ることはできない、とする態度や、
自文化も絶対的ではないとして相手文化の価値を理解しようとする態度など)
日本で、相対主義というと、こういうイメージが強いだろう。
とはいえ、アメリカあたりの構成主義者は、文化相対主義者が多いので、
これともかぶる。
- 623 :吾輩は名無しである:2015/03/22(日) 23:40:19.31
- 〈超越論的な認識とは、われわれが一般に対象を認識する仕方に関する一切の認識を意味する。〉
これが普通の説明。換言すれば、認識のメカニズムについての認識の学、となる。
ちなみに、超越的と超越論的は、一応違うこととして分けることになっているだろう。
(ただし、私としては、じつは不可分だと思っている)
- 624 :吾輩は名無しである:2015/03/23(月) 00:01:25.63
- 〈単に構造ともいう。数学の一つの理論は,ある全体集合の元 (要素,対象,個体,変数) の間に,基本的な関係,
すなわち公理を規定することによって成立する。このように,公理による元の間の関係の規定を,数学的構造という。〉
レヴィ₌ストロースの「親族の基本構造」には、たしかアンドレ・ヴェイユの解説がついていたように、
「構造主義」のアイデアは数学的構造主義からもきているわけね。
上でも構造とは「公理による元の間の関係」となっているのじゃないか。
- 625 :吾輩は名無しである:2015/03/23(月) 00:44:33.64
- レヴィ・ストロースのアイデアはソシュールよりむしろ数学って、岡本裕一郎の「フランス現代思想」でも強調されてるね。
- 626 :吾輩は名無しである:2015/03/23(月) 08:37:48.59
- ゲーデルの不完全性定理とか。
- 627 :吾輩は名無しである:2015/03/23(月) 23:22:05.25
- 未だに社会構成主義なんてやってるのか。
- 628 :吾輩は名無しである:2015/03/23(月) 23:41:49.43
- >>627
いまは、なにが流行ってるの?
- 629 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 12:16:07.75
- 文学板で科学の話が出るのは面白いね。
もっとも、芥川は文士は数学をやれ、とか言ったらしい。
でも数学は積み重ねだし、最近はさらに細分化専門化が進んでいて、たまたま他の数学者の発表を聞いた
某数学者が、よくあんな難しいことをやってますね、とのたまわった由。2chならお前モナーとか言うところだろう。
学際はかなりあいまいで、それでも、文学⇒哲学⇒科学、と言うアプローチは自然な流れに感じる。
底流に流れるのは数学ではなく、むしろ論理学だと思う。
論理学も古典的なものから記号論理学へ発展したわけだけれど、論理学の正しさはその「形式」
つまりこれこれこういう論理形式で述べられているがゆえに、その論理は正しい、ってところに落ち着く。
これは、文学でも科学でも、論文の正しさを計る基準としていわば無意識に受け入れられているのかも。
構造主義とか設計主義、ってよく使うことばだけど、定義が多様化してすれ違いの議論をしていないか、気になるところ。
ばしっと共通認識をクリアにしてから議論すると、遠回りなようでかなり効率的に思う。
国語辞典を定義集にするには現状ではやゝ不足な感じで、キーワード的な語句については網羅的な解説をつける、
なんてのがよさそうに思う。哲学辞典+文学辞典+科学辞典⇒国語辞典、みたいなのが簡単にできるといいと思う。
- 630 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 12:38:55.96
- 文学板で科学の話が出るのは、私はむしろつまらないと思う。
ニューアカ系など典型だが、あるころから、「理系っぽくする」というのが多かった。
大分前から食傷だ。
辞典の数学的構造の項目を引用したのは、構造は要素間の関係の規定、だという、元の考え方を
紹介するためだ。
- 631 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 13:43:22.45
- 論理学の正しさの根底には倫理学がある。
- 632 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 13:52:09.10
- その根底には美がある、みたいなオチもよく見かける
パースとかな
- 633 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 14:10:29.24
- >>631
特に記号論理学では、扱う命題の内容には関わらず、特に論理の展開形式そのものが正しいかどうか、
と言う立場でしょう。
無論、倫理学の命題を論理学を使って展開する、と言うこともあると思います。
>>632
Aまたは非A、と言うのは、命題Aがなんでもいいわけで、それが倫理学の問題でも真善美の問題でもかまわない、
ってわけです。
- 634 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 14:29:52.23
- 633のレスは、核心だと思う。
問題は、その形式的な正誤の判断が、
カントの云うように、アプリオリな綜合判断なのか、
それともほかの何かなのか、ということに尽きると思うのだ。
そして、構成主義を含むポストモダン思想が、こういう問題について、
異なる「解決法」を提案できるとは思わない。
- 635 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 15:10:31.69
- >>629
>文学でも科学でも、論文の正しさを計る基準として
科学は知らないが、文学では論理に価値を置く人はとても少ないな。
残念なことなのか、当然のことなのかはわからないが。
文学作品というのは、やっぱり人の心をどこまで掘り下げられるのかというところに主眼があるし、文学理論もまた、その心のあり方をめぐっての考察から離れられない。
- 636 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 15:24:50.04
- 論理的なレスですね(笑
- 637 :635:2015/03/24(火) 15:28:20.76
- 誉められちゃった、のか?
- 638 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 16:44:02.99
- 達意な文章ってのは多かれ少なかれ論理的なもの、と言うよりは論理的に整合性を保っていると言うべきか。
文学的な味付けはさらにその先の話だと思うんだけどな。
- 639 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 17:03:43.73
- >>631
うむ。
ブレンターノ的だな
- 640 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 17:12:32.73
- >>638
不合理ゆえにわれ信ず、とか誰かが言ってたような?
- 641 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 17:21:39.40
- >>640
それは無理だな
- 642 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 17:43:16.00
- >>641
文学とは、そういうものかも知れないよ。
三島の作品と事件を、論理的、合理的に考えるのは難しそうだ。
それが文学の扱う、人間というものかも知れない。
- 643 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 18:00:05.88
- >>642
合理と納得とはべつのものだからね
- 644 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 20:14:27.14
- >>643
合理的であることに納得しないのは、なぜだろう?
- 645 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 21:12:07.71
- 負けを認めることになるからだよ。
- 646 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 21:17:41.69
- 強制連行はなかった。慰安婦はただの売春婦だった。高給をもらっていた。
娘を売ったり騙したのは日本人ではなく韓国人であった。
日本の多額の戦後賠償は終わっていたが、
韓国民に知らせずその金を使い込んでいたのは韓国政府だった。
論理的、合理的に説明しても、絶対に納得しない。
負けを認めることになるから。
- 647 :吾輩は名無しである:2015/03/24(火) 22:19:30.76
- いやむしろ、「合理」というのは単なるシンタックスで
漏れるものが多すぎるから信じてもらいにくいという感じかな。
- 648 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 05:40:47.97
- 非合理が多くて信じてもらいやすい、と言うのはちょっと信じられない。
具体的には、感情の中でも非合理的な感情、とかうそ捏造。
客観的には、中国や朝鮮はその傾向が強いね。日本はそうではないと思うけどねえ…。
- 649 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 10:26:20.70
- >>646
政治的な話題に参加はしないが、すべて断定するのは合理的ではないだろう。
政治としての歴史というのは、どちらの側にも正があり、誤、あるいは虚偽があるものだ。
- 650 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 10:30:35.94
- >>648
合理性に関して政治を持ち出すとすべての議論が崩壊する。
自己にも他者にも、正のかけらと多くの虚偽がある。
虚偽を繰り入れる正は、合理的ではない。
それはすべての政治的な発言、行為に当てはまる。
- 651 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 10:33:17.19
- 自己の属する集団の方向を正と考えるとき、それはすでに合理性を失っている。
その集団が国であろうと大学であろうと思想であろうと同じことだ。
- 652 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 10:36:32.91
- >>649
事実にもとづいた主張と事実に基づかない主張を、同じ土俵で論じるのは、
事実に基づかない主張をしているものに有利に働く、と言うことを考えないと。
中国や朝鮮の反日は、事実に基づかない主張。それをうそ捏造と言うわけ。
- 653 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 10:38:59.51
- >>651
いや、その方向に対して正でないものを合理的でない、と言うのでしょう。
絶対普遍の合理性なんてあるのかな?
- 654 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 12:50:05.21
- >>649
>政治としての歴史というのは、どちらの側にも正があり、誤、あるいは虚偽があるものだ。
だから証拠が必要不可欠になる。
非合理的な論理には証拠はなく、証言のみで成立する。
証言と証拠。この違いは大きい。
証言には虚偽が入り込むスキがあるが、
証拠に虚偽を入れると瞬く間に捏造となり、
他の証拠と照らし合わせると合理的でなくなるため捏造はいずれ暴かれる。
- 655 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 12:57:13.48
- >>650
>合理性に関して政治を持ち出すとすべての議論が崩壊する。
崩壊はしない。それこそ非合理的な結論。
先進国が先進国たるゆえんは合理的な判断ができるから。
つまり未熟な国家、政府は、合理的ではない。
虚偽は証言によって構成される要素。
だから証言ではなく証拠が重要になってくる。
当然、一つの証拠を裏付ける証拠も必要となるため、
証拠は多ければ多いほど信憑性が高い。
- 656 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 13:03:32.94
- 【結論】
証言をいくら集めても真実、事実にはならない。
つまり証言を集めることで真実、事実とすることは、非合理的。
逆に、証拠を数多く集めることで真実に近づく、事実を解明する、という考えこそ合理的。
- 657 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 13:53:28.01
- >>652 >>654-656
そうした決めつけが合理的ではないということ。
歴史というのは、近年のものであっても、すでに埋もれていると考えないといけない。
歴史は常に考古学だから、埋蔵物などの新たな発見やその解釈によって方向性は変わる。
同時代であっても、政府の発表や個人の感覚は事実としての範囲はすごく狭い。
まして時代を遡ったり戦乱期であれば、断片的な事実を探し出すことさえ至難のことだ。
戦乱期では、沖縄や東京都心部のように、自分の父祖の戸籍すら焼失している例も珍しくない。
- 658 :652:2015/03/25(水) 14:04:55.65
- >>657
中国や朝鮮のうそ捏造まで擁護するのは非合理的。
決め付けられるのがいやであれば、反証を示すのが合理的。
- 659 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 14:57:30.64
- 日本神話も嘘になるけど右翼のあんた的にはいいの?
- 660 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 15:21:04.24
- 私は右翼ではないけど、日本神話で反日するわけじゃないからOK。
- 661 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 15:37:28.28
- >>657
>歴史は常に考古学だから、埋蔵物などの新たな発見やその解釈によって方向性は変わる。
>同時代であっても、政府の発表や個人の感覚は事実としての範囲はすごく狭い。
>まして時代を遡ったり戦乱期であれば、断片的な事実を探し出すことさえ至難のことだ。
まさに、こういうのが非合理的な考え。
証言と同義の主観的「決めつけ」が入り込んでいるため、虚偽の入り込む隙ができる。
そういった決めつけや言い訳することなく、
証拠を積み重ねるという作業を粛々と進めていけばいい。
証拠に基づく検証は決めつけでもない。また新たな発見によってより真実に近づくだけ。
ただし、解釈は、主観であるため参考程度にしかならない。
証拠がすべて。証拠の積み重ねこそが合理的判断の基本。
ここに感情の入り込む余地はない。虚偽の入り込む隙もない。
しかし証拠に解釈を付け加えることがまた非合理的な思想を生む可能性がある。
それは証拠が悪いのではなくて、まさに勝手な解釈こそが非合理であるため。
証拠の存在は決めつけではなく、事実。
証拠の積み重ねは、感情ではなく、冷静な論理的思考である。
- 662 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 15:42:32.65
- >>660
神話は現実ではない。歴史は事実を基にすべきもの。
そもそも神話は宗教であり、歴史ではない。
まさに神話は非合理的なもので、歴史は合理的なものをいう。
- 663 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 15:45:00.47
- >>662
いや、神話(古事記など)は当時の状況を神を比喩に用いながら記述したものだと
いう説もあるよ。そう読み直すと実に合理的。
- 664 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 15:51:09.55
- >>663
それは一つの解釈であり、事実かどうかは証拠がなければ判断できない。
合理的な解釈である、とは言えるが、合理的な事実ではない。歴史的事実とするなら証拠が必要となる。
合理的な解釈であっても「解釈」であるがゆえに、虚偽(想像)の入り込む隙ができる。
歴史問題の難しさはそこ。
それを解決するためには、より多くの証拠を見つけ出すことに尽きる。
- 665 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 15:58:33.51
- >>664
文学は解釈の上にしか築けない
- 666 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:02:45.17
- 歴史ってのは基本的に民族の栄光をたたえるもの。
日本の歴史は神話と国史がつながっている、世界で唯一の歴史。
だから歴史の見方は日本独自の眼でみなければならない。
歴史と神話がつながっている国が日本以外にないからと言って、日本の歴史から神話を排除するのは
自虐的でお馬鹿な考え方。史学者は左巻きばかりなので、他国に都合の良い考え方を踏襲する。
過去を合理性の視線で見るのは、未来に生かす意味では無意味とはいえないが、
所詮森羅万象を歴史的に記述することはできないので、歴史は事実と類推から成立すると考えざるをえない。
- 667 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:16:13.30
- >>664
ビッグバンだって数学的な解釈でしかないだろ
- 668 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:18:57.36
- >>665
文学は一種の洗脳による。そういった意味では宗教に近い。
しかし宗教と違うのは、普遍的な事実によって、構築されるところ。
ようは、文学におけるリアリティーというものは、読者の記憶を刺激、体験を想起させ、
それがあたかも現実(リアル)と感じさせるところにある。
つまり虚構の裏側にあるリアルを暗示させることによって、虚構という嘘話が、文学となる。
ラノベが文学となり得ないのは、読者のリアル体験を想起させる要素が希薄だから。
ただの楽しい妄想、想像、空想がラノベであり、しかしまた、そういったものが娯楽小説の存在意義である。
文学は虚構であっても、現実の人生と、どこか結びついているものであり、それが文学の存在意義である。
現実の人生と結びつくためには、合理的な思考によって構成され、現実に起こりうる不合理な人生をも描かなければならない。
何が合理的であるべきか、また何が不合理なものとして存在しているのか、ちゃんと区別がついていないと、判断を見誤るだろう。
- 669 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:22:12.52
- >>667
数学的データが証拠となりうる。
つまり観測や実験データが証拠となり、事実と証明される。
数学的解釈で終わりではなく、
解釈をもとに観測したり実験したりして証拠を集める。
あらたな観測データや実験結果によって、より真実に近づく。
解釈によって、ではない。
- 670 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:22:36.55
- >>668
そんな中二理論じゃだれも納得しない
- 671 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:25:36.12
- >>666
>歴史ってのは基本的に民族の栄光をたたえるもの。
こんな基本はない。
歴史は真実を知りたいという人々の欲求。先進国ではこれが当たり前の発想。
途上国は、自国の発展のため、また国威発揚ため、そういったことをしているかもしれない。
- 672 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:25:47.90
- >>669
そこでいう「事実」というのは観測の結果が数学的な整合性を
持つということでしかないよ。
天体の動きは太古から人間に把握されてる。
最新の天文学はそれを数学的な説明に置き換えようとしているだけ。
- 673 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:27:04.79
- >>670
>>644-645
- 674 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:32:42.77
- >>672
天文学者や科学者は違う。
説を唱え、実験結果によって、それを証明する。
数学的に置き換えているだけでは認められない。
たとえばブラックホールもまだ捉えられていない。
数学的な説明はすでにできているが、証明はまだ。
ダークマターについても同じ。推論でしかない。
それを証明するために、みな人生を賭けている。
置き換えるだけなら楽な仕事。つまりそうではない。
- 675 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 16:42:43.12
- 国家と歴史とかは歴史哲学とかメタ歴史学になるんじゃね
文学理論で扱う領域じゃない
- 676 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:02:31.48
- >>658
相手をうそや捏造と決めつけることが合理的な思考ではない、と書いてるんだが?
事実というのは、すべてを知ることは不可能だから。
>>660
反日、というのは合理的な方向ではないだろう。
なぜなら、日本という言葉がなにを指しているのかあいまいだから。
日本という言葉でひとつだけ明確なのは、日本政府を指すということだ。
反安倍政権という考え方は反日、というわけでもあるまい。
- 677 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:07:21.98
- というわけで、文学論スレで「合理」を話題にするのはやめようぜ
あhくさい
- 678 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:09:31.44
- >>661
なにが決めつけなのかわからない。
事実の見かた、を指摘しているだけなんだが。
「証拠」といっても、事実のすべてではないし、一面から見た事実に過ぎないかも知れないし、虚偽の文書かも知れない。
歴史を見るということは、つねにそうした細心の注意を払っておかないといけない。
>>666
民族の栄光をたたえるのは自由だが、それは歴史ではないし、合理的な思考でもない。
合理性を排した一つの見かた。
ヒトラーの主張と変わらない。
- 679 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:09:57.01
- 平成合理戦ぽんぽこ
- 680 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:12:41.44
- >>677
文学理論は合理的でなければならない、という主張の人がいて、文学とは不合理なものだという主張の人がいた。
そこへ変な人が政治問題を持ち出した。
本来の文学における合理不合理の問題であれば、十分に議論になる内容だと思うが。
- 681 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:22:23.75
- >>678
>事実の見かた、を指摘しているだけなんだが。
それが「決めつけ」であり、主観的な意見にすぎない。
誰かが間違っているといえば、それで終わり、というもの。
しかし「証拠」は誰から見ても事実であり、事実を証明する物として、それがすべて。
一面から見た証拠というものはない。
また虚偽であればそれは証拠として認められない。
歴史を見るということは主観を挟まずに、ただ証拠を示すだけ。
解釈は、それぞれ意見としてあっていい。しかし、証拠は絶対的。
もちろん一つの証拠では不十分。より多くの証拠や裏付けとなるものが必要となる。
そういった意味で証拠としてはまだ不十分というものもある。
しかし証拠こそが嘘偽りのない事実を検証するものであり、その認定の基準となる。
証拠に決めつけはない。厳然たる事実。
しかし、証拠以外の解釈や思想は他人から見た場合、決めつけ、にすぎない。
もちろん賛同する人間もいる。
解釈は多数決で決まることもあるが、
証拠は多数決で決まったりするようなものではない。証拠は厳然たる事実。決めつけでもなんでもない。
ただし、捏造された証拠がある場合があるので、証拠として見なす場合そこは注意しなければならない。
- 682 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:28:45.96
- >>671
>>678
歴史で真実なんてのはわからないと思う。
政治色がついているかどうかも、資料だけではわからない。
単に細切れの事実があるだけだろう。
先進国とはどの国のこと?(笑
アメリカは原爆投下をどう書いているか。
中国は、朝鮮は…
イギリスはアヘン戦争をどう書いているか。
ドイツにいたっては、ドイツ人はヒットラーの被害者だ、ってスタンス。
- 683 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:37:11.15
- 歴史が栄光を称えるものであるというテーゼは
世界史を見ればわかるけれども別に自明な事柄ではない
国家と歴史とかの問題はだから歴史哲学で文学理論とかじゃあない
- 684 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:37:24.87
- >>681
事実の見かたというのは主観ではない。
どれが事実で、その事実はどういう状況で起きて、どういう形で記録されたものなのか。
そうしたことを確認していくのが合理的な思考というものだ。
「証拠」といってもさまざまな態様がある。
なんらかの事象を公務員が書きとめたものだからといって、間違いのない事実であるかどうかすらわからない。
たとえば、紛失して書き直した戸籍が誤っていた、ということも実は多い。
そこではすでに事実が消えて、虚偽が事実として記載される。
そもそも、戸籍の届け出自体、過去には事実も日時も家族の恣意で行われていたということもある。
写真が「証拠」だという人もいるだろう。
しかし、その写真の撮影日、撮影場所を特定するのは、これも困難だ。
映像ならどうか?
かつて、東西さまざまな陣営で映像が捏造されたことも、否定できない事実だ。
歴史における「証拠」、というものはそう簡単に手に入れられるものではないし、その信憑性を確認するには、「証言」に対するのと同じだけの手間と作業が必要なのだ。
- 685 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:41:38.29
- ポストモダン歴史論とかキース ・ ジェンキンズとか
だから文学理論でやるもんじゃないって
- 686 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:45:05.05
- >>685
文学理論に合理性は必要?
- 687 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:48:57.19
- それよりポリフォニーのが面白いよ
- 688 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:52:28.90
- >>686
「合理性」という言葉によって何を意味するかによるだろ
文学理論が何を含意するかにもよるし
文学というものの法則の束を理論的に説明するという場合
そこに客観性、科学性が求められるという意味なのか
あるいは合目的的な意図と行為のモデル的理解も含むのか
または整合的な意味的な理解についてまでなのか
文学理論の場合や、精神分析学や物語の類型論といったところまで含むのだから
「合理性」という言葉がどこまで含むかによっていろいろ限界はある
- 689 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:55:11.91
- 結局、歴史と言うものは、民族の栄光を、事実や事実らしきものをその補強材に使って構成された物語みたいなもの。
だから戦後70年の日本の歴史はその意味で異端であり、噴飯物だ。
見たことを語るにしろ、せいぜいいいところ100年ぽっち。
伝言ゲームを考えれば、認識は幾何級数的に変質していくだろう。
しかも見たものも多くの場合は一面的で、見たと考えているから硬直し、かえって始末が悪い。
語られる、記録されるのは、記録する主体が記録する必要がある、と考えているものだけ。
歴史は科学ではない。
- 690 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:56:08.94
- 民族の栄光とかいいだしたら外国の歴史家が語る歴史とかは成立しなくなるだろ
- 691 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 17:58:21.97
- 外国人の歴史家が、日本民族の栄光を語る場合はおk
- 692 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 18:02:04.18
- >>682
それは、歴史の解釈であって、歴史そのものではない。
証拠さえ残っていれば、あとからいくらでも検証ができる。真実を探ることはできる。
歴史の解釈は、時代時代によっても、また国によっても異なる。それが普通。
しかし、証拠を基にした歴史的事実。つまり客観的事実は、変えようがない。
歴史の重要性はそこにある。
だからこそ、歴史的なものは保存し、残しておかなければならない。
文学作品(たとえば青空文庫の本)においても、作者が書いたまま、残しておかなければならない。
間違っているからといって勝手に校正してはいけない。
原爆投下による民間人大量虐殺は、後世のアメリカ人にとっては黒歴史となり、批判の対象となるだろう。
- 693 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 18:02:54.72
- そもそも日本民族という事自体が自明ではない
渡来人だっているわけだし。アイヌ民族だっているし。
『日本人の境界』のように歴史学の方法論には言説分析だとかも含まれるし
- 694 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 18:07:07.47
- >>693
だよな
日本語文化圏だと地域性が崩れるし
- 695 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 18:17:05.17
- >>684
主観である。
もっといえば証拠や観測データや四則などの計算式の解以外は、すべて主観である。
証拠やデータは、それが正しいか正しくないかの二つだけ。さまざまはない。
公務員の話は、公務員が書き留めた、という証拠であり、
書かれている内容が正しいかどうかとしての証拠としては不十分。だから他の証拠が必要。
戸籍の話にしても、何の証拠であるかの判断がわかっていないように思われる。
戸籍によって出自がわかる。その信憑性は高い。その証明。
その信憑性を疑うには、間違って書かれたものであるかどうかの証拠を提示しなければならない。
つまり、証拠の重要性がこれらのことでもわかる。
合理的な判断とは、証拠やデータによる検証によっておこなわれる。
嘘の証拠や曖昧な証拠によって、証拠そのものの重要性を否定することはできない。
簡単に手に入れられない、信憑性を確認するのが難しいといって諦めたら、そこで終わり。
そして証言に頼るようなら、それは嘘の歴史。デタラメであり、非合理的。
- 696 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 18:41:32.04
- >>695
戸籍なんてえーかげんだぞ
- 697 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 18:49:10.38
- >>692
それってのが何をさしているかはわからないけど、賛成な意見。
- 698 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:01:30.75
- >>693
アイヌが日本に帰属意識をもてば日本人。
だから、在日朝鮮人だろうが、日本に帰属意識を持てば日本人。
そもそも古事記には日本がどこか、ってのがきちんと定義されている。
その日本に住んでいるのが日本人。
古事記は日本のことしか書いていない。
まあ、反日がいるのは歴史的な想定外(笑
だから、出て行けと言う発想になるわけだ。
つまり、歴史は民族の栄光を語るもの。
そして日本の歴史は神話と国史が連続している。
- 699 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:20:59.18
- >>698
帰属意識とかそれこそそれ自体証拠なんてないわけで
- 700 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:24:26.92
- だいたい帰属意識を持った日本民族の栄光の歴史なんて言ったら
日本に帰属意識を持っていながら移民した
日本人の歴史も書かなきゃならなくなる
日本民族という定義自体にも曖昧さが残る上に
日本民族と関係ないことは日本史ではないなんて言い出したら
ビートルズ来日とかマッカーサー来日、占領下の歴史とか書けない
- 701 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:27:54.92
- >>698
古事記に描かれてるのは南朝鮮と西日本にまたがったエリアだそうだ
- 702 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:30:03.58
- >>698
>だから、在日朝鮮人だろうが、日本に帰属意識を持てば日本人。
これは間違い。
帰化すれば、日本人。意識だけでは証明にならない。
意識や証言ではなんの根拠や証拠にもならない。
先頃、在日の俳優が台湾の空港で暴力事件を起こした。
日本では在日朝鮮人に考慮し、報道規制したり、
日本名(通名)で報道したようだが、
台湾では在日韓国人が起こした事件として大々的に報道されまくった。
これが合理的な判断であり国際常識。
- 703 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:33:50.62
- 国籍を要件としたら近代国家前提になるし
国籍なんて近代以前にはなかったわけで
- 704 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:38:01.43
- >>703
国籍という概念がなかったという歴史は事実であるから、それをそのまま認めるだけ。
何の問題もない。
歴史を、政治や民族的優位性の話に利用しようとすると、諸問題は生じる。
- 705 :701:2015/03/25(水) 19:43:03.43
- >>698
石田英一郎著「日本文化論」より
「(略) 第三の疑問は、『古事記』、『日本書紀』にある日本の建国神話、とくに天孫降臨のものがたりのなかに、
古代朝鮮の開国神話の内容や地名とぴったり一致するものがあるということです。
私は前にも述べましたように、神話のなかには、過去の歴史的事実の反映があるとする学問的な立場にたっております。
つまり、神話のなかに、歴史的事実と関連するものがあるとすれば、その関連を証明することが科学的態度であると考えています。
ところで、日本の建国神話と朝鮮の建国神話とのあいだに、非常に多くの一致点があることが問題になっています。
日朝両国の建国神話のモチーフには似たものがたくさんあるのです。
たとえば、日の光に感じて父なくしてうまれた子が王朝の始祖になったという日本の説話にある要素が、
朝鮮の説話にもあるのです。具体的に、朝鮮の三国その他の国々の建国神話として伝えられているもののなかに、
神が天上から垂直に天くだって、ある特定の土地に国を建てるというモチーフがあります。
たとえば、任那にあたる伽羅国の建国伝説には、日本の天孫降臨の神話と、形式の一致がみられるばかりでなく、
日本の建国神話にある●触之峯《クシフルノタケ》、日向の高千穂嶺●触《クシフル》とかいう、
クシとかフルといった地名が(伽羅国の建国伝説にも)たくさん出てくることが、学者によってしばしば指摘されています。
フルは韓国で村をあらわします。クシというのは、いまの駕洛国記に出ている亀旨《クシ》という地名と一致します。
書紀においては、この●触《クシフル》というのが、ソホリと発音する文字で書かれていますが、
これは百済の都がソフルであり、いまの韓国の首都のソウルであることを考えると、みな王の都を意味する、
朝鮮語の系統のものであると考えられます。」
- 706 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 19:44:16.46
- 日本民族という境界も曖昧
日本国という境界も時代と境界の限界を持つし
民族の栄光といった場合はたとえば稲の日本史といったものが成り立たなくなる
日本の場合、日本史に神話といった連続性を強調する中国の正統史観の影響を
受けまくりなんで変なことになってるな
- 707 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 20:11:39.86
- >>680
そんなこと言い始めたらフランスの象徴主義とか、そいつには読めないんだろうな
- 708 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 20:13:50.33
- >>705
とても興味深いが、日本語の系統にまで考察が進めばまさに文学理論の基礎になるかも知れない。
なにしろ、古い時代の歌などには意味不明の言葉がたくさんある。
- 709 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 20:17:22.28
- >>707
フランスの象徴主義か。
君はどう考える?
僕は古今和歌集などの短歌やその中の枕詞の中に象徴的表現を見てしまうんだけど。
- 710 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 20:21:48.97
- >>709
自分で捕捉、訂正。
枕詞というのは、たとえばアイヌ語と日本語での地名を並べただけ、という説も有力だね。
それだと、象徴というのは、なぜ双方の地名を読み込んだのか、というところに現れるかな。
- 711 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 20:39:11.78
- 以下のことは前にも書いているのでだが(あるいは、それを知っていて誘ってくれているのかもしれないが)
海くれて鴨の声ほのかに白し(芭蕉)
〈この句は、聴覚を視覚に転化した成功例としてよく引かれる〉
というような説はありがちだが、わたしとしては、鴨=冬の季語、
白(いものがちらほらと)=雪といったことの「連想」の効果であろうと思う。
そうして、こういった「連想」は、すでに短詩型の約束事(形式)があって成り立つものだ。
つまり、日本古典文学における「象徴主義」には、「エクリチュール」の先行性があるといえる。
- 712 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 20:53:52.67
- 少し話は変わるが、
1見てもまたあふよまれなる夢の中にやがてまぎるるわが身ともがな(光源氏『若紫の帖』)
2開(さ)けば散る夜の間の花の夢のうちにやがてまぎれぬ峯の白雲(正徹)
3枕だに知らねば言はじみしままに君語るなよ春の夜の夢 (和泉式部集)
4春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるるよこ雲の空(定家・新古今)
2の正徹の歌はさらに位1と4の「合成」でもあろう。
- 713 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 21:00:41.02
- >>711
この句を僕は知らなかったが、というより、芭蕉そのものをよく知らないんだが、とてもいい句だね。
一般的な解釈も、君の解釈も、どちらも捨てがたい。
決め事で成り立つ俳句としての象徴性を見るには、君の方がいい気がする。
僕は俗人だから、鴨の声と人のはく息の白さを重ね合わせたのかな、と思ってしまうが。
- 714 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 21:00:48.25
- 基本的に朝鮮の神話は恣意的に書きかえられている。現在の朝鮮の起源は5万年前だそうだ。
檀君の大きな白骨が出てきて、それはどこかのなんたら博物館に展示されている由。
日本なんぞは及びも盡かない歴史を持っているのが朝鮮。
万葉集が朝鮮語で読める、なんぞというトンでも説もあるけれど、
例えば万葉集4500首に対して、それに対応する文献、郷歌(ヒャンガ)は数十首と言うところなので、比較文学論を
展開できない状態。
日本の歴史的な文献に対する姿勢で、朝鮮や中国を見ない方がいいと思う。
- 715 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 21:12:09.63
- わが国の天皇陛下の正式なお住まいは御所。
今の皇居には濠があるけれど、京都御所には濠もなく庶民が御所の周りの壁に直接触れることができるほど
無防備だった。西欧流の王の居城を考えれば、これは異常だと言うことがわかる。
言うまでもなく、天皇は昔のある時期からわが国最高の権威となり、それは今に至るまでつゞいている。
それがわが国の国民が持つ帰属意識の源泉だと思う。
宮脇純子さんが言っていたけれど、清朝、つまり康煕帝などは漢字を使っていなかったらしい。ホントかね?
- 716 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 21:20:27.47
- >>712
正徹もいいなあ。
並べてくれたので、和歌の発達が強く感じられた。
実朝を髣髴とさせる力強さと繊細さがあるね。
いいものを読ませてくれた君に感謝。
- 717 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 21:21:26.65
- そういえば万葉歌謡の末尾に付された加茂・鴨なる言葉は何を意味するのだろうか。
中国古詩にみられる兮に近いものかも知れない。
つまり、詩というものが文学という鑑賞物ではなく
祭祀における口上としての地位を占めていた時代の名残を示しているとも想像し得るわけ。
芭蕉の「奥の細道」ともつながりの深い東北・宮城県には
伊達氏入城以前、賀茂神社・長命氏という古代豪族の末裔がいた。
そう考えると加茂=鴨祭祀には長命祈願の意味合いがあったのかもしれない。
賀茂祭は夜に行われる秘祭なんですね。
ちなみに高句麗系豪族で桓武朝に臣籍降下した南部(前)族には志茂(シモ)なんてのがいたから
もしかしたら北部(後)族は加茂だったのかも知れない。
高句麗部族というのは東西南北(あるいは前後左右)の四位に中央部からなる五部族の構成であり、
中央部(王族)は卦婁部(ケルブ)で黄色なのね。
だから、北部(後部)は色彩的には白なのかも知れない。
宗教民俗学的には白というのはあの世を表し、夜祭りの祭祀者が白衣を着用します。
そういえばケルブというのはヘブライでは智天使の単数形ですね。
旧約のエゼキエル書には四囲に四つの光輪を持つケルビム(複数形)が出てきます。
- 718 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 21:27:27.49
- 祝詞
- 719 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 22:16:52.55
- 日本のマスコミ、出版業界や芸能界には、在日が多く入り込んでいるため、
朝鮮と日本をこじつける勢力がある。
従軍慰安婦問題が問題として存在するのも、
これまでの日本政府のあまり意味のわからない謝罪外交もそのせい。
また作家でも朝鮮贔屓が多いのは業界の人間関係、環境によってそうなってしまう。
非合理的な思想を植え付ける土壌がある。
再販制度がなくなり出版の自由が与えられれば、
また電波利権なども解消されれば、真の報道の自由も獲得できるようになるだろう。
- 720 :吾輩は名無しである:2015/03/25(水) 22:36:16.38
- >>674
その点、物理学はシビアだよな。
超ひも理論も高度な数学的説明がされているけど、証明はまだ。というか、証明できるんだろうか。
- 721 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 00:32:57.12
- 結局文学理論っていうのは衒学的論争に過ぎないんだな。
ここ見て幻滅だわ。
- 722 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 00:50:47.04
- 文学理論の論争をまずこのスレでしてないからな
たとえば、バリーの文学理論講義の内容でいえば
こんな感じだが、スレの中では語られてない
「理論」以前の理論―リベラル・ヒューマニズム
構造主義
ポスト構造主義と脱構築(ディコンストラクション)
ポストモダニズム
精神分析批評
フェミニズム批評
レズビアン/ゲイ批評
マルクス主義批評
新歴史主義と文化唯物論
ポストコロニアル批評
文体論
物語論
エコ批評
- 723 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 01:26:29.59
- 右翼と「理論全滅しろよw」の馬鹿が時々荒らすから。
あと吉本隆明&三浦つとむ信者
- 724 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 05:14:15.10
- 文学理論なんていらない⇒理論全滅しろよ、なんてうそ捏造の歪曲者がいるからなあ(笑
- 725 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 08:48:30.93
- 古今集の、桜、といえば、吉野、みたいな、決まり事というのは、
微妙に変化をしながらも、歌舞伎くらいまで踏襲されている。
どこの国でも、このしゅの「伝統」を抜きに、まともな文学創作なんてのは、
出来ないわけだよ。
右翼の人の型を持ちたいではないが、あえていうと、
むかしの文壇の集まりなどでは、一杯やりながら、連歌遊びをしたりした。
鉢の木会なんかでも、外人さんのドナルド・キーン先生が一番うまくて、
座が白けた、とかいう程度のものだったようだが、下手でもなんでも、
とりあえず出来はしたのだ。
文士劇でも、歌舞伎をやったりできた。三島由紀夫の弁天小僧などは、
わりとサマになっていた。
いまは、批評家の卵みたいな人が集まっても、
歌の一つもさっと読める、なんてのは、百人に一人もいなそうだし
その手の人を(百人も知らないので、あくまで推測だ)、
かといって、帰国子女を除けば、外国語もたいしてできない、
まともな水準の話しは、アニメについてくらいなものなわけね。
しょうじき、どうしようもないだろう。
- 726 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 08:51:10.91
- 型を持つ→肩を持つ
読める→詠める
- 727 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 13:13:00.49
- 古今集の時代の桜というのは山桜だから、色も淡く遠目には白く見える。
ソメイヨシノのような咲き誇る感じとは少し違うが、山一面に咲けば雪や雲と見まがうばかりではある。
山桜は開花期間の個体差があり、一斉に咲いて一斉に散るという風景ではなかったのだろう。
- 728 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 13:43:06.02
- >>722
さまざまな文学理論があるが、主題を重視する理論、その作品の書かれた状況を考える理論、表現の巧拙を分析しようとする理論、その作品の文学的な系譜を見る理論、などなど、方向が異なる理論が並んでいるね。
さらには、それぞれの分類がどこまでその理論の視点を適切に言い表しているのかもよくわからない。
というより、その分類の根拠そのものがよくわからない、ということもある。
中には、なぜこれが文学理論となるのかという、文学理論とはなにかに戻らざるを得ないものもありそうだ。
同じことはイーグルトンでも感じた。
それぞれの議論がかみ合うような文学理論というのはなかなか見つからない。
- 729 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 17:29:02.79
- 文学という現象を理論的に法則の束として説明しようと試みるのが
文学理論だろう
- 730 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 17:56:40.34
- 脱構築主義のような反理論の理論もあるだろう。
- 731 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 18:15:38.17
- 反理論というよりもメタ文学理論という感じか
- 732 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 18:23:14.33
- >>729
分類すること自体も文学理論ということ?
- 733 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 22:13:12.82
- 分類すること自体は別に文学理論ではないだろう
単に文学を説明できる法則の束が発展してきた
領域を並べてるだけだろう
文学の領域は広いからな
アニマル・スタディを文学理論に入れている理論本も出てきたし
- 734 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 22:33:36.05
- 脱構築主義は、メタ言語のようなものはない、という立場であろうから、
ふつうにいえば、メタ理論ではないはずだ。
そして、脱構築は、ファロセントリズムすなわち体系知的思考の解体だから、
やはり「反」だろう。
- 735 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 22:40:51.86
- 反理論というとプラグマティズムって印象だな
脱構築は理論を否定しつつ理論の様相をまとっているので
そのアポリアを超えられていない感じ
まあメタ理論でいいんじゃね
- 736 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 22:47:04.44
- だから、反理論の理論なわけよ。
- 737 :吾輩は名無しである:2015/03/26(木) 22:48:47.07
- そういう例はほかにもあるだろう。
たとえば、マルクス主義は、反イデオロギーのイデオロギーだった。
- 738 :吾輩は名無しである:2015/03/27(金) 00:40:47.81
- 反理論といって理論そのものを否定するのは矛盾をはらみ
アポリアとして脱構築には限界があった
それゆえに反グランドセオリーの理論として登場した
メタ理論の社会構成主義のほうが力をもったと
- 739 :吾輩は名無しである:2015/03/27(金) 15:45:00.90
- >>738
な、なんじゃ、こりゃぁ〜!
- 740 :吾輩は名無しである:2015/03/27(金) 21:32:05.39
- たとえばルカーチのような古典的マルクス主義文学理論の立場なら
文学現象を経済機構の反映として異なるテキスト郡も
時代・状況という分類項目によって一律化し得る。
であるならば例えば数学のように文学理論の公式化も主張し得る。
この種の公式化がマルクス主義とともに滅びたとしても、
個別的文学作品読解の場ではある種の方法論が必要になるし、
この方法論をめぐっての討議や方法論内部での検証は避けられない。
本居宣長ですら「古事記」における論語と千字文の同時伝来という記述に対して起こった
時代的に千字文(梁代の千字文が代表格である)はおかしいのではないか?という疑義に対して
別の千字文だったのではないか?と答えざるを得なかった。
心によるテクスト鑑賞の重要性を主張する宣長ですらテクストの外部状況や
時系列に即した論証(実証)は否定できないわけ。
つまり、漢意(理論的一般化)を拒否する心をめぐる論考(テクスト内部重視)でも
それなりの論立て(しかもテクスト外部に配慮した)は要求される。
というのは読み/評価を下すという行為はテクストの分割(内部と外部)をもたらすので
そこに公準(理論)設定をすることは不可避なの。
- 741 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 02:19:41.19
- 安藤優一郎 って、逮捕歴があるの?
- 742 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 08:47:47.36
- >>653
>その方向に対して正でないものを合理的でない、と言うわけ。
自己の属する集団の方向を正と考えることが合理的と言いたいの?
- 743 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 09:23:04.15
- まあそうだな。
生物⊇人間⊇国家⊇…
と考えると、人間のエゴは生物のエゴと対立する、…
結局君の言う自己の属する集団、をどこと考えるかで、その合理性は変わるだろう。
- 744 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 09:32:35.31
- >>743
自己の立場を離れた客観的な合理性を求めるのが西欧だと思う。
だから、西欧はいつも先鋭的だし、逆に自縛的であるともいえる。
その苛立ちが、ドゥルーズやデリダの造語や言葉遊びに表れてるんだろう。
とはいえ、文学理論が入り込んだ迷宮から脱出するのに、立場に基づく合理性を導入したのでは、精神の逆行となるだろうな。
- 745 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 10:57:27.22
- >自己の立場を離れた客観的な合理性を求めるのが西欧
そんなことをしている西欧は存在しないだろう。西欧のエゴは西欧
目を覺ませ。
いつまで毛唐の後塵を拝して悦に入っているつもりだ(笑
- 746 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 18:10:47.59
- >>745
君も少しでいいから西欧哲学に触れた方がいいと思う。
西欧の哲学者たちの、自分の立場と客観的な合理性の狭間で悪戦苦闘している姿が見えてくると思うよ。
- 747 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 18:27:00.11
- 神と言えばキリスト教、西欧はそれが基本。
宗教の壁は大きいぜ。好奇心から仏陀に興味を示すやつがいようが、キリスト教視点。
自己の立場を離れる、なんてのは論理矛盾でしかない。
- 748 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 20:22:30.12
- デカルトの主客二元論もしらんアホがいるのか
- 749 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 20:35:11.74
- >>747
西欧哲学のもとはギリシア哲学だよ?
哲学者にはユダヤ人もいるし、もちろん無神論者もいる。
どの立場からも、立場を超えた客観性を求めるのが西欧哲学。
- 750 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 21:13:32.87
- 仏教は?(笑
何が立場を超えた客観性だよ。知識すらないだろうが。
いい加減に目覚めろよ。
- 751 :吾輩は名無しである:2015/03/28(土) 23:02:52.19
- >>750
西欧哲学に仏教?
ハイデガーみたいに、個人的に関心を持った人はいたようだけどね。
- 752 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 06:38:15.26
- 明治維新のときに、日本は西欧の書物を大量に仕入れ、翻訳した。当時は庶民まで漢籍の知識が普及しており、
洋語は漢字に翻訳することで意味を類推できる、と言う考え方で、たくさんの洋語を漢字、多くは二文字熟語、を
製造した。清朝は、その日本の成果、教科書などを、これまた大量に日本から逆輸入して、西欧文化を取りいれた
わけだ。中華人民共和国の、人民、や共和国、が、日本人の作った言葉だ、と言われるのはそのため。
現代の我々は、明治時代に作られた和製漢語を所与のものとして受け取っている。哲学なんぞと言うけれど、
ヘンだと思わずに使っているのは、漢籍の知識がないから。
学問にもその国独自の歴史がある。それを踏まえたうえで、学を見つめなければ、所詮は西欧の二番煎じ。
科学なら、前の学問の上に積み重なって進歩していくから、古い時代のものは、新しい時代のものよりは、
多くは、省みなくても良い、と言えるかもしれないが、文学などは、個人の資質や才能に負うところが大きいのだから、
平安の世に女が物語をしたためました、とされることがどんなにすばらしいことかを考えるべきだろう。
宗教的には日本は神道+日本式仏教、の国で、キリスト教やイスラム教のような一神教ではなく、多神教で、
神の考え方そのものが異なる。いまでさえ、のろいやたたり、などと言う言葉が使われているのだから、
平安時代には、さぞその影響は大きかっただろう。
中世の魔女裁判と、たたりを畏れて鎮魂すると言うわが国の違いは、その本質が根本的に異なる。
自国の文化の独自性、優れたところを見つめ称揚し、その上に立つ。西欧の文化人もそうなんじゃないの?
歴史を調べずに日本の歴史認識を言う朝鮮人を笑う前に、その哄笑は先人の築いた学を省みることもせず、
西欧の追従で日を暮らす己自身に向けたほうがいいんじゃないのかと思うね。
そして、その体たらくは、実は敗戦後にGHQの日本弱体化政策の影響によるものだ。強い日本の時代を知らない
だろう?読書人が、戦前の書物を読まないからだ。読むべき本は多くをが焚書され、旧かなは新かなに変えられたから。
だから気づけよ、と言っているわけだ。
- 753 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 06:48:33.13
- >>752
東洋思想は江戸時代から熟語使ってるよ。
西洋思想はその熟語をあてて解釈している。
べつに明治維新のどーのこーのはかんけーないだろ
- 754 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 06:49:21.78
- そもそも文学理論と関係がない
他のスレに行ってくれ
- 755 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 07:32:11.47
- >753
ほう。江戸時代に大量の洋語を翻訳した事実があったのかあ…(笑
- 756 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 10:36:48.64
- >>752
>その体たらくは、実は敗戦後にGHQの日本弱体化政策の影響によるものだ。
君の大好きな明治政権が日本を西洋に変更しようと、西洋文化を必死で取り入れて西洋に追随しようとしたんだよ。
昭和になって、追随途中だったけど米英を敵にしないといけなくなったから、慌てて日本的なるものを引っ張り出してきた。
だから、戦前の日本礼賛文化というのは底が浅い。
もちろん西欧を凌ぐこともできず、日本自体を掘り下げることもできなかった。
なにしろ天皇親政になって高々数十年だから、事実としての歴史と本当の日本文化を無視しないと、天皇の権威を維持できなかったんだ。
戦後、多くの日本人がアメリカの政策に唯々諾々と従ったのは、明治維新で徳川や諸藩の大名の代わりに天皇を権威とした時と同じ、日本人の個人を持たないアジア的な後進性があるからだ。
もちろん、その中には、強い厭戦気分もあったのだろう。
国が貧しくなると、威勢のいいことを言って自国文化を過剰に評価するようになる。
安倍政権そのものだ。
- 757 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 11:25:34.05
- >>756
和魂漢才、和魂洋才、と言って、文明と文化は明確に分けていたんだけど、これも知らないか。
自分がまず半可通だってことを理解しないとねえ…。青目の連中も迷惑だろうて。
- 758 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 11:46:22.11
- >>757
和魂洋才なんて英語ができない連中がパロディで思いついただけだよ。
鹿鳴館を見ることだね。
はじめは東大の授業だって全部英語でやってたんだぜ。
- 759 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 12:33:48.84
- 鹿鳴館はむしろ政治外交の場。
何が言いたいのかわからんねえ。別に西洋の文物を取りいれたことに反対はしていないだろう。
むしろ積極的に取りいれたと言っているんだ。そしてそれを消化し、独自の文化を作る。
独自の文化を作る。これを日本は昔からやってきた。
昔は漢籍だったものが英語に変わっただけの話。
さて、日本の文学理論畑は独自の文化を作ろう、なんて意思はあるのかね?
気概もないので、普遍性とか言う標語で汗もかかずに洋物に悪乗り。
他人任せってわけだ。恥ずかしいと思わないのか?
- 760 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 13:45:53.55
- >>759
>何が言いたいのかわからんねえ。
愛国者の考える日本というのは底が浅い、と言ってるんだよ。
日本独自の文学理論というなら、吉本隆明を読んでみればいいんじゃないか?
話しはそこからだな。
- 761 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 15:19:14.72
- 無い物ねだりしてゴネるガキみたいだよなw
- 762 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 16:42:44.37
- >>757
>>753はその「漢才」についてについて言ったんだが、意図的に読み替えているようだな。
外来思想というものをありがたがる日本人の性向は江戸時代以前からだよ。
そして明治維新、さらに第二次世界大戦でそれは決定的に加速し、文学も同じ波に乗る。
「日本古来」の思想は、好ましい好ましくないは別として天皇・皇族により作られてきた、
というよりそういう文化的(経済的)上層部しか識字能力もなかったからな。
江戸時代に入って、元禄時代に町人文化が花開くと、やっとしもじもの意識が文学に反映されるが
それは「熟語」とは縁のない、もっとおのれの生活に根付いた意識の指示表出だった。
川柳とか草紙とか読んだ事あるかい?
- 763 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 16:45:54.95
- つくづく情けない連中だな。
これじゃ、文学部の存続をどうしよう?って話は事実かもしれないな。
- 764 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 17:18:20.80
- 何ピンボケなこと言ってんのさ。
先端化した専門性と言うよりリベラルアーツへの根本理解のためにこそ文学部は必要だよ。
- 765 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 18:00:33.07
- 日本に目の向かない連中を出資者がどう考えるかだな。
- 766 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 19:09:00.85
- >>763>>765
安倍政権は自分を批判する勢力を排除しようと懸命だからな。
報ステ騒動も、自分の意に沿わないコメントをする人間をあからさまに排除させるという、まさにヒトラー的報道規制だ。
それに従う放送局も、いくら許認可権を握られているからといって、情けないことは確かだが。
日本礼賛の番組作りを強力に推し進めて、ただでさえ愚かな国民をさらに愚かにして使いやすくしたいんだろう。
- 767 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 20:50:26.12
- まあ、今まで反日マンセーだったから、少し強く言ってもいいんじゃないかと思うぞ。
特に誰とは言わんが、税金で飯食ってるくせに、私学の教授につっつかれてぐうの音も出ない教授とか、
いざとなったら私は逃げます、なんぞとぬかして、高校生から叱責される税金大学有識者とか(笑
- 768 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 23:20:21.47
- >>767
反日とか書いてる時点で、文学理論を語る資格がないな。
反日でも売国でも愛国でも、国という概念すら明確にできていない。
国というのは政府のことだということは、ちゃんと知っておこうね。
反日、売国は反安倍政権、愛国は親安倍政権ということに過ぎないわけだ。
立場によって、親安倍あるいは反安倍ということになる。
もちろん企業利益を最優先するのが、つまり日米の資本家、投資家の利益を最優先するのが安倍政権だから、愛国というのは、資本家、投資家の利益を愛するということになる。
反日、売国は、反安倍政権だから、その反対に労働者と弱者の利益を重視する立場ということだ。
日本の上場企業株の半分近くは海外投資家が持っているといわれているから、株が高くなれば利益は海外に流れる。
親安倍政権の立場に立つ人は、日本人社会の経済的な利益が海外に流れることを好ましいと思っているわけだ。
文学理論をやるなら、この程度の基本はおさえておこう。
- 769 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 23:39:50.43
- >>768
国が政府?左巻き全開だな。
政府がつぶれたら国がつぶれるのかよ(笑
論理破綻していることを知れ!
- 770 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 23:46:20.34
- >>769
>政府がつぶれたら国がつぶれるのかよ(笑
そうだよ。
安倍政権が財政破綻を起こせば、日本は財政破綻だ。
政権交代すれば、新たな政権が日本だ。
- 771 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 23:52:22.95
- >>770
経済破綻しても国民と国土が残ってればそれは「国」だろ。
そんなことも分からないのか・・
- 772 :吾輩は名無しである:2015/03/29(日) 23:53:39.94
- 財政破綻?(笑
お前の論理破綻だって言ってるだろ。ごまかすんじゃない。
- 773 :吾輩は名無しである:2015/03/30(月) 00:00:29.30
- >>771-772
国民と国土は、住民と地域だ。
国というのは、法とその運用、つまり政府だ。
同じ地域の同じ民族が別の国ということもあるし、別の地域の別の民族が同じ国ということもある。
法が適用される地域がその国の範囲。
- 774 :吾輩は名無しである:2015/03/30(月) 01:00:19.17
- >>773
単なる妄想。
- 775 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 00:39:11.87
- 国土・国民・法(主権)というのが近代国家の三大構成要素かな。
ただ、日本国政府部門が財政破たんしても日本国がなくなるわけだはない。
となりの半島国家がIMF管理下におかれても国家として消滅しなかったのと同じ理屈で。
これは我が国も同様でGHQ統治下のロボット政府下でも消滅しなかった。
政府や法は国家にとって副次的なものなんです。
国家というのは国家意識や意志の共有であって、政府はその派生物に過ぎない。
- 776 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 09:43:12.56
- 左巻きの連中は視野狭窄。
政治家を見ろ、かれらはとっくに、共産党でさえ特権階級だ。
マルクスの単純化された二元構造をあてはめれば、資本家と労働者ではなく、特権階級と非特権階級、
と言う構造になっているわけだ。これが西欧流の民主主義観としてある程度納得させられているのは、
プータローでも可能性が残されている、と言う幻想が抱けるほどには、出世の道は開かれているから。
しかし、いったん特権階級になりあがったものは、特権を世襲化するなど保身に走る。まあそれは誰でも当然な心理。
共産党が表向き看板として掲げている共産主義なんて噴飯物は、連中の単なる賭けでしかない。
さまざまな幻想は崩れ去りつつあるのだ。
文学が生き残る道がある。徹底した日本回帰だ。
これは国威発揚の大きな手段となる。
早い話、反日左巻きは卒業して、世界標準的な中道に戻るだけ。
旧社会党左派や全学連の生き残り連中が消滅するまで何もしないで待っている、
なんて悠長に構えていると、それこそ文学の危機が訪れるぞ。
- 777 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 10:16:40.14
- >>775
国(国家)とはなにか、という議論だから、「国」土や「国」民とや「国家」意識から国を定義しようとすると循環論法になる。
「国土」とは、「国民」とは、「国家意識」とはなにかを、国家という言葉を使わずに説明することはできない。
国家財政が破綻しても、法が存続する限り国家ということになる。
逆に、法が正規の手続きによらずに改変されれば同じ国ではないともいえる。
例として、ロシア帝国とソ連をあげることもできるし、先住民時代とその後のアメリカをあげることもできる。
日本の場合は、江戸から明治の大日本帝国そして戦後の日本は、それぞれ旧時代の法に従って新たな法体系を作っている。
それが国家としての連続性と一体性を担保している。
- 778 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 10:21:19.92
- スレ違いだと言ってるだろ他のスレに行ってくれ
- 779 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 18:39:49.23
- >>777
それは読み方次第。
「国土」は「大地」、「国民」は「住人」として読めば、
「そこ」に「暮らす者と彼らの支配が及ぶ範囲の事物」こそが「国」であり、
それを総括的に治めるものとして「政治」が二次的に立ち上がるさまが見えるだろ?
スレチごめん
- 780 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 18:45:41.63
- >>778
国家を想定した文学作品は多い。
三島の「憂国」はタイトルがそのままだし、大江の「みずから我が涙をぬぐいたまう日」は国家の問題を抜きにして語ることはできない。
カフカは「城」や「審判」で法と個人の関係を象徴的に表現している。
文学理論にとって、国家の問題は必須の課題だろう。
- 781 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:13:04.14
- >>779
>「そこ」に「暮らす者と彼らの支配が及ぶ範囲の事物」こそが「国」
国家の範囲というのは、法の適用範囲のことということになる。
同じ家に住む同じ家族の中でも国籍が違うということも珍しくない。
そうした時は、地域の国の法に従うとともに、籍のある国の法にも従わなければならない。
先験的にその地域やその人がその国に属しているわけではない。
人と事物は国があろうとなかろうと、生きているし、流通していく。
国というのは、その生活をしている社会の、その利益を守るための一定の規範によって成立する。
そこに住む人間も、そこにある事物も、国とはいわない。
- 782 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:33:16.63
- >>780
んなこといったら料理の出てくる文学作品は多いし
料理ついて語るのも文学理論の課題になるじゃねえか
死んどけ
- 783 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:35:41.49
- ネット時代に国境は溶けていく。
それがわからない奴は昭和へ還れ。
- 784 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:43:48.98
- 文学理論じゃ国家は課題にならんな
ナショナリズムとか自民族中心主義と読者なら問題になったことはあるが
それにしたってベネディクト・アンダーソンの想像の共同体と、
それに対するジョナサン・カラーの批判と
国境を超えた読者を想定して書いているリョサの例
もはや文学は国を越境しているという指摘によって
あまりナショナリズムというものも課題にならんな
- 785 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:49:37.35
- >>782
料理と国家は同じ重さなのか・・
そういう人もいるだろうな、確かに。
>>783
国境が溶けるか、法整備が追いつくか・・
本当に国境が溶けるのは、TPPだろうな。
- 786 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:50:31.65
- >>784
三島と大江とカフカはどうする?
- 787 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 19:56:46.44
- カフカのはデリダが法の門を分析してるが
国家については問題になってないし
大江や三島も所詮冷戦以前だし問題意識として古いし
課題にはならんな
- 788 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:00:29.56
- 国家ではなく、
権力とかイデオロギーという領域にまで引き上げれば
まだ語る余地はありそうだが
イデオロギーにしたって国家を課題にするのは
アルチュセールとかの時代まで戻らなきゃならん
ポストコロニアリズムだって国家というよりも
トランスカルチュアルな問題だしな
- 789 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:02:26.30
- >>787
他人頼みと切り捨て?
守備範囲の狭い理論になりそうだね。
- 790 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:04:04.70
- >>788
権力の最高形態が国家だよ。
現在のところは。
- 791 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:05:29.60
- 守備範囲が狭いというよりも
ナショナリズム自体がもはや課題じゃない
つか、それは守備範囲からも外れてる
どっちかというと国文学とかの領域で
文学理論一般の課題じゃない
- 792 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:07:22.28
- >>790
権力の最高形態は国家という認識自体が古すぎる
オリエンタリズムにおける西欧の権力だとかが論じられた後だし
宇宙とかだって論じられてるというのに
- 793 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:16:57.25
- >>791
文学にはナショナリズムはない、と?
ナショナリズムに関する考察も、まだまだ文学を考えるときには重要だと思うけどなあ。
先進国では国家の解体に向かっているけど、日本みたいに逆行している国もある。
>>792
個人としてはさまざまかも知れないけど、現実の権力を見れば、やっぱり国家権力が最高の権力だよ。
- 794 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:21:52.44
- >>781
>国家の範囲というのは、法の適用範囲のことということになる。
ならない。
>「そこ」に「暮らす者と彼らの支配が及ぶ範囲の事物」こそが「国」
なのであれば、国の下位に法が成立する。
法が適用されるからそれが国だと言うのと、国の中だから法が適用されるというのとは
別次元のはなし。
- 795 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:23:25.67
- >>793
文学にナショナリズムがないというよりも
文学と国家を論じるのが古いといったほうが早い
ナショナリズム論にしたってもはや想像の共同体論ぐらいだし
それもある程度反駁されてしまって、課題にはならない
あと、文学は現実を超えてるし、国家を越境してる上に
現実を扱う倫理学だって宇宙倫理学みたいな領域ができていて
マルチチュードやグローバル課税こそが必要みたいなことが言われてる時代だしな
日本みたいに逆行している国もあるといったって
それこそ国文学の問題であって文学理論一般が扱う課題じゃあない
現在のノーベル文学賞候補や世界文学で国家を課題とするような作品なんて
ほとんどないしな
- 796 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:40:36.46
- >>794
法が成立した時に、それを国家という。
法がなければ、ただの支配地域。
イスラム国もその段階で消滅していくのだろう。
>>795
>ナショナリズム論にしたってもはや想像の共同体論ぐらいだし
>それもある程度反駁されてしまって、課題にはならない
それは君個人の主観だと思う。
日本では依然として大きな課題だ。
具体的な文学や社会の状況を離れた文学理論一般というものがあるわけでもない。
あと、真剣に書いているみたいなので申し訳ないが、「宇宙倫理学」には笑ってしまった。
- 797 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 20:54:01.03
- ここで、古い、といわれていることのほうが、
いまはかえって新しいだろう。
主権国家の問題を考えることは、とくに必要だ。
嘗て、フーコーは
「なぜあなたは、権力論などという、手あかのついた問題に取り組むのか」と訊ねられて、
権力が(批評的考察の)問題になったのは、ごく最近のことで、
最も今日的だ、と、だいたいそういったことことを述べた。
オールドファッションのほうが、かえって新味があるいうことは、
いつでもある。
たとえば、ポストモダン的な「帝国論」よりは、「帝国主義論」のほうが、
むかしとは意義が変化しているとしてもで、いまはむしろリアリティーがある。
- 798 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 23:05:42.83
- ねーよw未だにレーニンと言ってる奴のほうが古いわwwww
- 799 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 23:08:05.71
- >>796
>法が成立した時に、それを国家という。
なこたーない。
それは「法治国家」と「国」をごたまぜにしてる。
- 800 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 23:22:07.03
- 国家を超えたテロと戦ってる時に国家論なんてリアリティなさすぎるな
EUだって超国家的組織だし
国家の枠組みが文学においてリアリティを持ったのは冷戦終了まで
- 801 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 23:33:36.31
- アメリカはそもそもサラダボウルだし人種問題はあれど
国家が文学の問題になったことってそんななさげ
- 802 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 23:40:49.78
- 別にテロから国家が起ることもあるし、
旧ソヴィエトやアメリカのような帝国の成立もテロが発端だ。
中国のような帝国だってテロが起源であり、
その版図も現在進行形でだけどね。
だからと言って中共支配下にあるチベットが国家として消滅しているわけでもない。
国家意識が維持・共有される限り国家というのは
いったん政治組織として消滅しても復活するんですよ。
イスラエルなんてまさにそうであってね。
かの国のように民族や言語、文化、人種構成でバラバラであっても
国家意識がそれらを接合するのなら国家再生は可能なわけ。
国家というのはそれぐらい厄介なものなの。
- 803 :吾輩は名無しである:2015/04/01(水) 23:58:28.40
- チベット文学やイスラエル文学が有名ならまだしも
ほとんど関係のないことだな
- 804 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 00:10:12.14
- イスラエルや中国の陰謀なんて文学の題材にならんしねえ
大衆小説の世界ですわ
- 805 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 02:25:24.31
- EUは、国家間の一種のカルテルだよ。
いったい、どこの「大国」が、国家の専権事項を、
「国際組織」なとというものに基本的なところで委ねてますか。
なんでもいいから、一例をあげてくれ。
- 806 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 02:32:13.08
- レーニンの「帝国主義論」というのは、金融寡頭制の考察がかなりの部分を占めている。
このしゅのものでは、レーニンよりも、カウツキーのほうがいいけれども。
- 807 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 02:34:44.61
- 低強度紛争なんて言葉もむかしからあるぞ。
- 808 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 02:44:56.94
- 「新たな主権形態は、単一の支配論理のもとに統合された一連の国家的かつ超国家的な組織体から成る。
これを「帝国」と呼ぶ。……帝国とは、脱中心的で脱領土的な支配装置。……いかなる国民国家も、
帝国主義的プロジェクトの中心を形成することはできないのであって、合衆国もまた中心とはなりえない」
アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『<帝国>』
こんなもののどこが新しいの。それに、合衆国はとりあえず中心じゃないか。
- 809 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 03:12:47.56
- 国家の専権事項を法だとするなら
死刑廃止を条件とするEUが国家になっちゃうな
- 810 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 03:46:56.89
- 〈欧州連合(EU)は、欧州連合条約により設立されたヨーロッパの地域統合体〉
つまり、国家間の条約によって成り立っている。
あるいは、IMFの融資案件に関しては、アメリカ上院が拒否権を有しているのじゃなかったか。
あるいは、「連合軍」的な共同作戦の際に、自国の軍事指揮権を
全て放棄して他国に委ねる国なんてありますか。
- 811 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 06:18:19.20
- 法に関しては根本規範は国際法優位論的な立場があり
法すなわち国家にはならんな
- 812 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 06:20:05.18
- 軍に関しても、近代国家の要件としては実力の独占ということができるが
それ以前の国家は海賊と協同したりと指揮権を持っていなかったので
軍があるすなわち国家というのも無理があるな
- 813 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 08:26:28.51
- 一般的な国家の構成要件は、人、領土、法律、軍隊…。国家があれば文明と文化が生まれる。
多くの国家は国家間の紛争で消滅し、併合され、植民地化されてきた。
西欧の文化では、ギリシャ文化は滅びた国の文化だ。西欧のルーツの国と言ってもそれはすでに存在しない国。
中国三千年と言うけれど、支那の王朝は易姓革命。
このように、それぞれの国家には個性がある。
日本国は、その個性に当る最たるものが皇統。天皇は文化文明の両面に渉って関係してきた。
だから、日本の文化と皇統は分かちがたい。
万葉集は759年以降の成立だけれど、数が4500首あり、読み人が天皇貴族に下級役人、防人(武人)ってのが
すごいことだ。どうやって作ったんだろう?詳細は不明だ。権力がない人間が作れるはずがないけれど。
で、勅撰和歌集ってのがある。これは天皇や上皇の命によって作られる和歌集で、21あるから二十一代集と言う。
はじめの古今和歌集は905年ごろ、最後の新続古今和歌集が1439年ごろ。
日本がすごいのは、詩に、和歌にかけている時間の長さだ。国家の意思みたいなものを感じないか?
それができてしまったことは、実に、実に、すごい。
日本を軸にして文化を見ると、特異なものがとても多いと感じる。何と特異かと言うと、それが西欧文化。
信仰の面から考えると、神道+日本式仏教、は何と比べればいいか?ブードゥでもいいんだけれど、
それから生まれたものは?文化として考えれば、それはバチカンあたりにしか、対象がないわけだ。
結実したものを評価してみれば、それが極東の猿民族のものさ、と輕々しく語れないのではないか、と西欧人
だって思うだろう。
グローバルな普遍性ってのは日本の文化にとって重要か?って問題がある。これは人間同士を比較して
目と鼻がついている、ってレベルでしか語れないだろう。なぜかと言うと、日本の文化は普遍的ではなく、
個性的だから(笑 それはどの国でも同じ、ではない。西欧、EUと一くくりできるのは、普遍性度合いが大きいから
だろう。四大文明、と言うのは普遍性をあきらめて四分割したと言う意味だ。大昔でさえそう。ましてや今は…。
西欧流横つながりの普遍性をコピーするより、日本の時間的なつながりの中での普遍性を文学として追求
すべきなんじゃないかと思う。
- 814 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 08:37:16.47
- 日本の国は明治以降じゃね
江戸時代の国は国持大名とかというように
大名の領地をさしたわけだし
一国一城の主というように
だいたい日本のナショナリズムは
国学以降に作られたもんで伝統でもなんでもないわけだしな
- 815 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 08:45:10.07
- まあ伝統なんてのも作られたもんだし
神道もナショナリズムに利用されただけ
エリック・ホブズボウム『作られた伝統』
山本七平『現人神の創作者たち』
あたり読むといい
- 816 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 08:50:18.55
- >>814
甘いな。
君は突然に木のまたから生まれたのか?一応親がいるだろう?その親には親がいる。以下同様。
明治とか江戸ってのは便宜的な歴史区分。
日本が国家として存続しているってのは、だから意味があるんだよ。
それに、日本には日本式な民主主義の考え方を、天皇からして持っていたから、京都の御所には濠がないわけ。
西欧の桎梏から抜け出せない、哀れ愚昧なものよ、スレを上から読み直しておくれ(笑
- 817 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 08:53:41.95
- >>816
国家として存続も何も
まず国民意識の芽生えがまず生まれたのが
明治以降だし
それ以前は国は大名の領地をさした
「日本国」というもの自体が存続してきた
というのは神話で作られたもので幻想だし
国学のイデオロギーでしかないよ
- 818 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 09:06:37.44
- >>817
君にも >816
- 819 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 09:09:51.58
- >>818
反論になってないし
だいたい親が居て子がいてなんていったら
アフリカにまで遡るだろう
- 820 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 09:33:41.81
- どこの国にも自国が一番という人もいれば、客観的に自国のありようを見る人もいる。
自国が一番という人には、自分の存在価値を集団と一致させることで自己中心的な気分を拡大できたように感じる人と、自分の利益を確保するには自分の指示通りに黙って行動する人間の集団が必要だという人の二種類がいる。
どちらも強い自己中心的な価値観であることに変わりはない。
そういう自己中な人に限って、というより、自己中だからこそ、他人には自由を許さずに自分の感情の範囲にいることを強制する。
もちろんその極端な例がナチスであり、国民全体が自己中に感染していたのが大戦期の日本だ。
現代でもそうした例は数多くありそうだが、国としてそうした方向に動いていきそうなのは、やはり日本だろう。
本来、そうした精神のありかたを変えていくのが文学であるはずだが、大江以降の日本文学にその力はあるのだろうか。
- 821 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 09:39:13.98
- >>820
国家としては自国が一番、ってのは国際関係のいろはだ(笑
GHQ教育の優等生=世界の教育から見ても劣等生、になるってことを理解しないとね。
戦争のときは、どの国でも国威発揚したんだよ。
- 822 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 09:51:04.16
- 政府あって国民なしと福沢諭吉もいってたな
- 823 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 09:54:31.79
- >>821
自分の利益のために、国家の力を使う。
資本主義国であれば資本家の利益のために、社会主義国であれば労働者の利益のために。
自国の資本家が利益を上げても、その国民の利益になるわけではない。
自国の労働者の利益になっても、資本家にとっては不利益になる。
資本家の利益は国民の利益だという幻想で国を覆うのが愛国の理念。
一番いい例が大戦期の日本だ。
愛国心で国民生活を極限まで貧しくした。
- 824 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 10:12:55.53
- 文学に関しては、意見を尊重したいんだけど、このスレの住人の歴史認識は朝鮮の大統領なみだね。
さんざん、日本の歴史教育問題で槍玉に挙げられ、火が消えている言説が繰り返されている。
大江の文学は認めるけれど、大江が北を賛美して、それが誤りだったことは明白だろう。
教科書も、作る会の話は小耳にはさんだことくらいはあるはずだ。
歴史に一石を投じているのは、倉山満、宮脇純子あたり。彼らは反日の席巻する史学会では異端扱いだそうだ。
教科書については、西岡信勝、慰安婦は西岡力、GHQの政策については、西尾幹二、…
それから、特に戦中戦前の事実については、水間政憲が既成概念を覆す新聞記事や写真などを公表している。
youtubeで彼らの言説にぜひ接してほしい。
俺はGHQの教育にどっぷりと浸かった上で、上記を知って紹介している。
こういうものを知らずに、いまどき歴史を語るのは中国や朝鮮の事実を知らされていない民衆並みだよ。
- 825 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 10:27:21.46
- >>824
人は限られた情報の中で様々な判断をする。
それは大江であろうと、君が列挙している自己中歴史愛好家でも同じことだ。
情報の中から自分の好みに合うものを取り上げて、それを自分の正当性の根拠にする。
そこから出てくるのは、自分の感じ方であって、正しい歴史観でもなければ、まして正しい歴史の事実などではない。
それはどの立場でも同じことだ。
資本家の立場を正しいと考えたい人はそのための情報を探すし、労働者の立場を正しいと考える人はそのための情報を探す。
客観的に正しいといえるのは、資本主義社会にあっては、労働が社会の価値を生み出すということだけだ。
- 826 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 10:38:35.64
- 宮脇・岡田史観って日本人の先祖は中国人で
日本語もそこからきた連中が作ったって立場で
古事記は偽書で日本書記も強引に作ったって
立場じゃんか
- 827 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 10:42:26.42
- 横だが、
国家の概念を強くするには国民一人一人をつなげる媒体が重要だ。
かつてはそれが、新聞であり、新聞に掲載されていた連載小説であった。
娯楽が乏しかった時代、それは国民を一つにした。
そしてラジオ、テレビ、またそのなかの娯楽(エンタメ)とともに国民の意識が変遷してきた。
価値観を植え付け、洗脳するのは学問ではなく、情報やエンターテイメントにおける義憤だ。
そのつなりがこの一塊の日本国の基盤といっていいだろう。またテレビによっていまや日本語は標準化され癖のある難解な方言は消えつつある。
考えてもみろ。新聞もテレビもなく何の情報もない田舎暮らしを。半径数十キロの範囲を生活圏としていた田吾作に国家の概念などない。
せいぜい回覧板の情報や駐在所のおまわりさんの制服に自分の村以外の世界を想像するのみ。
要するに、情報の共有、それが価値観を平準化させ、人々を一つにする。
21世紀、ネットが国境を溶かしていくということはそういうことだ。
世界と比べると、これまでの日本の文学は、はっきりいって、幼稚。
もちろん国内においてある一定の役割を果たしてきたが、価値としては児戯にすぎない。
が、日本人は優秀だ。ネットによって世界とつながったこの時代に、優秀な文学作品がこれから出てくるだろう。
- 828 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 10:46:12.89
- 想像の共同体が国民意識・ナショナリズムを形成したってベネディクト・アンダーソンの立場って
戦争が国民意識を形成したとジョナサン・カラーに批判されてたはずだが
- 829 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 10:59:17.54
- >>827
>情報の共有、それが価値観を平準化させ、人々を一つにする。
人にとっては、現実の生活がもっとも大きくもっとも重要な情報源だ。
だから、現実を否定しようとする支配者は、情報そのものを統制したがるしこれからもより統制が強くなっていく。
その意図を持った集団から委託された職業人によって、非常に多くの掲示板の書き込みがなされていることも周知の事実だ。
大江などの日本の文学が幼稚であるとは思わないが、日本の政治的中枢とそれを支持する多くの日本人が幼稚であることは認める。
ネットによる知識の拡大が、むしろ人の知的レベルを低下させているという研究報告は多い。
それは、ネットからは自分にとっての好ましい情報がいくらでも出てくるように見える、ということが理由だ。
- 830 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:01:29.94
- 幼稚とか言える立場かよ…
ナショナリズム論の古典を10冊嫁とはいわんから
せめて信奉する人間の国家観ぐらい理解しとけよ
それから日本人について論じてくれ
- 831 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:06:33.47
- >>826
岡田は史学会の中国追随に反発しただけ。
日本最年少で学士院会員になった、これは今でも破られていない記録。
史学会が彼を干したのはやっかみだろう。バカサヨ全開なわけだ。
日本語が中国の影響下にあることは明らか。使っている文字はすべて中国の影響、ってのは事実で正しい。
古事記が後代の作物かどうかの史料批判は学者としては当然だろう。それで古事記が日本人に
どう読まれてきたかが変わるわけでなし。
日本書紀を強引に作った?(笑 司馬遷がどんなめにあったか知らないのか?
- 832 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:08:36.44
- 岡田は日本書紀は改ざんされてるという立場だろ
結局のところナショナルアイデンティティなんてのも作り物だというのが
岡田の立場じゃんか
- 833 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:10:04.87
- 結局のところ、以下は論理的に大風呂敷の誤謬(笑
- 834 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:12:27.71
- いや岡田の倭国に書いてあるだろ…
誤謬もなにも
ナショナルアイデンティティを作る必要があって
編纂したという立場だろ
- 835 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:14:11.87
- >>830
どのレスのなにに反論したいのか、普通の日本語で具体的に書いてくれよ。
- 836 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:19:28.97
- > ・日本人というアイデンティティを作る
> 倭人と華僑が雑多な集団を成して、相互に関係なしに日本列島の各地に散在しているような状況では、
> とても唐帝国にも、統一新羅にも対抗できない。新たに倭人と華僑を打って一丸とする、
> 日本人というアイデンティティを作り出さなければならない。そのためには、まず歴史の統合が必要であり、
> 言語の統合が必要である。しかも唐とも新羅とも関係のない、まったく独自の歴史であり、言語でなければならない。
> そこで強引に作り出されたのが、『日本書紀』であり、日本語である。
岡田英弘 『倭国』 p200
これが宮脇・岡田の日本観だよ
- 837 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:32:43.64
- だいたい岡田史観は日本に固有の文化なんてなくて
日本国の建国を推進したのも日本文化を創りだしたのも華僑だという立場だぞ
もちろん和歌も帰化人、華僑が多くを作ったって立場だし
- 838 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:38:01.56
- >>836
それは日本観、ではなくて当時の状況がそうだったのではないか、と言う見解では?
そもそも、歴史の一時期、それも原初の時代をとって、それが日本観と言うのは無理があると思わないか?
- 839 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:43:07.48
- 日本観がいやなら日本の歴史認識や文化認識でもいいよ
和歌は日本の文化だ皇統だとか
親や子だとか言い出したのは誰だよ
お前の日本観と岡田や宮脇の日本観は全然違うってことだよ
- 840 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:46:25.50
- >>839
部分を全体に及ぼす誤謬
- 841 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 11:54:00.18
- >>840
はあ?おまえがいった歴史認識と岡田の歴史認識が
語ってる部分は同じだろうが
華僑の産物だという点においてお前が望むような
固有の日本文化なんてものを想定していないの
岡田や宮脇は
- 842 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 12:03:46.99
- >>830
>幼稚とか言える立場かよ…
>ナショナリズム論の古典を10冊嫁とはいわんから
>せめて信奉する人間の国家観ぐらい理解しとけよ
>それから日本人について論じてくれ
こういったことが韓国でおこなわれていることだろう。
身勝手な歴史観を韓国民に植え付け、反日運動させる。
そして日本人にたいして「歴史を直視しろ」とわめく。
しかしまともな国は、世界は、相手にしない。
読め、理解しとけ、は甘えだ。幼稚とはそういうこと。
つまりは、自分たちの狭い世界の出来事を理解してくれ、という子供の駄々にすぎない。
だったらどうするか?
日本文学が児戯から脱皮するためには、まずは世界と勝負することだ。
出版点数をどんどん増やし国内の文学的土壌を活性させ、英訳はもちろんのこといろんな国の言葉に訳し、海外に発信することだ。
最初は相手にされないだろうが、50年先、100年先のことを考えると、こういったことは避けては通れない。
すでに、日本のマンガやアニメ、ゲームは世界で戦っている。
日本の文化はじゅうぶん世界に通用する。
日本人としてのアイデンティティーは、世界市場に出てこそ、確認でき、存在価値が見直される。
内向きの学問の定義でも、閉鎖的な世界で育つわけでもない。そうだ、今こそ立て。立てよ、日本国民。我が日本国は諸君らの力を欲している。ジークジオン。
- 843 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 12:04:14.36
- >>841
またしても、部分を全体に及ぼす誤謬。
日本が華僑の産物、なんてどこで言っているんだ?
- 844 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 12:11:56.34
- >>842
身勝手な歴史観を論じてるのはお前だ
岡田史観もまともに知らんのに
>>843
> すなわち固有の日本文化というものはなかった。
> 日本の建国運動を推進した華僑たちこそが、
> 新しい日本文化を作り出したのであった。
岡田英弘『倭国』 p205
- 845 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 16:40:59.79
- それは岡田氏の仮説。
主導権を華僑が握っているのなら、なぜわざわざ万葉仮名、カタカナ、ひらがな、何ぞと言う面倒くさい真似を
したのだ。
当時は、日本は後進国だ。日本がすばらしい文化を持たなければ、当然母国に帰ったろう。ところが、
支那人だけでなく、朝鮮人も多く帰化した記録があるという。
現在と同様、外国人は日本の文化の素リらしさに打たれ、日本人になったのだろう(笑 まあ当然だな。
植民地になったわけでもなし。
現役の史学者の反日に比べたらかわいいもんだね。
まあ、私の本意は宮脇純子氏の話をyoutubeで聞いてほしかっただけだけどね。
- 846 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 17:46:05.36
- >>845
誰を信奉するのもいいけど、トンデモ歴史はトンデモ歴史だと思うよ。
自分の思いつきを真理として語る時点で学者として失格なんだよね。
この人はネット依存の人間は知的レベルが下がっていく、という研究を裏付けちゃってるのかも知れない。
- 847 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 18:10:58.72
- >>846
自分のことはネット依存じゃないと思っているわけだ。
- 848 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 18:59:05.12
- >>845
岡田史観は日本語人造語説だろ
新しい民族国家ができるときに
それまでの公用語をそのまま使う国はまずないと
ドイツやトルコや韓国の例を引いて論じてる
母国に帰れない理由も唐国と敵対していたからで
唐国の侵略のさいに自衛のために天皇を担いで
日本を作ったという立場だし
だから中国と同じ日本は「正統史観」を持ち
中国と同じ日本は「天下」を持ち中国と同格だと主張した
というのが岡田史観。ネットde真実やってないで
少しは本読めよ
- 849 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 19:03:47.95
- >>848
だから仮説だろ(笑 当然自分の考えに合わないところは反対さ。どうせ立証できるわけでもなし。
でも、いいんだよ、亭主の話は。私は嫁さんの話が面白いから紹介しただけなんだから。
- 850 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 19:05:46.85
- つうか岡田・宮脇史観なら国家や国民という概念は
18世紀以前には存在しなかったという立場で
それ以前の歴史を語る際に国家や国民という概念を使うのは
間違いで時代錯誤だという立場じゃないか
岡田英弘の『歴史とはなにか』を読めよ
- 851 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 19:07:56.33
- >>849
おいおい、宮脇だって同じ立場だろ
ttp://blog.goo.ne.jp/kirakiraboshi31/e/88de806e5d5d3b0cf891870803059846
- 852 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 19:17:40.57
- すみません。
私がわるうございました。
今後このスレはROM専に徹することといたしますので、どうぞお許しください。
- 853 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 19:38:57.76
- ROMるだけじゃなくてちゃんとナショナリズム論の古典も読んどけよな
ネットで適当につまみ食いして自分の理想の歴史観に合わなきゃ反対だなんて言ってないで
- 854 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 19:51:25.20
- 岡田史観は支配的な語りのイデオロギー性を暴いてる点で社会構成主義的だな
- 855 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 20:18:06.01
- 岡田斗司夫の話はもういいって。
- 856 :吾輩は名無しである:2015/04/02(木) 20:22:42.00
- バルみたいに物語論に引き寄せて従来の聖書解釈のイデオロギー性を暴く
みたいなことを日本書紀や古事記でもできそうな気がする
- 857 :吾輩は名無しである:2015/04/03(金) 01:04:22.66
- というか、書紀は漢文が基本で、そこに南朝鮮や山東省あたりの表現が混じっている。
記紀解釈はさておき、
万葉集中の「百傳磐余池尓鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟」という詩文を
「池の鴨の鳴き声も聞き納めかあ、私は今日死ぬからなあ」と解釈する平安人の漢文読解力はどう考えてもおかしい。
「傳」というのは書紀の「首を傳へて不破宮に詣づ」とあるように奉げるにあるように
供物(としての梟首)を奉げるくらいに使う。
「耳見」の“見”は耳の強調で行為への没入(霊揺れ)を表す。
少なくともあの時代での使い方はそう。
「磐余池」も単なるお池ではなく雄略以来の都地である「磐余訳語田見舎」でしょう。
あの当時の大王家の産土なんですよ。
持統以降に首都を唐・新羅色の強い都制を採用した藤原京に移転しています。
つまり、雄略以来続いた大王家の都を皇子ごとを潰したわけね。
ちなみに雄略天皇の本名は大泊瀬で泊(はく)の地を根拠としたのがいわれです。
例えばハクセの転訛で長谷(ハセ)寺なのね。
百というのもあの当時ではハクと読めます。
鴨が鳴くというのも同時代の湯原王の歌では「鴨曽鳴成」と表記されているのに
大津皇子では「鳴鴨」になる。
だからこの場合は鴨が鳴くのではなく別の何かを指すのでは?
雲隠去というのは神々の住む場所は雲上であり、同時代に編まれた常陸国風土記では
布津大神が武具・玉を残して身一つで白雲に乗って蒼天に帰する記述がある。
だから「雲隠れなむ」ではなく「雲にて隠れ去らん」じゃないの?
- 858 :吾輩は名無しである:2015/04/03(金) 01:07:58.89
- というか、書紀に記載された山辺皇女殉死のくだりは
丸ごと後漢書のパクリだと指摘されていますね。
- 859 :吾輩は名無しである:2015/04/03(金) 18:59:48.92
- >>858
日本書紀はさまざまな史書のつぎはぎという意見もあるね。
それをもとに歴史を論じる日本の歴史学者って、どうなんだろうね?
天皇陵が発掘出来るようになれば、天皇の由来もわかるかも知れないし、日本語の系統や日本文学の源泉もわかるようになるんじゃないのかな?
それがないと、日本の学問は本当の始まりにならないのかも知れないな。
- 860 :吾輩は名無しである:2015/04/03(金) 20:40:24.10
- なこたーない
- 861 :吾輩は名無しである:2015/04/03(金) 20:47:43.70
- >>860
天皇陵の発掘は不要?
- 862 :吾輩は名無しである:2015/04/08(水) 20:20:54.28
- ここまでまとめると、文学理論は不要。
- 863 :吾輩は名無しである:2015/04/08(水) 23:05:51.11
- まあ、趣味の領域ではあるな w
- 864 :吾輩は名無しである:2015/04/09(木) 00:05:54.56
- 作家にとっては必要だろうがな、読みの深さは書くことの深さでもある
批評家から作家になったソルレスや、G・エリオットやプルースト、
また作家が理論家でありもする
H・ジェイムズしかり、T・S・エリオットしかり、漱石しかり、
E・M・フォスターしかり、エーコしかり、ロッジしかり、みな理論家だ
もちろん理論は創作にも影響を与えている
アーノルドの影響を受けたワイルド
ケナーの影響を受けたパワーズ
フライの影響をう受けたアトウッド
文学の歴史を紐解けば文学理論の重要性は云うまでもない
- 865 :吾輩は名無しである:2015/04/10(金) 11:21:21.27
- そもそも文学理論とはどういうものなのかも人によってバラバラ。
言語の理論も含めた哲学的なものから作品の書き方みたいなものまで、幅が広い。
幅が広いというより、視点が定まっていないといったほうが実際に近いのだろう。
文学理論をやるなら、まず視点の階層分けからということになりそうだ。
- 866 :吾輩は名無しである:2015/04/10(金) 12:21:55.68
- >>862
「理論は見向きもされなくなったのではなく、ありきたりなものとなったのだ。
いまはポストセオリー時代である。理論を経由せずには、なにもできなくなったのだ。 」現代批評理論のすべて
- 867 :吾輩は名無しである:2015/04/10(金) 16:10:29.11
- 今でも印象批評がそこらじゅうに溢れてるが、どこが「なにもできなくなった」のか
- 868 :吾輩は名無しである:2015/04/10(金) 18:04:31.42
- それかいた人は、気のきいたことを書いたつもりなんだから、察してやれよ。
まじめに書いただけじゃ、誰も買ってくれないんだよ。
- 869 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 08:58:25.19
- 印象批評が、うわぁ印象批評だよって思われちゃう状況こそが
ポストセオリーじゃんけ
- 870 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 11:38:49.49
- 思ってるのは文学理論オタクだけ。印象批評してる本人はそんなの知らない。
- 871 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 12:28:57.14
- 印象批評とかポストセオリーとか、名前をつけると安心するの?
- 872 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 12:39:26.61
- 自分の頭の中だけでやるなら名前はいらないけど、ほかの人と話し合うなら名前つけないと分かりにくいよね
- 873 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 12:49:43.27
- >>872
名前をつけても、自分と他人では受け止め方に差があることが多いんじゃないの?
果物の話をしていて、自分はりんごの味語り、相手はみかんの形を語るみたいな。
たとえば、小林秀雄は印象批評ということになるだろうが、そういう名前をつけなくても、小林秀雄の批評についての話はできるだろ?
というより、小林秀雄は印象批評だよね、と言ったところで、話しは続かないんじゃないか?
- 874 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 13:00:37.88
- どう考えても、趣味の「学問」です w
- 875 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:02:11.44
- 少なくとも批評理論において
吉本とか小林とかをありがたがってるうちはダメダメだし
話を続けなくていい気がするw
- 876 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:06:52.53
- 文学理論は趣味(キリッ
ガダマーあたり読みなおしてから
出直して来いとしかw
- 877 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:13:35.72
- 昔は、印象批評を否定しないと新批評が成り立たなかったんだろうけど、
時が流れると相対化されちゃって、文学理論もいいし印象批評もいい(または好きなほうを選べばいい)
ってなっていくよね
- 878 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:20:27.20
- ガダマーって、そんなに偉いか。
- 879 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:22:34.20
- 印象批評って単なる個人的経験の枠に照らしたものを出なかったり
用いる言語や理論に実証性がなく粗があるから欧米じゃ相手にされないよね
村上春樹が江藤の成熟と喪失をテクストに用いて欧米の大学で講義したら
それはエッセイですと批判されたと言ってたな
その一報で米国だとプラグマティズムの伝統があって実際にハリウッドや
ゲームで理論が使われるのである程度理論的根拠が不確かでも
使えるのは使うみたいなところがある
- 880 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:25:10.09
- 西洋の文学運動の流れを見ると主観派と客観派(どういう名前で呼んでもいいけど)が
交互に入れ替わり続けてるだけなのに気づくけど、批評もそうなのかも
- 881 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:28:11.77
- >>879
数学や量子物理学やってる連中からみたら、人文科学一般がエッセイみたいなものと言われるかもしれない w
- 882 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:30:48.70
- >>881
人文系から見りゃ、
数学や量子物理学を扱ってる人間は「意味」や「価値」を扱えないので
どっちもどっちだろう
- 883 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:32:39.69
- 扱ってる「つもり」と反論されると思うよ。
- 884 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:37:26.59
- それはレッテルであって反論じゃないな
- 885 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:38:02.60
- そこは「つもり」でいいんじゃないの
そもそも価値や意味は、価値があるつもり、意味があるつもりなんだから
- 886 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 14:45:47.13
- 意味や価値がある「つもり」ってだけの弱いものだったら
そこから当為は導けなくね
- 887 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 15:32:37.53
- たしかに「つもり」って言葉の語感は頼りないかもしれないけど、弱いものではないと思うよ
お金なんかも「つもり」でしょ
みんなで価値がある「つもり」で紙やコインや数字をやり取りしてる
- 888 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 16:04:43.08
- 少しは具体的な理論の話題が欲しいな。
例をあげてもいいし、理論の紹介でもいい。
他人を否定するだけでは、それこそ印象批評だw
- 889 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 16:22:22.39
- そういうのは入門書を読めばまとめてあるから今さらあえて語る必要がないっていう・・・
- 890 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 17:11:39.51
- >>887
それって価値があるつもりじゃなくて
みんなが価値があると信じてるから
価値になってるんでしょ
- 891 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 18:18:20.84
- >>889
今さら、か。
入門書のレベルでいいから、なにかの理論を使って具体的な作品批評をやってみてよ。
- 892 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 19:31:32.60
- >>891
2chのレスでそんな時間がかかること頼まれても困るわ
まだ読んでなければ、批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)を読むといいよ
- 893 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 19:38:36.26
- >>892
教えてくれといってるんじゃないよ。
このスレでも、具体的な議論を見たいといってるんだよ。
ナントカ理論を知ってる自慢と相手をののしるレスだけじゃつまらないからさ。
- 894 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 19:55:39.82
- 適当に英語勉強して論文読んだほうが早いっていう
- 895 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:03:06.98
- >>894
教えてくれと言ってるんじゃないってw
このスレは知ったか自慢と相手の罵倒のためにあるわけじゃないだろ?
と言ってるんだよ。
- 896 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:25:32.89
- 議論って何やんのさ
クッツェーの夷狄をテクストを題材に
物語の構造分析をして
プロタゴニストとアンタゴニストの一見簡単な構造だが
このプロットをどう評価すべきか?とか
- 897 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:29:49.90
- プロットとしては一見簡単な構造だが外在的には
ポストコロニアル的な帝国との対立図式への転換であり
転倒を描いてるという点で評価できるとか?
- 898 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:35:33.61
- >>896-897
それじゃなにも言ったことにならないよ。
「物語の構造分析」とか「簡単な構造」とか「プロットをどう評価」とか。
「ポストコロニアル的な帝国との対立図式」とか「転換」とか「転倒」も。
そういう知ったか自慢は意味がないんだよ。
- 899 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:36:33.25
- 知ったか自慢も何も理論の話なのに
理論の話をするなと言われても困る
- 900 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:37:58.33
- わからないならわからないって言えばいい
教えてくださいって。でも教えてくれなんて言ってないって言ってんだろ
だったら知ってることを前提に議論をしたら
知ったかだとか言う。こんなアホらしい話はない
- 901 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:40:05.97
- ほんとくだらねえなw
- 902 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:40:28.09
- 簡単な初心者でも知ってるような文学理論の話しかしてないのに
なんで知ったかなんだか全くわからないw
- 903 :901:2015/04/11(土) 20:41:08.77
- もちろんくだらないのは文学理論の方な
- 904 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:44:39.05
- >>902
ほんとほんと
プロタゴニストも知らない、プロットも知らない
ポストコロニアルも知らない
俺がわからないから知ったかだ、説明しろ、文学理論はくだらないって
これじゃあ誰も教えたがらないし
入門書読めっていわれるのは当然だし
だから相手にされないんだよなあ
そこからまず認識を改めほうがいい
- 905 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:47:07.76
- >>899>>900>>902
理論の話じゃなくて言葉の話にしかなっていないということを指摘してるんだよ。
中身のない、ただの言葉の羅列だから。
まず、ひとつひとつの言葉の定義、つまりそれぞれの言葉の内容を議論しないと意味がないんだよ。
- 906 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:53:00.39
- >>904
知ってる知らないの問題じゃないよ。
そういう言葉をなぜ使うのか、ということ自体に、すでにある指向があるということだよ。
それを無自覚に共通の認識であるかのように使うこちを批判してる。
僕がちょっと知ったかして指摘するけど、「プロタゴニスト」や「プロット」や「ポストコロニアル」は同じ階層で使うべき言葉じゃないことぐらいは知って欲しいと思う。
- 907 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 20:53:45.32
- >使うこちを −>使うことを
- 908 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:55:51.83
- 言葉の羅列って
いちいち距離を計算するのに
速度とは何か、時間とは何かなんて定義から始める必要はないわけで
速度は20キロ出てますそれで1時間勧めば何キロかという議論をしたいときに
いちいちやってたらキリがない
プロットならプロットの定義で一つの論文が書けるっていうのに
たとえばアボットはプロットの使用方法を3つに整理していてとか
あるいはスターンバーグはフェミニズムの側面から捉え直してとか
リクールの認知的なプロットではとかフェミニズムではとかやりださなきゃならなくなる
- 909 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 20:58:06.69
- >>906
同じ階層で使う言葉じゃないって意味がまったくわからない
ポストコロニアルのイデオロギーとポジショニングセオリー的には
同じレイヤーで使えるじゃん
- 910 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 21:02:48.72
- >>908
>プロットの定義で一つの論文が書ける
もしそうなら、それは「プロット」という言葉を簡単に使ってはいけない、ということを意味するね。
その時々に定義が必要だというこになるから、知ったか言葉以上の意味がなくなる。
ほかの言葉も同じように、君の言ってることは僕の指摘の補足にしかなってないよ。
- 911 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 21:05:15.32
- >>909
「ポストコロニアル」と「イデオロギー」と「セオリー」のつながりが意味不明だから説明してくれよ。
- 912 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 21:05:56.23
- >>910
それはだから距離をはかるさいに「時間」という言葉を軽々使うなといってるのと同じだよ
距離をはかるのに時間とは何か時間を定義しろというのと同じ
時間の定義には
ベルグソン的な時間の定義があり
そうした直観的定義に対してバシュラールの批判があり
そもそもまずハイデガーの存在了解が必要だといったことね
そんなもん議論してたらいつまでたっても終わらない
- 913 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 21:09:53.00
- >>911
帝国が支配的な語りを持ち、つまりドミナントストーリー、マスターナラティブを持ち
そのイデオロギーや権力もろもろがエージェントや関係性を脅かす
そこにはプロタゴニストとアンタゴニスト間の不均衡が存在するといったことを
説明するのがポジショニングセオリーだろ
- 914 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 21:21:47.14
- つうかこんなのBalとかFludernik, MonikaとかHermanの入門書に書いてあんだから
読めとしかいいようがない。語義の定義から始めろなんていったらほんと終わらない
- 915 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 21:22:00.41
- >>912
君の言ってることは僕の言ってることの補足にしかなってないよ。
>>913
バカの相手はもう飽きた。
- 916 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/11(土) 21:23:29.28
- もう終わりか
反論できないでバカとしかレッテルを貼れないって時点でね
そろそろ相手にされない理由がよくわかったかな
自分の不勉強を棚に上げて相手をバカバカいってりゃ
相手にされません
- 917 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 21:25:28.30
- IQが20違うと話が合わないというけどまさにこの状況でわろた
- 918 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 21:29:19.28
- >>914
英語読めないか洋書買う金もないんだろ察してやれよ
今どき文学理論なんて英語読めなきゃやれないってのに
このスレにいるのは不思議だが
- 919 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 22:40:51.50
- >>916
そ、そうか。
では、続けることにしよう。
「帝国が支配的な語りを持ち」というのを説明してくれ。
というより日本語になっていないんだが。
「ドミナントストーリー、マスターナラティブを持」ってると、なぜ「イデオロギーや権力」を持つことになるんだ?
そして、それが「エージェントや関係性を脅かす」理由がどこにあるんだ?
「エージェント」をどういう意味で使ってるか知らないが。
さらにそれがなぜ、「プロタゴニストとアンタゴニスト間の不均衡が存在する」ことの説明になるんだ?
そんなことを説明するのが「ポジショニングセオリー」なら、それがなんの役に立つんだ?
- 920 :吾輩は名無しである:2015/04/11(土) 23:37:28.99
- 文学もどきの理論や批評で時間とられるよりも出来るだけ多くの小説読んだり、
書いたりしたくならないのかぁ
- 921 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 00:07:28.57
- >896  1 名前: ◆ovFfMTcr8Y Mail: sage 投稿日: 2015/04/11(土) 20:25:32.89
>議論って何やんのさ
>クッツェーの夷狄をテクストを題材に
>物語の構造分析をして
>プロタゴニストとアンタゴニストの一見簡単な構造だが
>このプロットをどう評価すべきか?とか
>897  1 名前: ◆ovFfMTcr8Y Mail: sage 投稿日: 2015/04/11(土) 20:29:49.90
>プロットとしては一見簡単な構造だが外在的には
>ポストコロニアル的な帝国との対立図式への転換であり
>転倒を描いてるという点で評価できるとか?
- 922 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/12(日) 00:27:09.94
- >>919
君が相手にされない理由がわかるまで
待つことにするよ。というわけで終了
- 923 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 00:57:35.15
- 基本的な用語も勉強してないどころか
クッツェーも読んでないんじゃね
そのくせ他人をバカ呼ばわり
こんな失礼な態度じゃ相手にされんわw
勉強してきて土下座でもすりゃ
相手されんじゃねw
- 924 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 02:03:20.01
- >>923
横だがべつにクッツェーを読んでなくてもいいと思うな。
ところでプラトンのイオンとかアリストテレスの弁論術は読んだ?
あれはマストだよな。
- 925 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 02:27:03.07
- プラトンのイオンって印象批判をする詩人を否定して
技術の普遍性について論じたのだったけか
あれマストか?理論史的には国家篇のミメーシスと詩人追放のほうがマストじゃね?
弁論術もマストなのかというのは疑問に残るなあれw
アリストテレスならマストは詩学じゃね
修辞的批評をしたいってんならもちろん読んだほうがいいかもしれんが
体系的な教科書一冊読んだほうがよくね?
クインティリアヌスやイソクラテスやキケロによって発展させられた部分も学べるし
感情の類型論という点でちょっとホッブズと読み比べるとおもしろいぐらいか?
- 926 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 10:15:46.76
- 文学の科学的な研究なんてできない、
客観的な批評なんてないから、すべてはある意味印象批評なんだってとこから始めるのがいいと思う
- 927 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 10:20:10.41
- バージェスっていう文学史家も言ってたけど、過去から始めて現代に学んでいくより
現代から始めて過去に向かって学んでいくほうが理解が早いよ
- 928 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 10:58:26.73
- 文学の科学的研究が今のポストポストモダンじゃね
自閉症研究から始まってて心の理論や認知科学や神経科学と
むすびついてパワーズなんかも興味しめしてんじゃん
- 929 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 11:00:08.18
- ゲロ以下の臭いがする
- 930 : ◆ovFfMTcr8Y :2015/04/12(日) 11:16:17.13
- >>928
ラウトリッジから本出てたね
もう第二世代まで来てるらしい
日本じゃそこら辺の研究とんときかないけども
最近の発表じゃ幼児の言語習得の端緒にまでついてるとか
文芸小説が大衆小説と異なり、心の発達に寄与するというのが
数々の研究から明らかになり、芸術における抽象と感情移入のうち
感情移入の側面について明らかになってきたのはほんと大きいよ
- 931 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 11:25:46.67
- >>928
そもそも心理学自体が科学なのかどうかっていう問題が
- 932 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 11:31:17.64
- >>930
へえ、第二世代まできてんのか
確かに日本じゃ輸入にとどまって文学研究者と
科学者の協同まではしてないな
しかし読者反応批評の発達はこれからも実りはでかそうだな
>>931
心理学?意味がわからん
fMRIの反応部位と再現可能な実験研究に基づいてる
研究だぞ
- 933 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 11:51:08.41
- 演繹的理論やタイポロジーまである意味印象批評とするのはさすがに頭がわるすぎる
- 934 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 11:58:52.97
- >>933
客観的な分類ってあると思う?
- 935 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 12:05:06.84
- >>>926
要するに文学自体を科学的に研究することはできないって分かったから、
読者の反応を科学的に研究してるってことでしょ。
- 936 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 12:24:08.70
- 読者反応理論=受容美学は昔からある文学理論です
- 937 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 12:36:55.62
- >>934
思うかどうかでいえば思うが?
それは演繹的理論とタイポロジーとは全く関係ないだろ
- 938 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 12:46:30.41
- かたや英語の論文を読んで最新の研究まで抑えてる奴と
かたやイーグルトンも読んでないアホとでレベルが違いすぎて吹くw
これじゃ議論なんて成立しねえ
- 939 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 13:16:17.79
- 次スレから入門書を三冊読んでからレスすることを義務にしよう
- 940 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 13:45:05.63
- イーグルトンがアフターセオリーって言ってたけど
文学理論なんてもう過去のものなんだってとこから話をはじめないと
- 941 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 13:56:06.31
- アフターセオリーは酷い本だったな
おっさんがくだを巻いてるだけの酷いしろもの
その後の著作で理論やってたが
もうイーグルトンは時代遅れになってしまった
- 942 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 14:05:52.24
- まさかイーグルトンもアフターセオリーの後に
理論全盛が来るとは思わなかったんだろうなw
ま、すでにカラーもイーグルトンも70超えだし前線に居ないのはしかたないわw
- 943 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 14:18:23.44
- 理論全盛が来てるの?初耳だわ
- 944 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 14:25:52.16
- え、今が全盛期だったの
気付かなくてすまんなw
- 945 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 14:57:22.91
- グルイターの物語論シリーズは2008年から刊行されはじめて48冊も出てるし
オハイオの語りの理論と解釈シリーズも50冊以上出てるし
ネブラスカの語りの未開シリーズも20冊以上出てるし
テキサスの文学と文化の認知的接近シリーズやエジンバラの理論の未開シリーズもあるし
ラウトレッジの百科事典もでたしCUPやOUPからもバンバン出てる
今は学際的になって他の領域と接合して未開領域を開拓しまくってて
理論本がたくさん刊行されて新しい論者が出て名前を覚えるのも大変だわ
ま、日本には全く輸入されてないから英語よめなきゃ話にならんがw
- 946 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 15:07:34.31
- ここは理論全滅君と三浦つとむ&吉本隆明じいさんが出張りすぎなんだよ
- 947 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 15:08:16.80
- あとはシナ連呼の酷使様もいたか
三人とも雑魚キャラすぎる
- 948 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 15:46:58.42
- >>945
ナラトロジーじゃん
- 949 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 15:50:53.67
- 理論は先に立つものではなく、あとから解釈するためのものであって
理論に基づいた作品なんて読むに値しない。
言語学的な切り込みであっても発達心理学的な切り込みであってもね。
それに文学理論というのはいつも「感情」というものをぼんやりと前提していてつまらない。
文学作品を読むと言うのは文学という森を掻き分けて、自分が探しているものに
どれだけ近づけるのかと言うゲームみたいなものだからな。
- 950 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 15:52:37.18
- 理論に基づいた作品が読むに値しないとなると
ハーディも、プルーストも、ジョイスも、漱石も読めないな
- 951 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 15:56:13.20
- >>948
ナラトロジーも文学理論
バリーの文学理論講義にだって載ってる
- 952 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:02:46.15
- 大トルストイからして相当な理論家で
そのトルストイの影響受けまくりな日本文学も読めないんじゃなかろうか
- 953 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:11:05.21
- >>950
あなたはプルーストや漱石の作品に「理論」を読んでるわけじゃない。
- 954 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:13:32.97
- >>953
理論も読むだろ
物語内容だけ読んでるなんて
大衆小説でもできる
- 955 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:14:42.78
- 文学と文学理論の関係は微妙だね。
優れた作家が必ずしも優れた理論家ではないし、その逆も真。
優れた理論家が必ずしも優れた(理論)物理学者ではない、なんていったらナンセンスになるけど。
- 956 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:16:04.40
- >>954
理論を読むってなに?
- 957 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:17:14.89
- 文学が高級芸術で在り続けるのはその理論のおかげだからな
ジャズが大衆のものから高級芸術の地位を獲得したのも理論化が進んだから
- 958 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:18:22.11
- マニュアルに頼るやつは戦場では生き残れない
- 959 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:20:09.96
- >>956
その物語言説、構成や配置や思想や構造や技術を把握しながら読むもんだろ
でなければ他の作品と比較もできないしどちらが優れているかといった相違も
読み比べられないじゃないか
- 960 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:21:33.03
- >>959
そんな読書は読書と言わない
- 961 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:22:17.17
- >>960
分析読書とシントピカル読書といって
『本を読む本』にも書いてある基本テクニックだぞ
- 962 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:25:30.37
- >>961
分析せず丸ごと味わい尽くすのが読書の醍醐味だよ。
作者の意図の発生源まで感じ入る。吉本は入射角と言ったかな、あれは
あながち間違いでもない。
文学理論は他者論として不十分だとつねずね思ってる。
そうでないものがあったら挙げてみて。
- 963 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:27:03.64
- >>962
吉本信者かよ
分析せずに読むのが醍醐味だって
吉本が言ってたのか
ハイイメージ論なんてじゃあ捨てちまえよ
- 964 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:36:05.67
- 好きな作品を分析されると「穢される」みたいな幼稚な全能感に基づく理論否定が多すぎる
でもそれは芸術では成り立たない
- 965 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:38:10.21
- >>963
べつに信者じゃないよ。
逆に吉本の限界は他者への理解の限界だと考えてる。
で、他者論として充分な文学理論って、挙げられるの?
ないのであればそれが文学理論の限界。
- 966 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:50:33.89
- >>965
普通に昔からポジショニングセオリーでやってるし
他者の項目はラウトリッジの百科事典にもあるし
ケンブリッジ版ナラティブ必携でも項目として自己同一性/他者として一項目割かれて書かれてる
つうかこのへんは心理学のナラティブアプローチとも近接したり
神経科学や心の理論とも協力したりして感情移入や他者の理解も含めて
一番発展してる分野じゃねw
- 967 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:58:14.84
- >>966
で、そのどれが「充分」だと思ってるの?
- 968 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 16:59:16.56
- >>951
具体的にどんな本が出てるのか分かんないから当てずっぽうで書くけど、
「文学理論全盛」じゃなくて、心理学のほうでナラティヴ研究が盛んだったから文献が多かっただけなんじゃないの
- 969 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:07:37.70
- アリストテレスでもテリー・イーグルトンでも吉本隆明でもピーター・バリーでもいいけど、
「単にその人がそう言ってたってだけ」のことが理論として通用するんだから、やっぱ科学ではないよな
- 970 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:12:10.86
- >>967
そのどれがも何も総体がだな
一項目割かれるってことはそれだけの蓄積があるってこと
つか「他者」に関していえばポスコロがめちゃくちゃ論じてて量産されてるんで
興味あるならそれ読めばいいんじゃね
>>968
心理学は心理学で別のシリーズが出てる
ナラティブ・アプローチの論者も沢山いて
そっちもそっちで発展してる、それまで読むとなると一苦労だな
日本はそっちの方は輸入頑張ってるが
- 971 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:17:19.13
- >>970
総体であればむしろ「理論」でも何でもないよね
- 972 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:17:54.84
- 理論は法則の束なんだから
総体こそが理論だろ
- 973 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:20:57.84
- >>969
つうか科学は価値や意味を扱えない時点で
文学には使えんのでダメダメだな
だから「意味」こそが重要なのだと
ナラティブと転換した認知科学者のブルーナーは偉大だった
あとアリストテレスが言ってるだけで、通用するなら苦労しないんだわ
たとえばアリストテレスが悲劇についてカタルシスの理論を説いたが
アリストテレスの理論とは異なった方法を用いたシェイクスピアが残ったり
ブレヒトが批判して叙事演劇を作ったりといった
あくまでも理論は分析的な理論であってそれがすなわち
素晴らしい創作が生まれる理論ってわけじゃあない
- 974 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:23:08.90
- >>972
んじゃたとえば物理学にはいっこしか理論がないのかい?
- 975 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:26:14.63
- >>974
意味不明総体だっていってんだろ
- 976 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:29:15.53
- 吉本ジジイは弁証法とマルクスの往復で済ますのが完全に駄目
最低限バフチンぐらい読んで出直せばいい
時間が余ってるんだろうから
- 977 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:38:54.60
- >>975
ん?物理学の総体が理論なら文学はその総体が理論なの?
- 978 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 17:40:55.85
- ナラティブのどんづまりなのは見える星全部数えて「これが宇宙だ!」って
言ってるようなどうしようもなさだな
- 979 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 18:28:53.23
- ナラティブオヤジと吉本オヤジってどこにでも湧くのなww
- 980 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 19:41:05.30
- >>922
やっぱり逃げちゃったねw
もう、許してあげるよ。
- 981 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 21:37:20.18
- >>945
ナラティブっていまそんなに論文量産されてんのか
すげえな
- 982 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 22:01:03.93
- ゲーム、フィルム、コミック、心理学、政治学、神経科学、社会学、社会言語学、
経営学、マーケティング、教育学、認知科学、スポーツ、音楽と
領域広がりまくってるからなナラティブは
- 983 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 22:12:00.49
- >>978
文学理論畑の論文ジャーナルしかあげてないのに
見える星数えてとか言っちゃってると勘違いしちゃったのか
恥ずかしいな
- 984 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 22:14:13.77
- >>977
アホなのか
文学は文学という現象を法則の束として説明しようとするから理論なんだよ
- 985 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 22:19:42.94
- 政治学とナラティブ?どんなことやってんの?
- 986 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 22:24:43.24
- >>985
Policy Narratives and Policy Processe
Elizabeth A. Shanahan, Michael D. Jones, and Mark K. McBeth
http://www.montana.edu/politicalscience/documents/Faculty/Shanahan/PSJ_policy-narratives-and-policy-processes.pdf
Narrative Policy Framework: Clear Enough to be Wrong?
http://liberalarts.oregonstate.edu/files/economics/jones31oct2013a.pdf
こんなの
- 987 :吾輩は名無しである:2015/04/12(日) 22:39:34.23
- >>986
ありがと面白い。相対化のツールとしてめっちゃ有用そう
- 988 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 00:22:38.12
- 言説分析だとイデオロギー性や傾向を暴くぐらいだが
ナラティブ分析だとイデオロギーだけでなく何が省略されて何が変更されて何が追加されて
どのような類型の物語であるかそれがどのように受容されてるのかを暴けるのが強いな
- 989 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 01:20:09.45
- マルクス主義批評みたいな全体論的アプローチよりも有能かもしれん
- 990 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 01:33:55.00
- パーマーが切り開いた物語の外部性の分析にも使えるのかね
ちと無理か
- 991 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 02:45:09.73
- もう旬は過ぎたよな
- 992 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 02:51:50.90
- おれは今後、ネオ・ロマン主義が来ると見てる
- 993 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 03:50:59.59
- http://www.narratology.net/node/19
ナラティブ関連は全世界で出版されまくりだな…
日本はなしだが
- 994 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 04:36:40.28
- 最近はメディア横断的に広がったからその整理や比較をしてる論文が多かったな
- 995 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 05:00:55.92
- ナラティブは方法論だから阿呆でも論文書けるから量は増えるわな
- 996 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 05:08:33.00
- 文学理論の物語論は作品に適応して量産されてるってより
認知理論の適用、神経科学の発達、可能世界論、世界制作論の発展で
理論の分類、基礎付けに追われて、その結果量産されて
ようやく最近一息ついたって感じ
これから認知科学の第二世代の発達と共に
作品にも適用されるんじゃないか
- 997 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 05:36:46.92
- 未開と銘打たれてるシリーズにしてもそうだが
未開の大地が発見されて新種の昆虫やら動物を分類するように論文が次から次に出てきてたなw
- 998 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 16:15:53.18
- 論文ばっかり多くても内容がなきゃ意味ないよな
- 999 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 17:48:24.29
- 文学理論は不要。
- 1000 :吾輩は名無しである:2015/04/13(月) 17:49:33.64
- 駄目なヤツって文学理論すきだよね
- 1001 :1001:Over 1000 Thread
- このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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